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5.氷雨、来訪す


(……クソッ……何故だ……)


 脂汗を額に滲ませ狼狽(うろた)える男。サイノンの町長ハーヴィー・フォルティス。ダリルの父である。


 彼はそのでっぷりとした体躯を縮こめ、豪奢な応接間の中央にある綺麗な飾りのついた椅子に行儀よく座っていた。


 向いの全く同じ椅子に座るのは小柄な少女。

 清澄な水面のような、晴れ渡った空のような美しい勿忘草(わすれなぐさ)色の髪。尖った耳の下で二つに結んだそれは、油断を誘う幼さを感じさせた。

 しかし、それとは裏腹に強い自信に溢れた碧い瞳はハーヴィーへと真っ直ぐに向けられている。

 黒いローブに黒い膝丈のチュニックワンピース、黒のタイツ。腰ベルトにはいくつかの小瓶。左腕には銀色の腕輪がはめられ、部屋中の明かりを乱反射させ印象的に煌めいている。


 その後方に控える女性は少女に比べ幾分大人びて見える。

 行儀よく立っている様子は、さながら少女の侍女のような印象だ。

 濃藍の髪は腰まで緩やかにうねり、後頭部に大きな髪飾りを付けている。瞳は水色で、何処となく気の弱そうな顔立ちだ。

 地味な茶色のワンピースに、丈の長い黒いローブ。鞄を肩から斜めにかけ、長杖を両手に抱えている。


 重苦しい雰囲気だ。ピシピシと得も言われぬ威圧感がハーヴィーの体を縛り付けていた。


 少女は連れに問いかける。


「誰に聞いても知らぬ存ぜぬなのよ。そんな(はず)ないのに。ね、マーレ?」


「はい。腫れ物のようでした」


 マーレと呼ばれた女性は目を細め、低い声で返す。気弱そうな表情とは打って変わって、その声は微かに怒気を(はら)んでいるようだった。


「この町を預かる者として……子供を(おとし)める行為には反対です……ですが、この町を守る為には……あの様な不気味な力を操る者を町へ留める訳にもいかないのです……第一、教会に異端認定されてしまえば私の一存ではどうにも……」


 ハーヴィーが歯切れ悪くそう発言すると、直後、体中に強烈な刺激を感じ部屋の温度が急激に下がる。

 恐ろしいまでの魔力の奔流(ほんりゅう)。少女の瞳が怪しく光り、冷気が渦を巻く。 

 まるで薄氷の湖に放り投げられたような、強烈な寒気がハーヴィーの全身を突き刺した。

   

 それだけじゃない。

 ハーヴィーに魔術の心得は無いが、それでも解る。冷気だけででは無い圧倒的な目に見えない力をありありと感じる。

 静かに、されど波濤(はとう)の如き威圧。巨大な手に掴まれ、今まさに握り潰されてしまうのではないかと錯覚するほどだ。


「親殺しで異端認定、ねぇ。状況証拠のみで頭ごなしに子供を……何人そうやって焼いてきたのかしら? 理外の者へは異端、神への冒涜……楽な仕事ね」


 文字通り背筋が凍る。胃がキリキリと痛み、凍えるほど寒いのに、汗が止まらない。


 この恐ろしい少女の名はタユタ・フィンブル。

 国に数人しか存在しない魔術の極致に至る者の一人。少し前まで彼女らは賢人達(サピエンテス)と呼ばれていた。

 魔術由来の青髪碧眼の容姿や、操るその圧倒的な力から〈氷雨(ひさめ)〉の二つ名で呼ばれている。


「……タユタ様」


「ああ、失敬」


 連れの女性が声を掛けると、とたんに気温が戻り体が楽になる。

 無論、〈氷雨〉ともあろう者が怒りに任せて魔力を暴走させるなど、あるはずが無い。ハーヴィーに「隠し事などするな」と釘を差したのだろう。

 実際、効果てきめんのようで、ハーヴィーの肌は粟立ち、恐怖に慄いている。


「勘違いしないでね? 別にルミナス教が悪いとは言わないわ。実際、国民の心の拠り所になっているし、万人に道徳を説くにはこれ以上のモノはない。ただ、神の名や人々の信仰を利用して、自分の思い通りに事を運ぼうとする下衆共が許せないだけ。宗教そのものより、教会上層部が腐っている……トゥルスが抜けた穴は大きいわね」


