普通の依頼
依頼は、ごく普通だった。
旧街道沿い
魔物の目撃情報あり
危険度:低
報酬:銀貨数枚
「……簡単そうですね」
掲示板の前で、リゼットが言う。
「簡単だろうな」
バルトは、紙を剥がしながら頷いた。
「最近は、
こういうのが一番ありがたい」
ノイルは、少し離れた場所で待っていた。
名もなき木の棒を、肩に担いでいる。
軽い。
変わらない。
それが、少しだけ不思議だった。
「……行くか」
短く言って、歩き出す。
街を出る。
旧街道は、以前より歩きやすくなっていた。
道端の石が整い、
草も踏み固められている。
「……整備、入ったんですかね」
リゼットが言う。
「いや」
バルトは首を振る。
「依頼が回る前に、
誰かがやってる感じだ」
「誰か、ね」
ノイルは、特に意味を込めずに呟いた。
しばらく進む。
森に近づくにつれて、
空気が変わる。
静かすぎる。
「……魔物、いるか?」
「気配は薄い」
バルトが、周囲を警戒する。
「だが、
“何もいない”って感じでもない」
旧街道の脇。
倒れた標識が、半分土に埋もれていた。
「ここだな」
足跡は少ない。
荒らされた形跡もない。
普通だ。
「……本当に、低危険度か?」
リゼットが小さく言う。
「油断するなってことだ」
バルトはそう返す。
ノイルは、棒を見た。
いつも通り。
何も起きていない。
振動もない。
違和感もない。
「……行ける」
理由はない。
ただ、そう思った。
森の中へ入る。
光が落ち、
足元が暗くなる。
枝を踏む音が、
やけに大きく聞こえた。
その時。
――視線。
ノイルは、足を止めた。
「……止まれ」
二人が、即座に動きを止める。
「どうした?」
「見られてる」
森の奥。
木々の隙間。
一瞬だけ、
何かが動いた。
魔物の気配とは、違う。
「……人か?」
バルトが、低く言う。
「分からない」
ノイルは答えた。
名もなき木の棒は、
まだ沈黙している。
だが――
いつもより、少しだけ“静かすぎた”。
「……普通の依頼だよな」
バルトが、冗談めかして言う。
ノイルは、答えなかった。
森の中で、
風が止んだ。
鳥の声も、消えた。
何かが、
近づいている。
それでも、
依頼書の内容は変わらない。
低危険度。
銀貨数枚。
――普通の、依頼だ。
少なくとも、
書類の上では。
最初に来たのは、音だった。
――布が、擦れる音。
次に、気配。
森の空気が、
不自然に割れる。
「――っ!」
バルトが、剣を抜く。
同時に。
影が、降りてきた。
前。
左右。
背後。
気づいた時には、
三人は囲まれていた。
「……っ、いつの間に……!」
リゼットが、息を呑む。
相手は、人間だった。
だが、顔が見えない。
全員、
無表情な面で顔を覆っている。
目の位置に、細い穴。
感情は、読み取れない。
「通り魔か?」
バルトが低く問う。
返事はない。
代わりに、
一人が一歩前へ出た。
立ち位置。
歩き方。
明らかに、リーダー格。
「……その棒を、渡せ」
声は、低い。
感情が、混じらない。
「断る」
ノイルは即答した。
間。
空気が、張り詰める。
「それは――」
リーダーが、言いかけた。
「お前が持っていいものじゃない」
次の言葉を、
言わせなかった。
名もなき木の棒が――
強く、震えた。
今までとは、違う。
空気が、
一段、落ちる。
「……っ!?」
リゼットが、膝をつく。
バルトの視界が、揺れた。
息が、重い。
棒から、
何かが“溢れた”わけじゃない。
ただ、
“近づいてはいけない”という前提が、
世界に書き足された。
「……やめろ」
リーダーの声が、初めて揺れた。
だが、遅い。
ノイルは、構えていない。
振ってもいない。
それでも。
――衝撃。
見えない何かが、
正面の地面を抉った。
土が、舞う。
木が、軋む。
面の集団が、
一斉に後退した。
「……まさか……」
リーダーが、呻く。
面の奥から、
