6.引き裂く雷光
「うわあああ!!」
情けない声が漏れ、尻餅をついて後ずさる。焦燥、混乱。規格外の破壊と、人間離れした巨躯。ソルの意識をかき乱すには十分だった。
大男は、月明かりさえ差さない暗さの中で確実にソルの体を捉え、右手一本で肩をわしづかみに持ち上げた。
「子どもだと? 本当に人間かぁ? 同業……なわけねぇよな。なりが粗末すぎる……捨てられたのか?」
暗がりのせいか、髪や瞳の色に疑問は持たれていない。だがそんなことはどうでもいい。振りほどかなければ、何をされるか分かったものじゃない。
「まぁどうでもいいけどよ……そんな危ねぇもん握って殺気ビンビンにしちまってよ。俺に何する気だったんだ? え?」
男の表情ががらりと変わる。へらへらとした掴みどころのない顔から、一転して獲物を見る目に。「魔物と勘違いしました」で通じるだろうか。いや、この時間にこの場所に子どもがいる時点で説明がつかない。不可解な存在にしか見えないはずだ。武器を握り直して反撃したいが、指が食い込む激痛で術式の集中もままならない。
「んー? 坊主、よく見りゃいい剣じゃねぇか。ちょいと見せてみろよ。ほらほら。手ぇ離せば殺しゃしねぇからよ」
また表情が一転。今度は玩具を与えられた幼子のように無邪気――それが却って不気味だ。
(駄目だ、離しちゃ駄目だ……これは……唯一の繋がりだ)
歯を食いしばり、耐える。
「ゔゔゔううう!」
肩に食い込む指に、ますます力がこもる。潰される。暴れても微動だにしない。
「ああああ゛あ゛あ゛!!」
刹那、肩からぼぐりと鈍い音。激痛が走る。右腕だけ感覚が切れたように制御を失い、剣がするりと手から落ちた。
「大げさだなぁ。外しただけだ。忠告はしたろ?」
ソルから興味を離したのか、男は雑に身体を放り投げ、〈暁〉を拾い上げる。自分の小指に傷を付け、ぶつぶつと唱える。毒でも塗られていたら――いや、男の動きには確信めいたものがある。
「地味だが……やっぱりドワーフ製の魔剣じゃねぇか。劣化もしてねぇな……少なくとも二彫り……いや……」
男の瞳がじわりと赤く発光する。
「おいおいおい、こりゃぁお前……おい坊主。詳しく聞かせてもらおうか」
放り出されたソルの耳に、声は届かない。痛みに耐えながら、隙を見て“ある物”を探る。何としても〈暁〉を取り返さなければ。
――付け入る隙は、ある。
◆
男の名はバルカ。姓はない。そもそもバルカという名も、いつの間にか付いた通り名だ。古い言葉で〈雷光〉を意味するという。齢はおそらく三十代前半。親兄弟は覚えていないし、もう興味もない。王都で浮浪の孤児として生き、とある男と出会って鍛錬を積み、いまは狩人を生業にしている。
恵まれた体躯、類い稀な戦闘思考、恐れを知らぬ勇猛。狩人たちからは畏怖の念を抱かれていた。
狩人は魔物を狩り、その素材で生計を立てる者たち。平時の傭兵、元犯罪者、流れ者が多い。危険だが一攫千金も狙える。魔の森に限らず、人の手の及ばぬ土地には瘴霧が発生し、魔物が跋扈する。彼らの仕事場は至る所にある。
バルカは名声に興味はない。好むのは強敵、闘争、武具――それも、あの男の影響だろう。
そんな男の好奇心に、今、火がついていた。こんな子どもがなぜ大業物を? ぼろぼろの身なりからして手入れをしているとも思えない。だが少なくとも防護に類する何かが刻まれている。
「おい、坊主。詳しく聞かせてもらうぜ――」
言葉を終える前に、バルカは左後方で魔力の蠢動を感知した。先ほど投げ捨てた魔狼のあたりだ。目を凝らす。――死体が、子どもの身体に吸い込まれていく。こんな術、見たことも聞いたこともない。
「なんだそりゃぁ」
脳が警鐘を鳴らす。剣も術も、ただ者じゃない。
「戻れ」
呟く。暗がりから巨大な斧が一直線に飛来する。指輪と対になった魔斧。少量の魔力と意思を伝えれば、術に従って帰還する。右手で斧を掴み、肩に担ぎ、臨戦態勢。
「ふー……ふー……剣を……返せ……!」
さっきまであった魔狼の姿は跡形もない。外したはずの肩も戻っている。まるで時間を巻き戻したかのような回復力――警戒に値する。