「……トゥルス・ダムナティオ……鉄槌の聖女……ですか……」


「ええ、彼女が消えたその日から教義が歪められ始めたわ。『罪人は血を流し、命をもって償うべきである』『教会の為に死ねば光の元へ』なんてちゃんちゃら可笑しい。トゥルスが聞いたら文字通り鉄槌が下されるでしょうね」


 ハーヴィーも例に漏れずルミナス教の信徒である。それはこの国に生まれたからにはごく当たり前の事だ。だが、近頃ルミナス教は教義を盾に強権を振るい、民を萎縮させてしてしまっている側面もある。


 宗教とは、民を豊かにする手段のはずで、信仰そのものが目的になってはいけない。それは理解しつつも、自分の立場上ルミナス教を(ないがし)ろになど出来るはずもなかった。


 しかし、このタユタと言う魔女はいとも容易(たやす)く一線を超えるような発言を連発する。仮に同じ発言を一市民がしたら、あっという間に拘束されるだろう。この奔放(ほんぽう)さが羨ましくもあり、危うくも感じる。

   

 教会がタユタを取り締まらないのはただ、物理的に不可能(・・・・・・・)だからだ。彼女は、彼女らは強すぎる。


 教会にとって彼女は目の上のこぶ()であろう。

 

 元々彼女は魔術師達の頂点、賢人達(サピエンテス)の一人であった。

 それは六名の魔術師で構成されており、首都にある〈中央魔術院〉を束ねていた。

 しかし今は魔術院を残し、彼女らは解散している。

 長く長く活動していた彼女等について、いつからか巷では「非人道的な人体実験をしている」「国家転覆を狙っている」などと噂が伝播し、国民の猜疑心(さいぎしん)が高まっていた。

 彼女らは武力を持ちすぎてしまった。

 それも、魔術という誰からも決して取り上げれないものを。


 そこに〈氷雨〉による国王暗殺未遂事件が起きた。直ぐに無実であると報じられたが、それも誤報だとか、真偽不明だとか好き勝手に噂された。

 とある新聞社は売上至上主義的な扇情記事を書き、国民の多くがそれを鵜呑みにしてしまった。

 国民は拳を振り上げ、彼女らを糾弾した。

 正義の暴走は、悪人なんかよりも遥かに厄介だった。 

 それが根も葉もないのなら、国民の意見など力尽くで捻じ伏せる事は容易かっただろう。しかし、彼女らはそれをしなかった。

 

 程なくして、解散。

 

「…………」


「―ーところで」


 押し黙るハーヴィーに、タユタは本題と言わんばかりに足を組み直し、口を開く。


「私達が何でここに来たのか解らない? 本当に? 心当たりは?」


「……ッ……まさか!」


「そのまさかよ」


 ガタンと音を立て、ハーヴィーは立ち上がる。

 彼は平穏に暮らしたい。教会と不仲である彼女らには出来るだけ関わりたくないのだ。


「そんな真っ青な顔されたら私達が悪者みたいじゃない。取って食べたりしないわ。話を聞くだけよ。親である貴方へ一応報告。ダリル君、だったかしら、ね?」


 タユタの視線がハーヴィーの後方にある扉へ向き、指を差す。それと同時に、扉の外から異音が響いた。


「盗み聞きは関心しないわね……まあいいわ、入っておいで」


 タユタがニコリと笑い、優しく声を掛けると扉がゆっくりと開く。そこには、びしょ濡れでバツの悪そうな顔をしたダリルが立っていた。


「ダリル! お前っ!」


「アハハ……ごめん、父さん……どうしても気になってさ……」


 ハーヴィーは頭を抱え、椅子にへたり込んだ。



 




