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朔夜~月のない夜に  作者: めけめけ
第1章 運命の二人
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第15話 変身

 エドモンドは気が気ではなかった。目の前の怪物がいつ自分に襲いかかってくるかわからない状態で他人の面戸をしかも他人の指示で行うなど、彼の信条に背くことこの上なかった。


「な、なんで私がこんなことを……」


 その言葉をもしももう一度口にしたのならば、怪物に向けられたエーベルハルトの銃口は間違いなく自分に向けられるだろう。そのことがわかるだけに、エドモンドはエーベルハルトの指示に従わざるを得なかった。そして心の中では――もしも、これで生き延びることができたなら、もうこんなことに付き合うのは御免こうむりたい――と思いはするものの、結局のところそれすらもままならない。なぜならエドモンド司祭は、もっと逆らうことのできない存在――枢機卿の指示で不本意ながらこの男と、そしてこの地に訪れたのである。その意味でエドモンドは首を横に振りながらエーベルハルトの指示に従ったのである。エーベルハルトはエドモンドのそんな心の内を探るよりもはるかに重要な問題に直面していた。


「あの野郎、だんだん間合いを詰めてやがる」

 銀色の巨大な狼は、エドモンドが左右に動きながら、死角――エーベルハルトの銃口と標的を直線で結ぶところに一人の少女が柱にしばりつけられ動けないでいる――から抜けようとするたびに、狼は左右に身を動かし、死角に隠れ、しかも少しずつ間ワイを詰めてエーベルハルトに近づいているのである。そして当然にエーベルハルトよりも先にオデットに肉薄することになる。


「畜生、なんて野郎だ!」

 エーベルハルトは悪態をつき、エドモンドが腰を抜かして喚き散らしているレイナルドを抱えて後ろに下がるのに合わせて、少しずつ後退した。それは万が一1発目を外すか、或いは致命傷を負わすことができなかった場合に、2発目を打つまでの最低限必要な距離であり、そのことをまるであの銀色の巨大な狼が熟知しているかのような動きをしていることへの絶望的な賛辞であった。ふと、エーベルハルトは前に似たようなことがあったような感覚に襲われたが、それを考える余裕はなかった。そして事態はさらに混沌とした状態へと進んでいく。


「オデット!」

 それは意外な方向からの叫び声であり、その声はその場の緊迫した空気を一瞬緩和させるような心地のいい澄んだ響きをしていた。その場の時間はすべてその声の主――クリスティーヌ・クラウスの支配化に置かれた。

「お願い! どうかその哀れな娘を助けてください。それが叶うのであれば、私はこの身を捧げても構わない。どうかオデットを、オデットを助けて!」

 その声に狼は大きな耳を傾ける。ハンターは狼に隙はないかと集中力を高める。傍観者は何が起きたのかわからずただただ見守るしかなかった。そして臆病で卑怯な男は、ついに決心を固める。レイナルドはエドモンドが抱えていた銃がその場に転げ落ちているのを目にした。銃の使い方はわかる。少し形は変わっているが、引き金を引けば弾は出るだろう。


「まったくどうなっているんじゃ! この町の住人は! はやくそこから逃げるんじゃ! 狙撃の邪魔じゃ!」

 エーベルハルトがレイモンドの不逞なたくらみに気が付かなかったことは責められない。エドモンドにしても言われた通りのことをする以外に気を回せるほど余裕はなかった。レイナルドは不逞なたくらみを実行するタイミングを虎視眈々と狙っていた。クリスは、必死に状況を把握することに努めた。目の前に銀色の巨大な狼がいる。その向こうに柱に縛られたオデット……どうやらまだ、刑は執行されていないようだ。そしてその向こうに3人の男。一人は銃を構えそのいでたちからおそらくは老練なハンターのようだ。もう一人は見知ら神職の男。そしてあと一人は見知った男――確かレオナルド・シルベストルとかいう鼻もちならない男。


「どうしてあの男が……」

 そして聡明なクリスは、ハンターと狼の位置の真ん中に哀れな少女オデットが縄でしばりつけられ、動けないでいることに気が付く。一触即発。もしも老練なハンターでなければ、事態は最悪な状況に陥っていたのかもしれない。そこまで把握するとクリスのとるべき行動ははっきりしていた。

「私がおとりになります。だからお願い。オデットを助けてちょうだい」

 そう老練なハンターに告げるとクリスは、林の中からオデットを軸に、時計回りに動き出し、しかも少しずつ狼に近づいた。

「バカなことを! よしなさい! 命を無駄にするんじゃない!」

 そう叫んだのは老練なハンターではなく、神職の人間だった。珍しくエドモンドは能動的な行動に出た。というよりは事態があまりにも急転するので不平を言っただけなのかもしれない。


「大丈夫。私、あの方の腕を信じていますから」

 クリスがいう「あの方」とは、エーベルハルトのことであり、エーベルハルトもその期待に応えるべく全神経を集中させ寡黙になった。銀色の巨大な狼は、耳だけをクリスのいる方向に向け、視線は常にハンターの銃口と指先にあった。クリスが最初にいた位置がオデットを中心とした時計の位置の12時だとすれば、クリスが3時の位置まで移動したとき、オデットと狼の距離は1メートル、クリスト狼の距離は3メートルというところで、事態はさらに変化した。


 ガルルルルルルルルルルゥ


 銀色の巨大な狼は地面が震えるような低くそして大きな唸り声をあげた。まがまがしい空気が一気に圧縮され、その場ではじける。その高さ有に2メートルを超え、人の姿にして人に非ず、獣の姿にして獣に非ず、銀色の巨大な狼は人狼へと変貌したのである。


「我、黒き望みをかなえる者、悲しき想いを見つめる者、深き闇をさ迷う魂の叫びに、耳を傾ける者」


「嗚呼……どうか、どうかあの男に報いを……あの男の口をふさぐことができるのであれば、私の魂を捧げます」


 それはすすり泣くオデットの心の叫びであった。

 それはレイナルドに辱めらた魂の黒き望みであった。

 それは死してなお、汚されてしまう魂の悲痛な叫びであった。


「だめ! だめよオデット!」

 なぜかはわからないがクリスにはオデットの心の叫びが聞こえた。そしてそのことはのちにクリスの心の引っ掛かりとなる。

 人狼が一瞬クリスの叫びに反応する。人狼にとって、それは予想外の出来事だったようだ。エドモンドは悲鳴を上げながら後ずさりする。ハンターは致命傷を与えるべき頭の位置があらぬ方向に移動したことで、一瞬照準を外してしまう。このときもっとも冷静だったのがほかならぬレイナルドであったことは、まさしく悲劇である。


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