棒ではなかった
森を抜けたところで、三人は足を止めた。
街へ続く道は、もう見えている。
緊張が、ようやく抜け始める距離だった。
「……今日は、ここまでだな」
バルトが、肩の力を抜いて言った。
「さすがに、さっきの連戦は想定外だ」
「助かりました」
リゼットが、素直に頭を下げる。
「いえ……」
バルトは苦笑した。
「助かったのは、俺の方だ」
視線が、ノイルの手元に向く。
――名もなき木の棒。
いつも通り、
ささくれていて、軽くて、
どう見ても武器に見えない。
「……なあ、ノイル」
バルトが、少し言いにくそうに口を開いた。
「しばらく、同行させてもらってもいいか」
ノイルは、少し驚いた顔をした。
「理由は?」
「さっきの戦いを見て、
俺一人じゃ、判断を誤る場面が多いと分かった」
正直な言葉だった。
「それに――」
言葉を切り、続ける。
「この先、
あんたの“運”を一人に任せるのは、危険だ」
ノイルは、少し考えた。
拒む理由はない。
積極的に誘う理由も、ない。
「……好きにしろ」
「助かる」
バルトは、短く答えた。
三人は、道端の倒木に腰を下ろす。
リゼットが、水袋を取り出した。
「少し休みましょう。
回復も、最低限しておきたいです」
「頼む」
ノイルは、木の棒を地面に立てかけた。
その瞬間だった。
違和感。
棒が、
地面に“刺さらなかった”。
「……?」
ノイルは、もう一度置き直す。
だが、
棒は地面に触れたはずなのに、
そこに重さがない。
まるで、
影だけがそこにあるような。
「……ノイルさん?」
リゼットの声が、少し震えている。
ノイルは、棒を見た。
――それは、木ではなかった。
表面が、ゆっくりと揺らいでいる。
色が定まらない。
木目が、消えたり現れたりする。
触れた感触が、分からない。
「……なに、これ」
リゼットが、息を呑む。
バルトも、無言で立ち上がっていた。
「……魔法じゃない」
低い声。
「少なくとも、
俺が知ってる類のものじゃない」
ノイルは、言葉を失っていた。
戦闘中の変化とは、違う。
あれは、
「使える形」になっていただけだ。
でも、今のこれは――
形が、存在していない。
数秒。
あるいは、ほんの瞬きの間。
揺らぎは、すっと収束した。
次の瞬間。
名もなき木の棒は、
何事もなかったかのように、
元の姿に戻っていた。
「……戻った?」
リゼットが、小さく呟く。
ノイルは、恐る恐る棒を掴む。
軽い。
ささくれだらけ。
いつもの、ただの棒。
「……さっきの、見間違いか?」
誰も、すぐには答えなかった。
バルトが、ゆっくりと首を振る。
「三人同時に、
同じ幻を見る確率は低いな」
リゼットも、小さく頷く。
「……はい」
ノイルは、棒を手放さなかった。
理由は、分からない。
ただ。
「……これ、棒じゃないな」
初めて、そう口にした。
バルトは、静かに息を吐いた。
「だろうな」
それ以上、踏み込まなかった。
三人は、再び歩き出す。
街は、もうすぐそこだ。
だが。
名もなき木の棒は、
もう“ただの武器”ではなくなっていた。
街の外門は、いつもより騒がしかった。
「まだ戻らないのか?」
「もう日が傾くぞ!」
門番たちが、落ち着かない様子で外を見ている。
「何かあったんですか?」
リゼットが、通りすがりの兵に声をかけた。
「ああ……討伐依頼だ」
兵は、額の汗を拭いながら答える。
「森に出た魔物の群れを、
今朝からパーティが処理してる」
バルトが、眉をひそめた。
「この時間で戻らないのは……」
「苦戦してる可能性が高い」
そのときだった。
地響き。
門の外、街道の先から、
悲鳴と怒号が聞こえてくる。
「――来るぞ!」
門番の叫び。
次の瞬間、
傷だらけの冒険者たちが、
必死の形相で駆け込んできた。
「止めろ!