 サイノンの南、魔の森と呼ばれる場所は、樹高が高く鬱蒼(うっそう)と葉が生い茂り、陽の光が地面まで届かない。薄暗く、不気味な鳴き声が常に鳴り響いていた。

 大小さまざまな植物が繁茂し、巨木の根元には見たこともないきのこが顔を出し、それはまるで巨大な背中に出来た皮膚病のように不穏で不吉だった。


 森へ入り、さらに半日ほど南へ進むと、途方もない期間放置されていたであろう広大な町の遺跡がある。

 苔生(こけむ)し、(つた)が絡まる荒廃した石造りの家。既に荒らされてしまった様子で家具や調度品は無くなっており、がらんどうとしている。その家の狭い地下通路にてソルは剣を抱き、毛布に包まり横たわっていた。

 相当高い技術で作られたであろう広々とした地下道。他の家々へ繋がり、町中に張り巡らされているようだった。


 まもなく日没、むくりと起き上がり、石で壁に線を一つ足す。ここに来て過ごした日数。壁いっぱいのそれは優に百を超えるだろう。


 最初の数日はとても動く気になんてなれなかった。

 衛兵たちの言葉や、あの憎悪に満ちた視線が頭の中をぐるぐる回り、希望なんて一欠片もなかった。

 唯一の家族の死。理不尽な追放。

 九つの子供には余りにも酷な仕打ちだった。


 死にゆくアルフの幻影が幾度もちらつき、何度も何度も胃液を吐き出した。

 それでも、それであっても、憔悴しきった小さな少年を突き動かしたのは、祖父の遺志だった。


 自分が死んでしまえば、祖父の教えや言葉もこの世から消えてしまう。

 それはアルフの真の死を意味する。

 そんな事は絶対に嫌だった。

 未来に希望なんて無い。生きたところでどうにもならない。そう自覚しながらもその細腕を無理やり動かした。


 生きるためには食わねばならない。

 しかし、ソルに限って言えばそうではない。

 魔物から生命を奪う。

 比喩ではない。文字通り奪い、自分の糧にするのだ。


 ダリルを治せるなら、自分も治せる(・・・)はず。

 実際、その直感は当たっていた。


 最初のうちは、群れから逸れた小さな走鳥類型の魔物を狙った。

 斧のような鋭い(くちばし)を持っているが、体はソルより少し大きいくらいであるし、知性も低そうであったからだ。


 泥にまみれて体臭を消し、息を殺し、闇に乗じて背後から奇襲した。

 暴れる鳥の首に腕を回し、必死で何度も何度も剣を突き立てた。

 文字通り、必死だった。

 

 けたたましい断末魔の叫びを上げ、ギョロリとした巨大な目玉から光が消えると、魔物はその場で横たわり、息絶えた。

 同時にソルは目の前の視界がぐるりと回り、膝をついてしまった。

 血のむせ返るような匂いで手脚が震え、胃液がせり上がる。

 それでも、生きるために殺さねばならない。  

 自分にそう言い聞かせ、まだ温もりを残す魔物を黒い粒子へと変え、それを取り込んだ。腹こそ膨れないが身体に力が戻るのをありありと感じた。 


(……生きなきゃ……)

 

 そうして今夜、百幾度目かの夜を迎える。

 あれほど祖父や街の人々が恐れていた不気味な森が、ソルにとってはもう住心地の良い場所になろうとしていた。そうするしかなかった。

 毎日頭を空にして、獣のように淡々と魔物を狩り続けた。

 

 もっと上手に。できるだけ少ない手数で。

 

