第9話 平民のくせに
第9話「平民のくせに」
特別演習班《魔導応用実験班》への参加を決めた翌日から、空気が変わった。
明らかに、周囲の視線が痛い。
「……リオ=グランティス、だってさ」
「へぇ〜、あの下級区出身の」
「平民のくせにねぇ。剣で魔法が使えるってだけで」
すれ違うたびに、誰かの声が聞こえるようになった。皮肉げな笑い声、値踏みするような視線。俺の周囲だけが、どこか湿っぽい空気に包まれていた。
新しい演習班の初日。
王宮直属研究所との共同開発課題が与えられ、班内でのチーム編成が行われた。
俺のパートナーになったのは、ダリオ=ベステル。高位貴族の家柄で、炎魔法の名手と呼ばれる実力者――だったが、開口一番、こう言われた。
「悪いけど、邪魔だけはしないでくれよ。平民の発想なんて必要ないから」
俺は反論しなかった。ただ、小さくうなずいた。
――言葉を返したところで、火種を大きくするだけだ。
俺は、実力で黙らせると決めていた。
だが、それは甘い考えだった。
***
次の日、演習室に入ると、自分の机に違和感を覚えた。椅子がない。備品棚にあったはずの練習用剣も消えていた。黒板には、チョークで走り書きされた落書き。
《魔法使い気取りの剣ゴロ》《貴族のフリがお上手で》
笑い声が後ろで弾けた。
「なんか見えない力で盗まれたんじゃないの〜?」
「剣で魔法使えるなら、椅子くらい創れよ〜?」
俺は無言で黒板を拭き、立ったまま課題を始めた。
その日の記録シートにも、妙なことが起きた。
俺が提出した魔法制御ログが“白紙”に書き換えられていた。
教官の顔が曇り、冷たく言い放つ。
「リオ=グランティス。提出物の改ざんは規約違反です。次はないと思いなさい」
何かを言おうとしたが、口が開かない。
証拠はない。言い訳をしても、信じてもらえるとは限らない。
――孤立、している。
それがじわじわと、骨の奥まで染みこんでくる。
***
その日の夜。
寮の食堂の隅、冷めたスープに手をつける気にもなれず、俺はただ座っていた。
「ねえ、リオ。最近、何かあった?」
声をかけてきたのは、セシリアだった。
彼女は演習班にはいないが、定期的に様子を見に来てくれる。俺が黙ってうなずくと、彼女は言った。
「やっぱり。演習班の中で、リオが“平民だから”ってことで標的にされてるって話が出てるの。……聞き捨てならないわ」
けれど、俺は首を振った。
「大丈夫。実力があれば、いつか認められる」
その言葉に、セシリアはほんの少し、寂しげな顔をした。
「……でも、リオ。その“いつか”までに、君が壊れたら意味ないじゃない」
目の奥が熱くなる。誰かにそう言われることが、こんなに心に響くとは思わなかった。
ありがとう、と言いたかった。
けれど、俺はその言葉を飲み込んで、こう答えた。
「壊れたりしないよ。だって――師匠がそう教えてくれたから」
「師匠?」
「ああ。“剣で魔法を撃て。でも、お前自身の信念を曲げるな”ってさ」
セシリアは微笑み、そっと紅茶を差し出した。
「じゃあ、せめて、今夜はそれを信じるリオの味方でいるわ」
***
数日後。
ある課題演習の実演発表会で、俺の番が回ってきた。
テーマは、《多属性融合魔法の即時展開》。
通常は杖と魔力陣を組み合わせて展開するが、俺は剣を使って術式を高速で刻み、即時起動に挑んだ。
会場が静まりかえる。
刃に走る魔力の軌跡が、空間に複雑なパターンを描く。光と雷、風と火。その四属性を融合し、一撃の斬撃にまとめる。
「――《四重陣・斬裂ノ式》!」
爆発音のような風圧と共に、標的の魔法障壁が音を立てて砕け散った。
教官たちの目が見開かれ、ダリオの顔色が青ざめていた。
しばらくして、静寂を破る拍手が、一人、また一人と始まる。
演習班の数少ない仲間たちが、戸惑いながらも拍手を送ってくれていた。
けれど、俺はまだ知っていた。
この程度では、完全に認められたわけではない。
次の課題、次の敵意、次の孤独が、すぐそこに待っているということを。
それでも――
俺は、前に進むしかない。
師匠がくれた剣。
そして、自分で選んだ“この道”を、誇りに思いたいから。