第25話 銀の弾丸
エーベルハルトはアベルの書斎に通された。一見して医療器具だとわかるものから、何に使うかわからないような、おそらくは異国のものであろう道具が所狭しと並んでいる。
「出来るだけ早く、そして出来るだけ数をそろえたい」
エーベルハルトはアベルとの挨拶のやり取りを面倒がるかのようにいきなり要件を言いつけた。
「相変わらずせっかちなやつだ。さぞかし若い者に嫌われているのだろうよ」
イスに座りかけた動作を止めてアベルは立ったまま机の一番引き出しを開けて、そこから小さな木箱を取り出した。
「別にこういうことを予測していたわけではないがな。どんなに良く出来たものでも、それを使いこなす技能がなければ、こうして引き出しの奥のほうに追いやられてそのままじゃ。お前さんの顔を見るまでは、作った本人ですらすっかり忘れてしまっていた。歳はとりたくないものだな」
エーベルハルトはアベルが差し出した木箱をいぶかしげに受け取り、ふたを開けた。
「純度は?」
「7割は超えておる」
「7割か。雑魚なら一撃か」
「そうじゃな。多少手ごわい相手でも、当たり所がよければ倒すことは出来ると思うが」
「しかし、やつには通用しない」
「今朝方のやつか?」
「あれは本物だ。本物の狼男だ」
「狼男に本物も偽者もあるまい」
「いや。ある。偽者というか、まがい物だな」
「純度か?」
「ふむ。獣であって獣にあらず、人にあって、人にあらず」
「悪魔か?」
「或いはその真逆の存在かもしれんが、どちらにしても人知を超えた存在だ」
二人の会話には、共通の認識の上に成り立つ意思疎通がしっかりとできている。他人が聞いても、すべてを理解することは出来ないだろう。
「しかし数が足りない」
「腕でカバーしろ」
「それでは犠牲者が増える一方だ」
「ワシはもう作らんよ」
「知っている。だからこうして頼みに来た」
「ふぅう」とアベルが大きくため息をつき、イスに腰をかけた。
「材料がない。道具も、場所もない。どうにもできん。それに……」
「救える命を救わずに何が医者だといいたいのだろうが、それは違うぞ。アベル」
「わかったようなことを……」
「いや! 違うぞアベル。お前のせいじゃない。奥さんを救えなかったのはお前さんのせいじゃない」
「言うな!」
「君は病人やけが人を救えるかもしれない。だが、そのけが人が出るのを未然に防ぐことが出来るのであれば、それを……なすべきことをなさないものにこそ、神は天罰を下すのだと、私は思うのだよ」
「だからすでに天罰を受けておる」
アベルは、目頭を押さえ、思い出したくない過去を頭の中から振り払うかのように首を振り続けた。エーベルハルトはその痛ましい姿を直視し、それでも言葉を止めなかった。
「なかなかしっかりした娘さんじゃないか。彼女を守りたいのであれば、私に協力して欲しい。こういう言い方は卑怯かもしれないが、それでも言わせてもらう。頼む。君の娘を守るためにも、銀の弾丸を作って欲しい」
エーベルハルトは直立した姿勢からゆっくりと頭を下げてアベルに礼を尽くした。アベルはその姿を眺めながらまた、大きくため息をついた。
「お前さんは昔から交渉が上手だな。どんなにワシが拒んでも、結局は首を立てに振らされてしまう」
「だから宮廷でも軍でも煙たがれて、こうして何かの理由につけて僻地に派遣されるのさ」
「おいおい、人の住んでいるところを僻地呼ばわりするとは、ワシはともかく他の町の連中が聞いたら気分を悪くするぞ」
「なぁに。ワシはもうすでに煙たがれておる。あの若いのの父親には悪いことをしたと思っている」
「エリックを悪く思わんでくれ。アレはまじめな男だ。何よりもこの町を――お前さんのいう僻地を愛しているのだ。守りたいのだよ」
「守りたいものがあるというのはいい。しかしその気持ちが必ずしも守られる側に伝わるとはかぎらんが……町でのあの御仁の評判は悪くないようだな。息子を見てみればわかる。あの男はまっすぐだな」
「ジャンか。そうだな。娘のことを大事に思ってくれている。ありがたいことだが、うちの娘ときたら……」
「だから言っただろう。守りたいと思うものと守られるものでは、必ずしも利害は一致しないのだよ」
「軍隊というのは……」
アベルがそう、言い出したとき、エーベルハルトが露骨に嫌な顔をしたので、アベルはその先を言わなかった。
「まぁ、それを職業とするとなれば、また違うのであろうな」
「望むと望まざると……」
やや間をおいてエーベルハルトがそう、切り出したとき、扉をノックする音がした。
「お父様。コーヒーをお持ちしました」
「おぉ、すまない。外の様子はどうかな。すっかり静かになったようだが」
「そうね。静かになったみたい。でも、悪い静けさね。けが人がここに運ばれてきてもおかしくないのだけれど、もしかしたら……」
「そのことを考えるのは、今は止めておこう。もしけが人が運ばれてきたらすぐに入れてあげなさい。でも、くれぐれも戸締りには気をつけるのだよ」
「はい。お父様」
クリスはコーヒーを運び終えると、エーベルハルトに会釈をしてそのまま部屋を後にした。部屋の外にはジャンが心配そうに待っていた。
「どんな様子だった?」
「別に、どうということはないわ。そうね。古い友達というだけではなさそうだけれども、私もお父様のすべてを知っているわけではないから――」
「エーベルハルトという人はただのハンターじゃない。その彼が、君のお父さんをこんな状況の中でわざわざたずねるということは、きっとただならぬ理由があるからにちがいない」
「そうね。それはそうかもしれないけれど、それを知ったからといって、ジャン。あなたはどうしようというの?」
ジャンは思わず言い出しそうになった言葉を飲み込み、そして別の言葉を選び出した。
「町のみんなを守るためのヒントが隠されているかもしれない。僕は、父とは少し違うけど、それでもこの町を愛している。この町に住むみんな。そしてクリス。君も――」
「私は――私は、大丈夫よ。自分の身は自分で守ってみせるわ。でも、そうは言っても私には何も出来ないかもしれない。だって、オデットを……オデットを守ることが出来なかった」
それまで抑えていた気持ちがどっとクリスの内側からあふれ出そうとしていた。クリスは立っていることも出来ないくらいに身体が震えだし、膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえたが、どうしようもなくなり、ジャンにしがみついた。
「私、私――」
「いいんだよ。クリス。君のせいじゃない。君は何も悪くない」
「ジャン――どうしてこんなことになってしまったの? つい数日前までは、こんなこと想像も出来なかった」
「すべてはあの悪魔のせいさ。あのようなものが存在するなんて――狼男が実際にいるなんて。でも、大丈夫さ。エーベルハルト殿は、3頭の狼を倒した。いや、3人と言うべきなのかはわからないこど、ともかく倒すことができたんだ。僕はあの方と一緒にこの町のために、そして君のために戦う。狼男の群れからみんなを守るんだ」
「ああ、ジャン。だめよ。そんなこと。あなたの身に何かあったら私は――誰が私を支えてくれるの」
クリスはジャンの背中を強く抱きしめた。ジャンはクリスの頭をやさしく撫で、それからクリスの額に優しくキスをした。