第22話 人狼
「若いの、わしはエーベルハルトという」
「あっ、あっ、失礼しました。私はジャン・フォンティーヌと申します。ありがとうございます。おかげで助かりました」
「礼にはおよばん。それにしても若いの。どうして町をうろついておる。夜は外出禁止令がでておったはずじゃが」
「じ、実はエーベルハルト殿にお会いしようと」
「わしにか……呼んだ覚えはないぞ」
「い、いえ。私は私の意志で、エーベルハルト殿に会いに行こうと……父に、エリック・フォンティーヌからあなたのことを聞きました」
エーベルハルトはあごひげを触りながら、なにやら思い出そうとしているようだたが、面倒になってやめてしまった。
「今はともかく、わしの指示に従ってもらう。私は愚図は嫌いだ。それにおしゃべりなやつはもっと嫌いだ」
「わかりました。ですが、その前にいくつか質問をしていいですか?」
「手短にな」
「まず、これはいったいなんですか?狼が人の町を襲うなんて……」
「狼は人の町を襲わんよ」
「でも、これはどう見ても狼の死体――」
ジャンが獣の死体に近づこうとしたとき、エーベルハルトがジャンも腕をつかんで制止した。
「教訓その1。勝手に判断して動かぬことだ」
エーベルハルトは懐から拳銃を取り出し、獣の遺体に向けて発砲した。
パーン!
ひどく乾いた音が夜の街に響く。撃たれた獣は突然もがき苦しみだした。獣はまだ死んではいなかったのである。
グルルルルルルル……グゥゥゥ……ぬぅわぁぁぁああ!
なんともおぞましい光景であったが、ジャンは目を背けることすらできないほどの恐怖に駆られた。獣の死体だと思っていた、それはエーベルハルトの放った一発の銃弾によってまるで蘇ったかのように、しかし死への恐怖と苦しみとを混ぜ合わせたような悶絶を繰り返しながら、あろうことか獣は人の姿へと変身していったのである。
ぐっ、ぐっ、ぐるじぃぃぃ……しぃぃぃいい……死にたく……ぬわいぃぃ
動きが止まる。エーベルハルトは構えを解く。ジャンは見てはならないものを見てしまった気分にさいなまれ、自分の身体がひどく汚されたような不快感に耐え切れずに、思わず餌付いてしまった。
「こ、これはいったい……こんなことが、こんなことがあるんですか! あってもいいのですか!」
「神に対する冒涜。汚れた魂。万物の潮流に逆らう存在。人狼じゃよ」
「こ、こいつがオデットや、レイナルドを?」
「違うな。若いの。こいつはまがいものだ」
「まがいもの? なんですそれは?」
「人が人の道を失い、魂の汚れを是としたとき、まれに人でないものに変化することがある。それが世に言う人狼だ。卑しい人間が、その卑しさに似合う姿を神に与えられたとでも言うべきか。あるいは神に見放されると人は人でいられなくなるのか。まぁ、そのあたりはわしの専門ではない」
「まだ、遠吠えがいくつも聞こえます。まさか、ローヴィルはこんな化け物たちに襲われているというのですか。なんで、なんでこの町が――」
「若いの。わしも聞きたいことがある。魔女狩りなどと、そのよな蛮行をしなければならないほどに、この町の状況は厳しいのか?」
「そ、それは……そのことに町のすべての人が賛成をしているわけではないのです。そういうことを言い始めたのは、最初はごく一部の人たちの噂話でしかなかったのですが、いつのまにか、こんなことに」
「煽った者がおるな。あの不幸な少女が選ばれた理由も、その辺りにあるのだろう。まぁいい。過ぎてしまったことを悔いている時間はなさそうだ。だが、いずれ罪を償うときが訪れるし、自らの蛮行を悔いることができない者は、滅ぶしかない。この人狼のようにな」
「みんなを助けないと・・・・・・この銃でやつらは倒せるんですか?」
「ふむ。特殊な弾を使っておる。普通の銃では相手を傷つけることはできても致命傷は負わせられない。さらに今見たとおりに、とどめはより特殊な弾でなければならないのだが、あいにくそれほど数は持ち合わせておらんのだ」
「いったい、どれだけの数の人狼が入り込んだんでしょう」
「さぁ、どうだろうか。10以上20未満といったところか」
「そんなに!」
「心配はいらん。そうだな。あと2~3頭倒すことができれば、やつらはいったん引くだろう。群れというものはそういうものだ」
「それですべて終わりということですか?」
「いや、また明日の夜も来るだろうな。より警戒して犠牲が出ないように」
「それじゃあ、この町は!」
「今日を生き残れないものに、明日を語る資格はない。二つ目の教訓じゃ。いくぞ! 若いの」
ジャンは不満だった。聞きたいことをすべて聞けなかったこともそうだが、何よりも自分が名乗ったにも関わらず、エーベルハルトが名前で呼ぼうとしないことのほうが、じわじわとジャンの自尊心を傷つけた。しかし、同時に感心もした。ひとりでいるときはあれほど不安でしょうがなかったのに、このエーベルハルトという男といると安心できるのである。理屈ではなく、身体がそう反応していることに気づいたのは、さっきまでの身体の震えやこわばりを感じなくなったからに他ならない。エーベルハルトの背中は大きかった。
「この町にアベルという男がいるはずなのだが、知っておるか? 確か医者をしていると聞いたが」
「アベル・クラウスでしょうか? その人ならよく知っています。町のはずれで医者をやっています。娘さんと二人で……」
「娘、あー、あの金髪の……確かクリスとかいったかの」
「ご存知なんですか?」
「いや、朝方広場でな」
「クリスの分までお礼を申し上げます。彼女を助けてくださって、本当にありがとうございます」
「うん、あぁ、そうか。ふむ……そのアベルにすぐに会いたい。道を案内してもらおうか」
「い、今ですか?」
「そこまでの道のりで、多分何頭かに出会うことになる。時間は無駄にしたくない。これは戦争だ。若いの。先手を取られた。こちらは2歩先の手を打ててもそれで互角ということにはならんのだよ」
「夜道です。急いでも30分はかかります」
「かまわん。明け方までにつければ、それでよし。もっともアベルが襲われたら早いも遅いもない話だ」
「い、急ぎましょう。クリスに万が一のことがあったら……」
「案ずるな。アベルもあれで手強い男よ」
「そうなんですか。この町ではそんな話は聞いたことがありません」
「詮索無用」
ジャンはエーベルハルトに従い、それ以上話を続けるのをやめた。いや、何よりジャンはクリスのことが心配でならなかった。