触れたら終わる
最初に崩れたのは、距離だった。
合図も、叫びもない。
影の集団が、同時に踏み込んだ。
「っ――!」
バルトが、反射で剣を振る。
だが、刃が届く前に、
左右から二人が間合いに入っていた。
動きが速い。
いや、速さを無駄にしていない。
必要な分だけ動く。
殺すための最短距離。
「リゼット、下がれ!」
声を上げた瞬間、
風が裂けた。
投擲。
短剣が、三本。
狙いは――足。
「っ!」
リゼットが跳ねる。
一瞬遅れれば、腱を切られていた。
「……遊びがない」
ノイルの声は、低い。
相手は様子見をしない。
威嚇もしない。
最初から殺しに来ている。
名もなき木の棒が、
手の中で震えていた。
今までで、一番強く。
拒否。
排除。
最短処理。
その感覚が、
はっきりと流れ込んでくる。
「……来るな」
ノイルが、棒を前に出す。
構えですらない。
ただ、向けただけ。
――踏み込んできた男が、止まった。
「……?」
次の瞬間。
男の足元の地面が、
沈んだ。
崩れたわけじゃない。
割れたわけでもない。
ただ、
立てなくなった。
「――っ!?」
バランスを崩した男の首元に、
バルトの剣が走る。
斬撃。
浅い。
だが――
「撤退しろ!」
即座に号令が飛んだ。
男は、
斬られたことよりも、
足元を見ていた。
「……やはり、環境干渉だ」
呟き。
理解。
恐怖より先に、
確信が来ている。
「ノイル!」
リゼットの声。
背後。
別の影が、
彼女に肉薄していた。
ノイルは、考えない。
棒を、
軽く振った。
音はない。
衝撃も、見えない。
だが。
影の男が、
横に吹き飛んだ。
木に叩きつけられ、
動かなくなる。
「……なに、今の……」
リゼットが、息を呑む。
ノイル自身も、
完全には理解していない。
ただ分かるのは――
戦いを長引かせる気が、
この棒には一切ないということ。
「……囲め」
中心の男が、冷静に命じる。
「距離を保て。
直接触れるな」
即座に陣形が変わる。
近接が下がり、
後方に魔術師が出る。
詠唱。
抑えた魔力。
だが、質が高い。
「……まだ、出してくるか」
ノイルは、棒を握り直す。
震えが、
別の段階に入っていた。
形が変わるわけじゃない。
だが――
空気が、棒を中心に歪み始めている。
「……なるほど」
中心の男が、低く言った。
「やはり、持ち主の意思は関係ない」
視線が、ノイルを射抜く。
「反応した時点で、終わりだ」
魔術が、放たれた。
次の瞬間――
名もなき木の棒が、
完全に“戦闘用”の反応へ移行した。
ノイルは、一歩踏み出す。
――ここから先は、
相手の想定を、全部潰す。
魔術は、完成していた。
炎でも雷でもない。
広域でもない。
抑制術式。
空間そのものを固定し、
干渉を“起こさせない”ための術。
「……来るぞ!」
バルトが叫ぶ。
地面に、光の線が走る。
円。
陣。
ノイル、リゼット、バルトを中心に、
見えない檻が組み上がった。
動ける。
だが、
空気が重い。
「……拘束、ではないな」
ノイルが呟く。
「制限です」
中心の男が、冷静に答えた。
「環境変化を抑える」
「局所的な最適化を遮断する」
「その“力”は、
条件付きでしか成立しない」
言い切る声。
――確信。
彼らは、
この棒を研究してきた。
「……だったら」
ノイルは、棒を見た。
「条件を、満たさなければいい」
次の瞬間。
名もなき木の棒が、
震えを止めた。
一拍。
――静止。
「……?」
魔術師の一人が、息を詰める。
「術式が……
反応を、失っている……?」
拘束が、消えたわけじゃない。
壊れたわけでもない。
ただ――
意味を失った。
「……まさか」
中心の男が、初めて声を荒げた。
「条件を、
世界側に押し付けたのか……!?」
ノイルは、動いていない。
棒も、振っていない。
だが。
陣の外側で、異変が起き始めた。
地面が、
ほんのわずかに隆起する。
木の枝が、
あり得ない角度でしなる。
風が、
一定方向にしか吹かなくなる。
「……術式の外で、
最適化が始まってる……!」
誰かが叫んだ。
「内側を抑えても、
外側から来る……!」
「……無駄だ」
ノイルは、静かに言った。
「閉じたなら、