門を閉じるな!」
その背後。
魔物が、追ってきていた。
「……数が多い」
バルトが、低く言う。
大型。
硬質な外殻。
群れ。
「このままじゃ、
街まで巻き込まれる……!」
門番たちが、槍を構える。
ノイルは、足を止めていた。
「……通り過ぎるだけだ」
そう呟く。
関わる理由は、ない。
そのはずだった。
カチリ。
手の中で、
嫌な感触がした。
「……やめろ」
ノイルは、棒を握りしめる。
「今は、やめろ」
だが、
名もなき木の棒は、
聞かなかった。
魔物の一体が、
門に向かって跳ぶ。
その瞬間。
ノイルの身体が、前に出た。
「――っ!?」
誰かの声。
ノイルは、
ただ棒を地面に叩きつけた。
ドンッ。
音は、それだけだった。
だが。
地面が、割れた。
魔物の足元から、
一直線に亀裂が走る。
群れが、まとめて崩れ落ちた。
「……え?」
門前が、静まり返る。
魔物たちは地面に足を取られたまま、動かなくなっていた。
息はある。
だが、前に進めない。
ノイルは、呆然と立っていた。
「……今の」
バルトが、言葉を失う。
リゼットも、口元を押さえている。
周囲の視線が、
一斉にノイルへ向けられた。
門番。
冒険者。
通行人。
誰も、声を出せない。
「……いや」
ノイルは、慌てて棒を下ろす。
「俺じゃない」
言い訳のつもりだった。
「偶然だ。
地面が脆かっただけだ」
だが。
誰一人、
その言葉を信じる顔はしていなかった。
冒険者の一人が、
震える声で呟く。
「……棒、一本で?」
門番が、喉を鳴らす。
「……ギルドに、報告だ」
バルトは、静かに言った。
「これは……
隠せる話じゃない」
ノイルは、棒を見る。
もう、ただの木の棒だ。
何も、起きていない。
「……やっぱり、目立ったな」
誰にともなく、そう呟いた。
その背後で。
人々の視線が、
ゆっくりと**“噂”に変わっていく**のを、
ノイルはまだ知らなかった。
ギルドの奥にある小部屋は、やけに簡素だった。
応接室というより、
判断を先送りするための部屋。
そんな印象を受ける。
ノイルは椅子に座り、向かいの三人を見ていた。
誰も威圧しない。
誰も責めない。
だが――誰も興味を示していない。
「街門前での件は、確認した」
年配の職員が、書類をめくりながら言った。
「目撃者多数。
魔物は複数。
使用武器は……木製の棒、一本」
淡々とした声。
「説明は求めない」
ノイルは、少しだけ目を瞬いた。
「……求めないのか?」
「求めても、意味がない」
即答だった。
別の職員が、水晶を机に置く。
「一応、形式だけは踏む」
光が灯る。
――すぐに消えた。
「……やはり、判定不能」
「魔力反応、測定不可」
「武装登録……不可」
三人とも、特に驚いた様子はなかった。
まるで、
そうなると最初から分かっていたかのように。
「つまり」
年配の職員が、書類を閉じる。
「我々には、君も、
その武器も、判断できない」
ノイルは、思わず問い返した。
「……それで?」
職員は、少しだけ考える素振りを見せてから答えた。
「それで、終わりだ」
一瞬、言葉が出なかった。
「危険だとも、安全だとも言えない」
「使うなとも、使えとも言えない」
「制限も、助言も、出せない」
淡々と、事実だけが並べられる。
「君が何者かも分からない」
「武器が何なのかも分からない」
「だから――」
職員は、はっきりと言った。
「ギルドは関与しない」
それは、拒絶だった。
だが、敵意はない。
「依頼は、通常通り受けられる」
「評価も、通常通りだ」
「ただし、
何が起きても、
ギルドは責任を負わない」
ノイルは、黙って聞いていた。
「これは処分ではない」
「特別扱いでもない」
「単に……
分からないものを、分からないままにする」
それが、この組織の選択だった。
「質問は?」
ノイルは、少し考えてから聞いた。
「……俺が死んでも?」
職員は、即答した。
「それも、冒険者の仕事だ」
冷たい言葉ではない。
だが、温度もなかった。
「……過去にも、似た記録はある」
年配の職員が、そう付け加えた。
「以上だ」
書類が片付けられる。
「今日は、もう帰っていい」
ノイルは、立ち上がった。
扉に向かいながら、ふと聞く。
「……記録には、何て書く?」
職員は、ペンを止めずに答えた。
「こうだ」
冒険者:ノイル=レイン
武装:不明
特記事項:判断不能
それだけだった。
部屋を出ると、廊下の空気が妙に軽い。
外で待っていたリゼットが、不安そうに尋ねる。
「……何か、言われましたか?」
ノイルは、少し考えてから答えた。
「何も」
それは、嘘じゃなかった。
「何も分からないから、
何もしないってさ」
バルトが、短く息を吐く。
「……一番、面倒なやつだな」
ノイルは、棒を握り直す。
軽い。
ささくれだらけ。
いつもの、ただの棒。
でも――
この街で、
この世界で。
それを“分からない”とされたのは、
初めてだった。
ノイルは、歩き出す。
守られない。
縛られない。
期待もされない。
だからこそ。
名もなき木の棒は、
まだ、何にでもなれた。




