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3.暁に託して

 ソルは物陰に隠れながら先を急いだ。


 道中戦いの跡が見て取れた。

 飛び散る鮮血、放棄された武具、討伐された魔物の死骸。

 そして事切れた住民。

 しかし、どれもこれも終わった跡だ。

 生物の気配が無いところを見るに、町で発生した魔物の制圧は粗方済んだようで、遥か遠く……防壁の外から戦いの音が響いている。


 アルフが居た場所は町の丁度中央辺りの広場だ。(もや)狼煙(のろし)はいつの間にか消えていた。

 少年は一心不乱に目的の場所へと走る。町は東西に長い造りになっているので距離はそれ程でもないが、警戒を解かず、慎重かつ素早く移動する。


 何度か角を曲がり広場が見えてくると、アルフは既に離れていたようで人の気配は無かった。

 しかし――――


「……う……ぁ……」


 ただ、血溜まりと、何かを引きずったような跡があるのみだ。

 嫌な予感が加速する。心臓が跳ねる。


 怖い。恐ろしい。手脚が震える。


(血痕の行く先……この先は教会かな……誰かを守ってるなら避難するのは自然だよね……怪我をしているならじいちゃんは血の匂いをどうにかするんじゃないかな……教会なら警備も手厚いだろうから……そうだ、きっと避難を済ませてる)


 うるさい心音をかき消すように思考をぐるぐる巡らせる。

 ――――最悪を考えないようにしている。しかし思いとは裏腹に体中に汗が滲み、緊張する。 

 

 広場の先、曲がり角の向こう、小さな路地へ血痕は続いている。


(大丈夫……大丈夫……無事に避難してる……)


 一歩一歩、恐る恐る足を動かす。血痕を辿り、震える左手で民家の角に手をかける。


(あ……ああ……)


 思わず、手に持った農具を取り落とした。

 ――――そこには、衣服を真っ赤に染め上げたアルフが子供を抱え、建物を背に座り込んでいた。右手には抜身の剣を持ったままだ。剣にも血がべっとりと付いている。

 地面には大きな血溜まりが出来上がり、石畳の目をまるで蛇が這うように赤く広がっていた。


「あ、あ、あ……」


 うまく声が出ない。喉が乾いて張り付くような感覚と、胃の内容物が上がってくる感覚。顎を震わせ、絞り出すように声を出す。


「……じ、じいちゃん! じいちゃん!!」


 アルフの横に膝を付き体へ目をやると、左腕は切り裂かれ、腹は抉られている。子供の方は背中に大きく深い掻傷のようなものと、右手首から先が欠損している。素人目に見ても、二人共に致命傷である。


「ダリル……君……?」


 アルフの左手に抱えられていた子供の顔を見ると、町長の息子、ダリル・フォルティスであった。二人共かろうじて息がある。しかしダリルには意識が無く、青白い頬には幾筋もの涙の跡と、脂汗が滲んている。

 

「ソル……か? 何故来たんだ……」


 アルフはいつもの調子でソルを叱責(しっせき)しようとしたのだろうが、何かを思い、すぐに切り替えた。


「ゴホッ……い……いや、よく来た……」


 血泡が混じった口で咳をした後、掠れた小さな声でそう言った。


「じいちゃん!! すぐに人を呼ぶから!」


「……待ちなさい」


 立ち上がり、人を呼ぼうとするソルの腕をアルフが掴み制止する。ソルの頭を力強くわしわしと撫でてくれた祖父の手が信じられない程弱々しく震えている。


「……この傷ではもう……このままではじいちゃんもこの子も助からん……

 ソル……この子を助けなさい……この剣を持って……使い(・・)なさい……」


 二人共、血が流れ過ぎている。普通の回復魔術で治せるのはせいぜい軽い生傷程度。失った血肉は取り戻せない。


 だが、ソルになら救える。

 どちらか一人なら(・・・・・・・・)救える。


 ソルは周りを見渡すと、アルフの言葉から全てを察し、顔を歪める。


「駄目! それだけは……!」


 心からの声だった。


「……聞き分けなさい……」


 アルフの声は力強く、強い緊迫を孕んでいた。

 少しの沈黙の後、祖父は更に続けた。


「……寝室の床下に金と……手紙が二つ隠してある……一つはお前に……一つは王都の銀嶺(ぎんれい)騎士団に居るフェルムという男に……」


 そう言ってアルフは孫の頭をわしわし撫で、頬に手を置いた。

 優しく、慈しむように。


「うっ……ぐぅっ……嫌だよじいちゃん……嫌だよ……そんな……最後みたいな……」


 ソルはかすれ声で弱々しく訴える。大粒の涙が(あふ)れ、視界が歪む。

 死んで欲しくない、一緒に生きてほしい。また、たくさん褒めてほしい。一緒に笑ってほしい。叱りつけてほしい。

 

 そんな孫を見て、アルフはなだめるように、ゆっくり優しく強い口調で更に続ける。


「……美しい星空だ……お前になら……あの星すら掴み取れる……無限の可能性がある……」


「嫌だよ……じいちゃん……」


「ソル。強く生きなさい……理不尽な事もたくさんあるだろう……折れず、曲がらず……この夜空の様に、美しく生きなさい……時間が無い……さあ、剣を」


 そう言うと(さや)と一緒に長剣をぐいと押し付けられた。

 (めい)は〈(アウローラ)〉。

 

