取り戻すだけだ
最初に笑ったのは、ガルドだった
「……はは」
酒場の奥、
薄汚れたテーブルを囲んで、
元パーティの面々は肩を揺らしていた。
「聞いたか?」
ガルドが、酒杯を鳴らす。
「坑道が半壊したって話」
「聞いた聞いた」
女剣士が、鼻で笑う。
「魔物討伐のついでに崩れたとか、
どんな大げさな話だっての」
「しかもな」
ガルドは、声を潜める。
「木の棒一本でやったらしい」
一瞬、沈黙。
次の瞬間、
どっと笑いが起きた。
「木の棒!?」
「冗談だろ!」
「誰だよ、そんな話信じてるの!」
ガルドは、満足そうに口角を上げた。
「……ノイルだ」
笑いが、止まる。
「追い出した、あのノイル」
空気が、一段冷えた。
「……あいつが?」
僧侶が、眉をひそめる。
「役立たずだったじゃない」
「そうだ」
ガルドは、即答した。
「だから、おかしい」
指で、机を叩く。
「噂が誇張されてるだけだ。
いつものことだろ?」
「だよね……」
女剣士が、頷く。
「ノイルは、
判断が遅くて、
火力もなくて、
装備もダメで……」
そこまで言って、
言葉が止まった。
「……装備?」
僧侶が、首を傾げる。
「そうだ」
ガルドの目が、細くなる。
「装備を全部、置いていかせた」
一拍。
「つまりだ」
ガルドは、ゆっくりと言った。
「あの棒は、元々俺たちのものだ」
「……は?」
「拾っただけだろ、どうせ」
ガルドは、当然のように続ける。
「ノイルは、
運が良かっただけ」
「噂が勝手に盛られてるだけだ」
テーブルを囲む全員が、
少しずつ納得していく。
「なら……」
女剣士が、笑った。
「取り戻すだけね」
「そういうことだ」
ガルドは、立ち上がる。
「直接、確かめる」
視線が、酒場の入口へ向く。
「今、街にいるらしい」
僧侶が、不安げに言った。
「……人目は?」
「好都合だ」
ガルドは、歯を見せた。
「衆人環視で、
あいつが何もできないって証明する」
誰も、反対しなかった。
いや――
できなかった。
胸の奥に、
わずかな違和感があったが、
それを口に出す者はいない。
「行くぞ」
ガルドが言う。
「今度こそ、
終わらせる」
彼らは知らない。
噂の中心にあるものが、
もう“武器”ですらないことを。
そして――
勝負になると思っている時点で、
もう、間違っていることを。
通りは、人が多かった。
夕方前。
買い物帰りの市民、酒場へ向かう冒険者。
ちょうど“見られる”時間帯。
「……いたぞ」
ガルドが、顎で示す。
通りの向こう。
ノイルは、バルトとリゼットと並んで歩いていた。
いつも通りの格好。
いつも通りの歩幅。
――木の棒も、いつも通り。
「拍子抜けだな」
女剣士が、鼻で笑う。
「全然、強そうに見えない」
「だから言ったろ」
ガルドは、余裕の笑みを崩さない。
「噂なんて、そんなもんだ」
数歩、前に出る。
「おい、ノイル」
声を張った。
周囲の視線が、集まる。
ノイルが、足を止めた。
「……何だ」
それだけだった。
「随分、派手な噂になってるじゃないか」
ガルドは、わざと大きく言う。
「木の棒一本で、坑道半壊?
魔物瞬殺?」
笑う。
「いつから、そんな嘘つきになった?」
リゼットが、一歩前に出かけるが、
ノイルが軽く手で制した。
「用件は?」
淡々とした声。
「簡単だ」
ガルドは、腰の剣に手をかける。
「その棒、返せ」
一瞬、通りが静かになった。
「元は俺たちの装備だ」
「お前に使いこなせる代物じゃない」
ノイルは、棒を見た。
ささくれだらけの、
ただの木。
「……違う」
「何がだ?」
「これは、俺のだ」
ガルドの笑みが、消えた。
「言うようになったじゃないか」
剣を抜く。
「なら、実力で――」
ガルドは、勝った後の光景を想像していた。
周囲の冒険者が笑い、
ノイルが言い訳をする――
いつもの、あの結末を。
名もなき木の棒が、わずかに、震えた。
その先が、続かなかった。
名もなき木の棒が、
わずかに、震えた。
音は、ない。
光も、ない。
ただ――
空気が、変わった。
「……?」
最初に異変に気づいたのは、
女剣士だった。
喉が、詰まる。
呼吸が、うまく合わない。
「……なに、これ……」
足が、前に出ない。
視線が、
棒から、逸らせない。
僧侶が、震える声で呟く。
「……近づいちゃ、ダメ……」
「は?」
ガルドは、苛立って一歩踏み出す。
――その瞬間。
膝が、笑った。
「……っ!?」
踏ん張れない。
剣を握る手が、
理由もなく、震える。
頭の奥で、
警鐘が鳴り響く。
――間違っている。
何が、とは分からない。
ただ、
ここに立っていること自体が、間違いだ。
「ガ、ガルド……」
女剣士の声が、裏返る。
「……やめよう……」
「何言って――」
言い切れなかった。