「坊主、お前、人間だよなぁ? それ、魔術か?」
「…………」
「だんまりか? まぁいいや……気が変わった。実力で取り返してみろ。ほれ、右腕は使わねぇでやるからよ」
斧を左手へ。右手に〈暁〉を握り、ひらひらと見せつける。
バルカの悪い癖が顔を出す。相手の実力を引き出し、引き出した上でねじ伏せたい。何より、この得体の知れない子どもに興味が湧いた。ほかに何ができるのか、見たくてたまらない。
好奇心はすでに、剣からこの子供へと移っていた。
「――ぬん!!」
先に動いたのはバルカ。間合いを詰め、丸太のような左腕から素早い一撃。膂力と斧の重みで叩き潰す真っ向斬り。だがこの暗さの中、子どもには踏み込みに合わせて避ける素振りが見えた。
空を斬った斧を地面に食い込ませたまま、左へ跳ぶ小さな体を追って距離を詰め、拳を叩きつける。が、またも手応えはない。反応が異常に良い。「目が良い」だけでは片付かない。
右は使わないと宣言した。にもかかわらず、子どもはわざわざ左側に飛ぶ。信じていないだけか、何かを誘っているのか。
バルカも五感には自信がある。殺気や気配を読むのは容易い。だが、この子どもからはそれを超えた“何か”が漂う。
「イイねぇ!! いい動きだ!」
斧を戻し、横薙ぎに投げつける。だが三度、空を斬る。子どもは斧の下を潜り、距離を詰めてくる。しなやかで速い。まるで獣だ。丸腰の子どもを恐れる道理はない。だが迷いのない突進――何か策がある。
(さっき捕まえた時は何もしてこなかった。いまは違う。丸腰でも来る。――魔術だな)
好奇心が泡立つ。この子どもが、格上を相手に何をしてくれるのか。
滑り込む足元へ叩き込もうと、左腕を大きく振りかぶる。刹那、思考が走る。
(これも躱すんだろ? 分かってる)
全力の打撃を放つ――ように見せ、軌道を無理やりねじ曲げた。骨が軋み、筋が裂ける音が内側で鳴る。構わず掌を開き、掴みに移行する。
「当たりぃ!」
読みは的中。回避の先に先回りして、左手一本で顔面を鷲掴みにし、持ち上げる。
子どもは両手で左手の指を掴み、必死にもがく。小指を取れば剥がれるとでも思っているのだろうが、力が違いすぎる。
相手は子どもでも、その殺気と尋常ならざる風体。犯罪者の可能性が高い。防げなければ死ぬ――それならそれまで。そう思いつつ、望んでいないかのように、焚きつける。
「残念だったな。さあ、どうする? このままだと怪我じゃ済まねぇぞ?」
なおも振りほどけない。時間切れの合図のように、バルカは小さく命じた。
「――戻れ」
指輪が応え、巨大な鉄塊が小さな背へ高速で飛ぶ。
(――さあ、どうする?)
指の隙間から覗く瞳。諦めていない。闘志を宿したその目に、魔力が集まる。――確かに術式を組んでいる。
「っ痛ってえ!」
鈍い金属音。同時に、小指が皮膚の内側から弾けるように破裂した。鋭い痛みに手が緩む。斧は何か見えない板に弾かれたかのように角度を失い、地面へ落ちた。
想定以上のダメージと、理解を超える光景に思考が跳ねる。完璧な拘束を振り解き、地面に降り立った小さな影は素早く跳躍し、いつ拾ったのか鋭い石片で右手の甲を抉る。
「うおおッ」
理外の力は想定していた。だが、はるかに上だ。
緩んだ右手から剣が離れ、ソルはそれを引ったくる。バルカは短く思案した。
(なんだ、何が起きた? ――まるで何も見えなかった。指が爆ぜたのに火はない。斧を防いだのに盾もない。やはり魔術……だが、どんな理だ?)
すでに剣を取られたことなどどうでもいい。この強敵の正体が知りたい。知れない。知りたい。もっと戦いたい。戦わせろ。
「坊主! 名を――」
顔を上げると、そこには静寂と闇だけ。そりゃそうか、と頭をぼりぼり掻き、大きく息を吸う。
「坊主ーー!! 俺はバルカってんだ!! 殺そうとして悪かったなぁーー!! 楽しかったぜぇーー!! また会おうなぁーーー!!」
獣のような咆哮は闇を劈き、夜の静寂に響き渡った。
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