2. 旅
通信小型モニターを首に下げ、ワタシは空港の列に並んでいた。
博士がモニターから話かける。
「人が多いよアダム…みんなあなたに注目してる…」
「博士、辛ければ画面をオフにしてもかまいませんよ?」
「ううん…大丈夫。でもどうして急に旅に出たいなんて言い出したの?まあ、あなたの体には駆動発電機能があるから充電の心配は無いけど…」
「次の方、お進みください」
音声案内に従い、セキュリティゲートへ足を踏み入れる。
その瞬間、ゲートのブザーが「ビー!!!」と警告音を上げた。
そして、保安検査員が駆けつけワタシに尋ねる。
「何か金属類をお持ち…で…?」
「ワタシがそうです」
「は…はは」
数時間後、ワタシはクルーズ船のデッキにいた。
「空きがあって良かったけど、海路になっちゃったね…」
「ですが博士、ついに出発ですよ」
ひたすらに青く、見渡す限りの海を見つめる。
「海とは、こんなにも広いのですね」
「あまり潮風当たってると錆びちゃうよ?中に戻らない?」
博士の言葉は耳に届いていたが、視線はいまだ海を見つめている。
これが人で言うところの、見とれると言う状態だろうか。
「これが海、これが綺麗というものですか…」
「……そうだね、確かに綺麗」
その後博士は何も言わず、しばらくワタシをそのままにしてくれた。
夜、船内のボールルームでコンサート見た。
様々な楽器が音を奏で、豊かな音楽が会場を満たしている。
「金属や弦から作られる音。博士、これが美しい音色というものでしょうか」
「うん、とっても心が落ち着く。ふわー…なんだか眠くなってきちゃう」
そうして聞き入っていたとき、隣の席に座っていた老婦人の声が耳に入った。
「あら?どうしちゃったのかしら…」
「どうかしましたか」と声を掛けると、婦人はワタシの姿に驚く様子もなく話してくれた。
「あらごめんなさい演奏中なのに…これがね、動かなくなってしまったの」
「これは?」
手の中にあったのは懐中時計ほどの小さなメトロノームだった。
振り子は左端で固まったまま動く様子がない。
「これはね、夫の形見なの」
「形見。思い出の品ですか」
「ええ。今日は結婚40周年の記念に息子や孫たちと来たのだけれど…」
その寂しそうな姿に、ワタシは博士に尋ねる。
「博士、これを直すことはできますか?」
「うん、ちょっと待ってて。随分古い物みたいだから資料を探さないと」
婦人はあっけに取られた様子だった。
「アナタが直してくれるの?」
「ワタシではなく、博士が直してくれます」
「博士?」
程なくして、モニターから「見つけたよっ」と声が聞こえる。
「アダム、今からあなたと私の手をリンクさせるから」
博士の言葉と共に、ワタシの手が無意識に動き出す。
通信を介した遠隔操作。ハンドラッキングによって博士の手の動きがワタシの手へと出力されているのだ。
工具を使い、細かなパーツを外していく。そして数分も経たないうちに作業は終わった。
「ふー、大したことなかったね。ちょっと歯車がズレてただけみたい」
メトロノームは動き出し、カチッカチッと小さな音を刻んでいる。
その音を聞いた瞬間婦人の表情は和らぎ、安心した様子で受け取った。
「ああ聞こえる。この音…この音だわ、なんてお礼を言えばいいか…」
ワタシはモニターを差し出す。
「お礼は博士に言ってあげてください」
「博士さん、どうもありがとう。あなたとても優しい人なのね」
博士は照れくさそうに返した。
「いえそんな、大したことじゃ…」
その後、コンサートを見ながら婦人の話を聞いた。
「夫は指揮者だったの。彼はいつもこの船で素敵な音色を奏でていたわ」
「そうだったのですね」
「わたしは生まれつき目が不自由だけど、その代わりに耳が良くてね。演奏中でもこのメトロノームの音がすればすぐに彼だと分かったわ」
