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朔夜~月のない夜に  作者: めけめけ
第2章 闇に包まれて
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第19話 ひとつの別れ

 エドモンドは不満であった。エドモンドにとってもっとも不本意なことは、なんら自分の得にならないこと――いや、たとえ得になったとしても、身の危険を冒すようなことをすることは彼のもっとも嫌うことであり、誰よりもその『危険』を察知する能力があったからこそ、彼は今日まで無事に生きてこられた。そしてわずかばかりの富と名声を得たのである。富への執着がないわけでもないし、名誉は欲しい。しかし、それによって誰かにねたまれたり、よりによって命を狙われたりするようなことはあってはならない。


 うまくやる


 エドモンドにとってもっとも大事なのは自分の命であり、自分のため意外に身体を使うこと、頭を使うことを何よりも嫌っていた。それがままならないとき、エドモンドはひどく機嫌を損ない、ぶつぶつと独り言を繰り返すのであった。


「まったくもう、まったくもう、どうして私がこんなところでこんな目に会わなければならないのか。危うく怪物の餌食になるところだった。まったく……」

 口に出してはいえないことを、腹の中で叫ぶエドモンドである。

(大体、枢機卿はなんだって、私をこんな辺鄙なところに向かわせたのか? 私が一体どんな罪を犯したというのか? 枢機卿の機嫌を損なうことをした覚えはないぞ)

「だとすれば、これは誰かの差し金に違いない。一体誰が枢機卿に吹き込んだのだ……」


 エーベルハルトは聞こえないフリを決め込んでいる。そしてエドモンドはそれをいいことにわざとエーベルハルトに聞こえるように『聞こえてもいい部分』だけを声に出して言うのであった。

「それに、この町の連中ときたら、魔女狩りなどと、常軌を逸しておる。いまだにそんな野蛮なことをしている町があるなどと……」

「ほう! エドモンド司祭は魔女狩りを蛮行だと批難なされるのか」

「そ、それは――」

 エドモンドは一瞬言葉に詰まった。

「魔女は神にそむく存在であり、その罪は万死に値する。魔女には鉄槌を下さねばならん。しかし、実際に魔女を探し出すのは容易なことではない。それなりの専門家――つまり我々のような神職のものがやらなければ、こんな田舎町のしかも若造に魔女裁判などできようはずがない」


「ふん!」

 エーベルハルトもまた不機嫌であった。いや、このたびが始まってから、不機嫌でないときはなかったかもしれない。エドモンド司祭の人柄はわかってしまえばどうということはない。有益ではないが有害ということもない。強いて言えば、役立たずで愚図ということだが、役に立たないだけなら気にならないが愚図でおしゃべりなのはどうにも腹立たしかった。しかしそれは些細なことである。問題はこの旅そのものにある。


 この旅が決まったのは枢機卿に呼び出された1週間ほど前のことである。エーベルハルトは枢機卿の執務室に呼ばれた。人払いがされ、エーベルハルトは少しばかりの覚悟と少しばかりの諦めを胸に秘め枢機卿と対峙した。


「エーベルハルト殿、貴公にしか頼めんことじゃ。フランスと我が国の国境あたりで近頃妙な事件が起きておるそうじゃ。何でもある日突然小さな村や町から忽然と人の姿が消えるとか……獣の群れに襲われ、住人のほとんどが食い殺されたなどと、恐ろしい噂も立っている遠いう。昨今、天候不良による作物の不作や黒死病などのはやり病があちこちで起きている。まさかとは思うが、これは何かの凶兆かもしれん」