視界が、歪む。
棒が、
武器に見えない。
生き物にも見えない。
だが、
**“触れてはいけないもの”**だと、
本能が理解してしまった。
ノイルは、何もしていない。
棒を構えもしない。
ただ、立っているだけだ。
「……帰れ」
低い声。
それだけ。
限界だった。
「う、うわああっ!」
誰かが、叫んだ。
僧侶が、
後ずさり、転ぶ。
「む、無理……無理無理無理……!」
女剣士は、
涙を浮かべながら、
その場から逃げ出した。
「待て!」
ガルドが叫ぶが、
自分の足も、動かない。
視線を下げる。
剣が――
地面に落ちていた。
「……っ、くそ……!」
歯を食いしばる。
だが、
恐怖が、理屈を上回る。
最後に見たのは、
ノイルの目。
怒りも、侮蔑もない。
ただ、
どうでもよさそうな視線。
「……違う……」
ガルドは、かすれた声を漏らす。
「……こんなの、聞いてない……」
次の瞬間、
彼も、背を向けて走り出していた。
――逃げる、というより、
逃げずにはいられなかった。
通りに、沈黙が落ちる。
周囲の人間は、
誰も声を出さなかった。
ノイルは、棒を見下ろす。
もう、何も起きていない。
「……なんだったんだ、今の」
バルトが、低く呟く。
リゼットは、
しばらく黙ってから言った。
「……戦って、ません」
「だな」
ノイルは、肩をすくめる。
「勝負にも、なってない」
三人は、そのまま歩き出す。
背後では、
何も説明できない光景だけが、
人々の記憶に残っていた。
最初に変化があったのは、酒場だった。
「……聞いたか?」
夕方、仕事終わりの冒険者が、杯を傾けながら声を潜める。
「何がだ?」
「今日の通りの騒ぎ」
一拍置いてから、続ける。
「追放した元仲間に絡みに行った連中がさ……」
向かいの男が、眉をひそめた。
「ガルドのパーティか?」
「ああ」
言った瞬間、
周囲が、微妙な顔をした。
「……で?」
「何も起きてない」
「は?」
「剣も振ってない。
魔法も飛んでない」
語り手は、肩をすくめる。
「なのに――
全員、泣きながら逃げた」
沈黙。
次の瞬間、
小さな笑いが漏れた。
「……冗談だろ」
「いや、通りにいた奴が何人も見てる」
「ガルド、剣落としてたってさ」
「え、マジで?」
笑いが、広がる。
そこに、別の客が割って入る。
「俺も見た」
低い声。
「近づこうとして、
急に腰が抜けたみたいになってた」
「……理由は?」
「分からん」
首を振る。
「ただ、
木の棒を持った男が、立ってただけだ」
酒場の空気が、少し変わる。
「……あの噂の?」
「坑道半壊の?」
「木の棒一本で?」
点と点が、
勝手に線になる。
別のテーブルから、笑い声。
「なあ、聞いたか?
逃げる途中で転んだ時――」
言いかけて、
周囲を見回す。
声を落とす。
「……ズボン、濡れてたって話」
一瞬。
そして――
爆笑。
「うわ、最悪だな!」
「冒険者として、終わりだろ!」
「そりゃ泣くわ!」
誰も、確認はしていない。
だが、
一度出た話は、止まらなかった。
⸻
一方、その噂の当人たちは。
宿の奥、
人目を避けるように集まっていた。
「……外、出られねぇ」
女剣士が、震える声で言う。
「視線が……」
「……黙れ」
ガルドは、俯いたままだ。
握りしめた拳が、
小刻みに震えている。
「……あれは……」
誰も、続きを言えない。
棒がどうとか、
力がどうとか、
もう、どうでもよかった。
ただ一つ、共通しているのは。
二度と、近づきたくない
という感覚。
「……なあ」
僧侶が、かすれた声で言う。
「……俺たち、本当に……
あいつを追い出したんだよな……?」
答えは、出なかった。
⸻
その夜。
街では、
こんな話が囁かれるようになる。
•「木の棒を持ってるだけで、人が逃げるらしい」
•「戦う必要すらないってさ」
•「名前も知らないのに、近づけないとか……」
誰かが、冗談めかして言った。
「……あれ、
武器じゃなくて呪いなんじゃねぇの?」
笑い声。
だが、
誰も否定しなかった。
⸻
宿の一室。
ノイルは、ベッドに腰掛け、
名もなき木の棒を壁に立てかけていた。
いつも通り。
何も起きていない。
「……なんか、静かだな」
ぽつりと呟く。
リゼットが、苦笑する。
「……多分、
近づきたくないんだと思います」
「何で?」
「さあ……」
バルトは、窓の外を見ながら言った。
「噂ってのはな」
一拍置く。
「本人が何もしなくても、
勝手に完成するもんだ」
ノイルは、棒を見る。
軽い。
ただの木。
「……面倒だな」
それだけ言って、横になった。
名もなき木の棒は、
今日も何も語らない。
だが。
街ではもう、
“近づいてはいけないもの”として、
しっかり名前のない存在になっていた。