 そうしなければ、余計なことを考えてしまうから。

 そうしなければ、心が壊れてしまうから。


 ボロボロになった質素な上下と、伸び放題の髪の毛。

 それにそぐわない、ぴかぴかの剣。

 片手剣ではあるが、ソルの体には少し大きいため、くすねたロープで背負えるように工夫した。


 ひたすら魔物を狩る生活の中にも発見があった。


 毎日使っていた光を遮る魔術。

 これは「闇を作り増幅し、瞳に貼り付ける」という行程を無意識に行っていたようだ。この「闇を作り出す」という行為に大量の魔力を持って行かれてしまうようで、既にそこにある闇を操るだけなら大した魔力を使わない。

 つまり、夜や暗い場所であれば出来ることが増える、と言う事だ。


 触れている闇を硬化し足場や防御に使い、魔物の体に剣を突き立てることができれば、闇を体内で炸裂させ、内蔵を破壊する事が出来る。ただ、射程はほぼ無いに等しく、ごく至近距離でしか使えなかった。

 闇の硬度は、込める魔力量に比例するようだった。


 少し蒸し暑い夜の森をいつも通りに探索する。


(……魔物……二足歩行……)


 森を少し歩くと、大きな体躯の何かが視界の端を一瞬通った。一際大きい樹木の向こう側に入って行ったようだ。

 その大きさからホブゴブリンかオークか、どちらにせよ知能は高くない。正面から一騎討ちなら危ういだろうが、気付かれないよう奇襲をかければ今夜分以上の栄養(・・)にはなるだろう。

 ここに来てから時折極端に冷える日が何日かあり、いつ来るか分からないその日のために、最近は大きめの魔物を仕留めるよう心がけていた。


(木のむこう側……もう少し……)


 身を隠しつつ、巨木の近くまで接近する。丁度この裏辺りだ。

 息遣いが聞こえるほどの距離にて、ヤツの姿を確認しようとした、その時。


「あ゛あん?」


(――――!?!?)


 ヌッと樹木の影から巨躯の何かが顔を出す。

 

「魔物……じゃねぇなぁ」


(人!? 灯りも持たずこんな夜更けに……一人で……!?)


 心臓が跳ねる。思わず頭を抱え、抜き身の剣を持ったまま体を丸め草むらに身を潜める。


 夜の魔の森は魔物がそこら中にいる。瘴霧だって所構わず発生するし、ただの人間(・・・・・)が入っていい場所じゃない。

 それも一人だ。

 魔物を狩るにしても、夜にこんなに森の奥に入るなど自殺行為だ。

 人なんているはずが無い。そう決めつけてしまっていた。

 

 明らかにこちらに気付き、キョロキョロと辺りを伺っている。こんな大きな人間――――見たこと無い。

 まるで近所に買い物へ出かけるような不自然すぎる軽装で、返り血まみれで、丸太のような手足。

 ボサボサの黒髪に無精髭だらけの顔。

 左手には大きな魔狼の死骸。右手には鉄塊の様な大戦斧。


「人か? 人だな? 人だよなぁ!? 出てこい!!」


 口を抑え、ただひたすらに息を潜める。口ぶりから恐らく教会の追手では無さそうだが、その風体から明らかに尋常(じんじょう)の者ではない。


「まぁいいや――――ッンン゙!!」


 大男が巨大な戦斧を力任せに投げた。

 頭上を風が疾走る。鋭い風切り音と、まるで落雷のような轟音が木々を薙ぎ倒し、斧が地面に衝突した。

 鳥獣たちの叫喚(きょうかん)がけたたましく響く。

 

(うあっっあ!!)


 間もなく静寂が辺りを支配する。身体に痛みは無い。倒れる木々は運良く回避できたようだ。

 しかし直後、うずくまる後頭部に、世にも(おぞま)ましい気配を感じた。

 

「見ぃつけた」


 顔をあげると、闇の中、巨大な目玉が星の光を拾って鈍く光った。

読んでいただきありがとうございます。


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