 枢機卿は静かに穏やかな口調で語り始めた。そして少しばかりの間――エーベルハルトは静かに一礼して言葉を発した。

「枢機卿、その話は私の耳にも届いております。枢機卿のご心配の種――禍々しい怪物がいるとなればそれを退治しろとおっしゃるのですか?」


 枢機卿は目を閉じ、首を横に振り、そして天を見上げながら答えた。

「ふむ。そうじゃな。貴公の察しの通りじゃ。このような時代に怪物だ化物だ悪魔だとそんなものは人の暗い闇にしか存在しないと私は考えておる。古くから言い伝えられているような――たとえば悪魔や魔女のような存在は、世の中の歪が生み出した怪物であると私は思っていた。しかし、そういったものがときに現実に形となって現れることもあるのだとしたら、そういうものを放っても置けまい。このようなときにこそ、神に仕える我らが手をこまねいているわけにはいかぬと私は思うのじゃ。ご苦労だが、手を貸してはくれまいか?」

 枢機卿の声は、万人の心に響く――いや、聞く者の心に忍び込み染込むような音楽の調べのようであり、響くというよりは深く深層心理の中に刻み込むような鋭さを秘めていた。


「仰せのままに。この老体でどこまでお役に立てるかわかりませんが、やれるだけのことはやってみましょう。で、私はどうすればよろしいでしょうか?」

「ご足労だが、準備が整い次第ローヴィルという町にまず出向いて欲しい。近隣の町や村にも人をやって情報を集めさせる。エーベルハルト殿はローヴィルでそのものたちからの情報を分析してことに対処して欲しい」

「かしこまりました」

「エドモント司祭を同行させよう。大して役に立たない男だが、邪魔にもなるまい」


 枢機卿は用心深い男である。エーベルハルトの見張り役としてエドモンド司祭を同行させたるにあたり、それをエーベルハルトにあからさまにわかるように伝えるところが、枢機卿に対してエーベルハルトが頭の上がらないところでもある。s

「司祭には私からよく言ってきかせる。貴公のやりやすいようにやればよい」

 それ以上枢機卿は何も語る気配がなかったのでエーベルハルトは深く頭を下げ、執務室をあとにした。エーベルハルトとエドモンドが顔をあわせたのはそれから3日後のことだった。エーベルハルトがこの人選の巧妙さを悟るのに一時間もかからなかった。


 枢機卿にしてみれば危険な任務であることを承知で人を出すのである。失っても痛くない人材――良くも悪くも凡庸な若い司祭は、決して冒険心や向上心に駆られて無茶はしない。エドモンドとはそういう男である。エーベルハルトはそれがわかるからこそ、エドモンドを多少なりとも気の毒には思うが、同情する気にはなれないし、まして親身になって諭すようなことは考えなかった。エドモンド自身、そんなことはありがた迷惑に決まっていたからである。


 エーベルハルトは、エドモンド司祭に提案をした。

「エドモンド司祭。ワシはハンターじゃ。獣を狩ることを専門としておる。それがたとえあのような化物であっても関係はない。私は専門化だ。しかしこの町には人狼という獣と魔女という問題を抱えている。魔女というのは私の専門ではない。ここはそれぞれの専門の分野を手分けして対処すると言うのはどうであろうか?」

 エドモンド司祭はエーベルハルトの意外な提案に一瞬戸惑い、そして打算を打ち出した。エーベルハルトは頼りになる。しかし、あの化物は尋常ではない。場合によってはエーベルハルトのような老練なハンターでも遅れを採ることがあるかもしれない。エーベルハルトがどうなろうとかまわないがそれにまき沿いを食うのは御免こうむりたい。

「なるほど、それは確かにそうかもしれん。この町の連中ときたら、魔女裁判がどれだけ難しいかまったくわかっていない。私のような中央の人間の知識と経験が必要であろうから、ここはそれぞれの分野で手分けをして問題の解決に当るべきかもしれんな」

「ふむ。まずはこの町の司祭――エドガーとかいったかな。あのものの協力を得て、この町に蔓延する魔女の恐怖の現況を突き止め、なんとしても蛮行を止めさせるのだな。そのような行為は凶事や悪しき魂を宿す輩を呼び寄せるものじゃ」


 こうしてエドモンド司祭とエーベルハルトは別行動をとることにした。そのことがその後の悲劇を呼び寄せたのかどうか、エーベルハルトは自問自答をすることになる。





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