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朔夜~月のない夜に  作者: めけめけ
第1章 運命の二人
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第16話 絶命

 レイナルドは純粋に小悪党であり、小心者であり、そのうえ欲深かった。これは恐れるよりも己の欲を優先することに長けており、彼はこれまでそうやって生きてきたのである。彼の周りの様々な環境がそれを許してきたのであるから、彼だけが悪いとは言えないのかも知れないが、しかし彼は根っからの悪人であった。その意味ではエドモンドは根っこのところでレイナルドとは違っていたのかもしれない。彼は欲望よりも身の安全を常に優先してきた。それは彼の環境がたとえどんなものであろうとも揺るぎのないものであり、その意味で彼は悪でも善でもなく、人間的であった。


 レイナルドは、変身した人狼の敵意が最初に自分に向けられたのだと感じたとき、取るべき行動をとるしかないと勝手に自分を追い詰め、それに従った。レイナルドは人狼がクリスに気を取られている隙に用意していた行動へのゴーサインを出した。すばやく地面に落ちた銃を取り上げ、狙いを人狼の頭部めがけて構えたのであった。その稜線上にオデットの顔を見たとき、レイナルドはオデットに照準を合わせなおして引き金を引いた。


「貴様!それは!」

 エーベルハルトは背後の気配を感じとり、右の肩越しにレイナルドの姿を、同時に人狼の姿を捕えられる位置に顔の向き直しながら叫んだ。しかし、それが間に合わないと判断するとすぐに身をかがめ左側へと身をよけた。


 ズドォーーーン!


 その銃声はマスケット銃やピストルとは違い、空気が破裂するような音であった。人狼は瞬時に身をかがめ、大勢を低く構えた。銃を撃ったレイナルドは妙な手応えにうろたえていた。エドモンドがエーベルハルトから預かっていた銃は散弾銃であった。鉄の小さな粒が四方に広がりながら対象物を面でとらえる銃である。通常鳥やウサギなど小型の獲物を狩猟するのに命中率を上げるために作られたその銃は、エーベルハルトによって近距離で相手に致命的なダメージを与える巨悪な武器に改造されていたのである。その銃がいま初めて人に向けられて発砲された。


 絶叫


 まずクリスが叫び、エドモンドが悲鳴をあげ、レイナルドが狂喜し、エーベルハルトが怒号を浴びせた。


 そして一瞬の間をおいて顔面を血で染めたオデットが小さく声を上げた。

「この苦しみを……あの男に……」

 人狼の跳躍力はエーベルハルトの予想をはるかに超えていた。人狼はその巨躯に不釣合いななほど軽快に右に小さくステップを切り、瞬時に前方にとびかかる。エーベルハルトは引き金を引いたが完全に急所を外した。2発目を撃つ間がないと判断したエーベルハルトはマスケット銃を両手でしっかりと握り、防御の大勢をとる。もしもエーベルハルトが2発目を撃とうとしたのならば、彼の首は人狼の鋭い爪によってふっとばされていただろう。人狼の爪による攻撃はマスケット銃によって防がれたが、その一撃でマスケット銃は使い物にならないほどに破壊され、エーベルハルトは相手の衝撃に身を任せはるか後方4メートルのところまで吹き飛んだ。これはエーベルハルトが相手の力に逆らわずにわざとその場に踏みとどまることをせずに足を浮かせたことによる。つまりエーベルハルトは二撃目に備えるべく間をとったのである。


 しかし、その二撃目はエーベルハルトにではなく別の人間に向けられた。

「よ、よせ! 来るな! 来るな!」

 レイナルドは引き金を引くも何もおきない。弾がない。レイナルドは銃を人狼に投げつける。人狼はそれを左腕で弾き飛ばす。

「何で俺がやめ……ラヲロロ」

 レイナルドが『やめろ』と言い切る前に、人狼の右の爪がレイナルドの口を左から右へ引き裂いた。レイナルドの下アゴはだらしがなく胸元まで垂れ下がり、真っ赤な鮮血がほとばしる。その返り血を浴びたのがエドモンドであり、エドモンドは口がきけないレイナルドの代わりに悲鳴を上げた。


ヒィィィィィィ!