婦人はうっとりと肘かけにもたれる。
「ある日演奏が終わってもこの音がずっと聞こえていたの。きっと忘れて置いていってしまったのね。わたしが届けようと彼を探していると、彼もまた同じようにメトロノームを探していたわ」
「それがご主人との出会いですか」
「ええ、でもわたしには自信がなかった。目の不自由が理由で軽蔑されるんじゃないかって思い込んでいたの。これを渡して立ち去れば傷つくこともない、けれど…せめて自分の気持ちだけは伝えて立ち去ろうと決めたの」
演奏が最後の曲を奏で始める。
「彼がわたしの手を握り、そこから互いに引かれ合っていった。そのとき思ったの、どうして今まで世界に目を向けなかったんだろう。世の中にはこんな素敵な出会いあるのにってね」
「素敵な出会い…」
「そう。人の見ている世界なんて意外と狭いもの。だけど勇気を持って一歩踏み出すことができたなら、きっとそこには素敵な出会いが待っているはず。ふふ、年寄りが偉そうなことを言ってしまったわね」
「いえ、良いお話をありがとうございました」
演奏が終わりカーテンコールに拍手が飛び交う。
婦人もゆっくりと立ち上り拍手を送った。
「今日はどうもありがとう、まさかロボットさんに助けてもらうなんてね」
「気づいていたのですか?」
「わたしは耳がいいからね、それから画面の向こうの博士さんもありがとう」
白杖をつきながら、去り際に婦人は言った。
「この旅であなたたちに素敵な出会いがある事を祈ってるわ」
次の日。ワタシたちは船を降り、陸路での旅を始めた。
「見てください博士、サファリパークですよ」
「動物が近くで見られるのはすごいけど…ちょっと近すぎない?あのクマ、凄く警戒してるみたいだけど…」
「おや?走って近づいてきましたよ、遊びたいのでしょうか?」
「どう見ても突進だよ!逃げなきゃ!」
昼時、街に到着し繁華街を通った。
そこには露店やおしゃれな店舗が立ち並び、レストランやカフェもたくさんある。
「賑やかな所ですね」
「美味しそうな料理がいっぱい…画面の向こうなのに涎が出ちゃう」
「博士、次はぜひ一緒に来て食事をしましょう」
「う…うん、そうだね。行けるといいなぁ」
さらに歩いていると、白黒の服を着て働く女性達の姿が目に止まる。
「博士、あのヒラヒラした服はなんでしょう?」
「あれはメイド服っていうの。ああいう格好でおもてなしするお店もあるんだよ」
「そうなのですか。なんとういうかとても可憐、この場合可愛いいと言うのが適切でしょうか。博士にもすごく似合いうと思います」
「えー?私には似合わないよー」
照れる彼女にワタシは続けた。
「いえ、きっと似合いますよ」
「もう、アダムったら」
途中でバイクをレンタルし、側車に荷物とモニターを固定してエンジンをかける。
「ブロロロロ…」
ひたすらスピードに身を任せる感覚、風の流れを全身で感じながらこんな言葉を口にする。
「気持ちいいですね博士」
「あはは、アダムでも気持ちいいなんて思うんだ」
「なんというか、咄嗟に思いついた言葉がこれでした」
「うんうん、いいと思うよ」
夕日が沈むころ、現地の人に勧められて山に登った。
「かなり高いところまで来ましたね、一体何があるのでしょうか」
「アダム、空を見てっ」
山頂付近。博士の言葉に空を見上げると、そこには欠けた部分のない大きな満月が輝いていた。
真っ暗な世界に白く大きな穴が空いたような、そんな光景に向かって二人で手を伸ばす。
「すごく…大きな月ですね、博士」
「うん。あんなに遠くにあると思ってたけど、こんなに近くで見られるなんて…」
ワタシはまた、感じた言葉をそのまま口にした。
「綺麗ですね…」
「うん。私も同じ事思ってた」
「あはは」
「えへへ」
そんな話をしながら山頂を目指し「明日はどこに行きましょうか」とその日を終えた。