閉じた状態が最適になるだけだ」
棒が、
軽く鳴った。
次の瞬間。
檻だったはずの空間が、
圧縮された。
潰れるわけじゃない。
押し潰すわけでもない。
ただ、
立っていられなくなる。
「――っ!」
影の集団が、
一斉に膝をつく。
魔術師の一人が、
吐血した。
「……理屈が……合わない……」
中心の男が、歯を食いしばる。
「環境干渉は、
あくまで補助のはずだ……!」
「補助だ」
ノイルは、淡々と答える。
「だから、
主導権を渡した」
棒を、軽く持ち替える。
その瞬間。
空気が、
“敵味方”を区別し始めた。
「……な、何を……」
男の声が、初めて震えた。
「お前たちが、
ここにいる理由がない」
ノイルの声に、感情はない。
「だから、
ここにいられなくなる」
影の一人が、
後方へ弾かれる。
攻撃ではない。
排除だ。
別の一人が、
木に叩きつけられる。
致命傷はない。
だが――
戦闘不能。
「……撤退……!」
中心の男が、声を絞り出す。
「想定を……
誤った……!」
だが。
ノイルは、まだ動いていなかった。
名もなき木の棒が、
さらに一段、反応を深める。
戦闘を、
“終わらせる”段階へ。
「……まだ、終わってない」
ノイルが、一歩踏み出す。
影の集団は、
完全に理解した。
――この力は、
対策するものじゃない。
触れた時点で、終わるものだ。
夜の林で、
最後の均衡が、崩れた。
崩れたのは、陣形だった。
誰かが倒れ、
誰かが弾かれ、
誰かが立ち上がれなくなる。
それが一瞬で、
連鎖した。
「……っ、下がれ!」
中心の男が叫ぶ。
だが、声が遅い。
名もなき木の棒は、
もう“戦闘”をしていなかった。
処理している。
敵が立てば、
立てない状態になる。
踏み込めば、
踏み込めない場所になる。
魔力を集めれば、
集められない空気になる。
「――くっ!」
一人が地面を転がる。
骨は折れていない。
致命傷もない。
だが、
戦意だけが、完全に折られていた。
「……違う……」
誰かが、呻く。
「想定が……」
ノイルは、前に出なかった。
棒を振らない。
構えない。
ただ、
そこにいる。
それだけで、
空間が答えを出し続ける。
「……撤退!」
中心の男が、
歯を食いしばって叫んだ。
「全員、散開!
生きて戻れ!」
即座に、動きが変わる。
統制はまだ残っている。
だが、もう――
勝ちに行く動きじゃない。
逃げだ。
影が、林の奥へ散る。
だが。
「……待て」
ノイルの声は、低かった。
次の瞬間。
逃げようとした一人が、
その場で止まった。
足が動かない。
息が詰まる。
何かに掴まれたわけじゃない。
ただ――
ここにいられない。
「……っ、あ……!」
男は、必死に這う。
だが、
数歩も進めない。
ノイルは、静かに言った。
「……逃げるなら、逃げろ」
一拍。
「ただし、
二度と戻るな」
その言葉が、
条件だった。
空気が、変わる。
男の体が、
弾かれるように後方へ転がる。
致命傷はない。
だが、
心が完全に壊れていた。
残った影たちは、
もう振り返らなかった。
ただ、
必死に走る。
森が、再び静まる。
焚き火が、
弱く揺れた。
リゼットが、
ようやく息を吐く。
「……終わった……?」
「終わった」
ノイルは、短く答えた。
バルトは、剣を下ろす。
周囲を見る。
倒れている者はいない。
血も、ほとんどない。
「……これで、全滅じゃない」
「ああ」
ノイルは頷く。
「分からせただけだ」
名もなき木の棒を、
静かに下ろす。
震えは、もう止まっている。
いつも通り。
ただの木。
「……なあ」
バルトが、低く言う。
「今の連中……」
「理由は分からない」
ノイルは、先に言った。
「だが、
使おうとしていた」
リゼットが、身震いする。
「……それが、一番怖いですね」
ノイルは、棒を見た。
答えはない。
だが――
もう、確信はあった。
この力は、
手に入れようとした時点で、
間違いになる。
林の奥。
逃げ延びた影の一人が、
必死に息を整えながら、
仲間に向かって言った。
「……ダメだ……」
声が、震えている。
「使えない……
いや……」
一拍。
「使ってはいけない」
夜が、すべてを飲み込んだ。