 人狼は、前のめりに倒れこむレイナルドの頭部を左足で踏み潰す。グシャリという骨が砕けるいやな音がする。次の瞬間人狼は、エドモンドを威圧し、エーベルハルトをけん制し、ゆっくりと後ずさりする。


「オデット! オデット! 嗚呼、なんてことなの。どうしてこんなことに……」

 クリスはまるで人狼の存在など意に介さずにオデットのところに駆け寄っていた。

「ク……クリスなの」

「オデット!オデット!」

「お願いクリス、私を助けて……魔女として生きたまま焼かれるなんていや。私を殺して頂戴。これ以上の辱めは……」

「できない。できないわよ。そんなこと……嗚呼、オデット、私、どうすればいいの」


「魂ノ欲スルママニ……我望ミヲ叶エン」

 人狼の声が聞こえたのは、クリスだけだった。オデットはすでに意識を失い、エドモンドは完全にパニックを起こしていた。エーベルハルトの位置では遠すぎて聞こえなかった。

「えっ?」

 クリスがようやく近づいてきた人狼に気づき、身をかがめると同時にエーベルハルトが大声で叫ぶ。

「逃げるんだ! 娘! 何をしておる! 死にたいのか!」

 エーベルハルトは、使い物にならなくなったライフルを人狼の背中に投げつけると同時に腰に差したピストルをすばやく構える。人狼は、投げつけられたマスケット銃を右手で弾き飛ばし、その隙にクリスは3歩後ろに下がる。エーベルハルトはそれを確認すると人狼の頭部に照準を合わせ、引き金を引きかけたが、人狼の鋭い眼光を見たときに絶対によけられると悟った。


「畜生! これじゃあ打つ手がない!」

 人狼はエーベルハルトをにらみつけたままゆっくりと下がり、血だらけのオデットの背後に回った。

「あの野郎、いったい何をするつもりなんだ……」

 人狼はオデットの左の頬に頬ずりをし、オデットの首筋にその大きな口で噛み付いた。エーベルハルトは唖然とそれを見守るしかなかった。もしも人狼がか弱い少女の血肉を欲してその首筋にかぶりついたのであれば、エーベルハルトはそこに一瞬の隙を見つけ、人狼の頭部に弾丸を撃ち込むことができたであろう。しかし、人狼はまるで死に苦しむ少女を介錯するかのように瞬時に首の骨を折り、少女を絶命させるとすぐにかむのをやめてしまったのである。


「なんて目をしやがるんだ。すべての悲しみを背負ったかのようなあの目……」

 エーベルハルトは苛立っていた。ままならない戦場いくさばに対してはもちろんであるが、何か心に引っかかるような断片的な記憶のかけら……思い出しそうで思い出せない、喉に小骨が引っかかったかのような不快な感覚がどうにも許せなかったのである。


 そしてクリスもまた、複雑な気持ちでその様子を見守っていた。オデットの傷は決して浅くはなかった。運よく命を取り留めたとしても、今の医学ではオデットの顔を元通りに戻すことなどできるはずもなく、しかも命を取り留めたことそのことが魔女であるとされることは間違いない。魔女として処刑されれば、生きたまま焼かれ死ぬのである。その苦しみと恥辱に比べれば、この世のものではない怪物に殺されたとしても、まだそのほうが彼女にとってよかったのかもしれない。そしてオデットも死を望んでいた。


「あの人狼はオデットの願いを叶えると言ったわ。いや、違うわね。確か魂とか言っていたかしら……それにあの目、なんて悲しみにあふれた目をしているの」

 

 ガルルルルルルルルゥゥゥ


 人狼が大きな唸り声を上げる。身をかがめ再び狼の姿へと変身し、林の中へと姿を消していった。クリスはオデットの縄を解き、何とかオデットの顔の血をふき取ろうとしたが、どうすることもできず、持っていたハンカチで顔を覆って、両手を胸の前にそろえてあげた。


「娘、傷心のところを申し訳ないのだが、少し話を聞かせてもらってもかまわんかね」

「えっ、ええ、でも、お願い。少し……もう少しだけ時間をくださいな」

「エドモンド司祭! いつまで呆けているつもりだ! 神職たるものやるべきことがあるだろうが!」

 しかし、エドモンドは反応しない。エーベルハルトはもう一言言おうとして、それを諦め、散弾銃と完全に折れ曲がったライフルを拾い上げ、破損した箇所を点検して時間をつぶすことにした。








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