明確な動揺が滲む。
「……貴様如きが……」
視線が、
ノイルの手元に吸い寄せられる。
「……選ばれたと言うのか!?」
その言葉だけが、
はっきりと残った。
次の瞬間。
「撤退!」
短い号令。
面の集団は、
即座に散った。
追う隙はない。
気配が、
森に溶ける。
まるで、
最初からいなかったように。
静寂が、戻る。
「……はぁ……っ」
リゼットが、肩で息をする。
「い、今の……何ですか……」
バルトは、剣を下ろしたまま動かない。
「……敵、だよな?」
「多分な」
ノイルは、棒を見る。
震えは、もう止まっている。
軽い。
いつも通り。
「……説明、しようとしてたな」
バルトが、ぽつりと言う。
「“それは――”って」
「途中で止めた」
ノイルは言った。
「……止めた、というより」
リゼットが、言葉を選ぶ。
「止められた感じでした」
三人とも、
その感覚を否定できなかった。
森の奥。
もう、何もいない。
だが。
「……面倒だな」
ノイルは、短く呟く。
普通の依頼。
普通の危険度。
それなのに。
“知っている連中”が、
こちらを知っていた。
名もなき木の棒は、
今日も何も語らない。
ただ。
“触れてはいけないもの”だと
知っている者にだけ、
はっきり反応した。
しばらくの間、誰も動けなかった。
森は、何事もなかったように静かだ。
鳥の声が戻り、風が枝を揺らす。
だが――
さっきまで、確かに“何か”がいた。
「……追わないのか」
最初に口を開いたのは、バルトだった。
「逃げた方向は分かる」
ノイルは、首を振る。
「意味がない」
「……確かにな」
あの撤退は、迷いじゃない。
最初から“深追いしない”前提だった。
リゼットが、面が落ちていた場所を見つめる。
「……あの人たち」
しゃがみ込み、地面を確かめる。
「足跡、ほとんど残ってません」
「訓練されてる」
バルトが言う。
「冒険者でも、兵士でもない。
……少なくとも、普通じゃない」
ノイルは、棒を見た。
名もなき木の棒。
軽い。
沈黙している。
だが、
さっきの“反応”は、はっきり覚えている。
「……あいつ」
ノイルが、低く言う。
「何かを知ってた」
「“選ばれた”って言葉か」
バルトが、即座に拾う。
「気になるな」
「分からない方が、いい気もします」
リゼットが、小さく言った。
無理に笑おうとして、やめる。
「……あの感じ」
続ける。
「怖がってた、というより……
確信してました」
ノイルは、黙ったまま歩き出す。
旧街道を戻る。
依頼の目的は、果たせていない。
魔物も見つけていない。
それでも。
「……依頼、失敗だな」
バルトが言う。
「報告はどうする?」
「そのままでいい」
ノイルは答えた。
「“何もなかった”で」
嘘ではない。
魔物はいなかった。
街道は無事だ。
ただ、
別の何かが通っただけ。
街が見えてくる。
灯り。
人の声。
いつも通りだ。
「……なあ」
バルトが、歩きながら言う。
「これから、
こういうのが増えると思うか?」
「分からない」
ノイルは、正直に答えた。
一拍。
「でも――
もう“偶然”じゃない」
リゼットが、ゆっくり頷く。
「……知ってる人たちが、いますね」
「ああ」
バルトは、息を吐く。
「しかも、
あんたじゃなくて……」
視線が、棒に向く。
「それを、だ」
宿に戻る。
扉を閉めると、
外の音が遠ざかる。
名もなき木の棒を、壁に立てかける。
ただの木。
いつも通り。
ノイルは、しばらくそれを見てから、言った。
「……持っていいものかどうかは」
一人ごとのように。
「俺が決める」
棒は、何も答えない。
だが。
森の奥で、
確かに“知っている者たち”が動き出した。
世界の異常を知る者。
棒の価値を知る者。
そして――
ノイルが、選ばれた事実を否定できない者たちが。
静かな夜は、続いている。
だがもう、
何も知らなかった頃には戻れなかった。