 それは母が遺した剣だった。


 祖父の瞳孔がぶるぶると震えている。その瞳の光は星の瞬きの如く明滅し、今まさに命が尽ようとしている。

 そんなアルフの目を見て、少年は奥歯を噛み締めた。

 肋骨を激しく叩く心臓を押さえつけるように、言葉を紡ぎ出す。


「ううっ……じいちゃん……ごめん……ごめんなさい……」


 普通であればもっと駄々をこねても良いのだろう。ソルはまだ、たった九歳の子供だ。だが、目の前の光景とアルフの決意に満ちた瞳。無下にできるはずも無かった。


 剣を強く握り、歯を食いしばり、涙と鼻水でくしゃくしゃのを袖で拭い、アルフの瞳を真っ直ぐに見た。


「あ……謝ることはない……お前と暮らせて幸せだった……ソルは……じいちゃんの生きた証だ」


 アルフは毎日とにかく働き、遊ばず、喧嘩もしない。酔って帰る事もない。自分の欲を抑え、生活の全てを投げ売ってソルに不自由の無い生活をさせてくれていた。決して裕福ではないけど、穏やかで平和な日々を過ごさせてくれた。

 祖父は本当に幸せだったのだろうか。最後までそんな事を思ってしまうが、少なくとも、アルフの表情は穏やかだった。


 左手でアルフの手を取り、剣を持ったまま右拳をダリルの胸へ当てる。

 脳内で術式を組み上げると、ソルの瞳が暗く光った(・・・・・)


「ソル、元気でな……愛しているぞ」


 アルフの瞳が最期の光を灯し、真っ直ぐにソルを見据えにこりと笑った。 


「ゔん……ゔん……ありがとう……じいちゃん……」


 くしゃくしゃの顔で、下唇を噛み締めコクコクと頷く。


 一瞬の間をおいて、アルフの体全体の輪郭が不明瞭になる。

 祖父の慈愛に満ちた表情も曖昧になり、人の形をした黒い粒に変質した。

 それは一つ残らずソルの体を経由しダリルへ吸い込まれてゆく。

 その粒子は、さながらさんざめく星空のようで、美しささえ(たた)えていた。


 直後、ダリルの無くなったはずの右手首の先を黒い粒子がかたち取り、骨、肉、血管、皮膚へと置き換わる。

 まるで新しく生えたかの様に綺麗な手へと治癒され、それは抉れた背中、失われた血液でさえ同様であった。傍から見れば正真正銘、奇跡である。

 顔色は良くなり、呼吸も落ち着く。


 そこに残るのは大きな血溜まりと、小さな小さな、震える背中。


「……じいちゃん……」


 ソルは虚空を握りしめていた。

 祖父の大きな手も、優しい顔ももうどこにもなかった。

 文字通り、消滅した。

 

「……ありがとう」


 沈黙だけが木霊した。


 数瞬して、やっと拳に力を込める。祖父の犠牲を無駄にできない――ダリルを運ばなければ。そう思った矢先、路地の奥で低い唸りがにじんだ。


 生臭い息。闇に二つ、火種のような目が揺れる。


 魔狼。腹には長い裂創――アルフが刻んだのか、他の誰かが付けたのか、血を滴らせている。血の匂いに導かれ、獲物を終わらせるために姿を現したのだ。

 ソルは絶望した。しかしそれは、相手の巨躯や力強さ故では無かった。

 その目は、怒りと後悔に満ちている。


「何で……今更……!」


 もう少し早ければ、あるいは遅ければアルフに使えた(・・・)かもしれないのに。

 その思いが怒りとなり、ソルの足腰に力を与えた。


 獣が爪で石を削り、距離を測る。狭い路地。跳躍は一息だ。


 ぬらり、と影が跳ねた。ソルは半身に捻る。だが爪が速い。左前腕ごと引き裂かれ、骨の内側で何かが砕けた音がした。熱と白い光が視界を弾き、呼吸が途切れる。

 膝が折れそうになるのを強い意志で支える。ぎしりと奥歯が鳴る。

 逃げない。背後には守るものがある。


「大丈夫……やれる……やってやる……!」


 痛みを押しのけたのは、ダリルを治療したその時から意識の底で燻る何か(・・)

 それが何なのか分からないが、今はどうでもいい。

 自分が何をするべきか不思議と確信する。


 血が噴く。石畳の目を蛇のように赤が走る。指先が冷えていく。

 再び黒い影が音もなく飛び、その牙でもって少年に襲いかかる。


 ソルも前へ飛ぶと、血まみれの左腕を差し出した。巨大な口に押し込むように、肩ごとねじ込む。

 激しい痛みと出血に、視界が揺れ、膝が笑う。


「うああああ゛あ゛あ゛!!」


 そう叫び、右手に持った剣を魔狼の目玉に突き刺し、がむしゃらに捻った。

 魔狼が暴れ、腕を捩じ切ろうと頭を振るが、右手に渾身の力を込める。絶対に離さないと、そう心で叫ぶ。

 何度も、何度も突き刺し、何度も、何度も捻り込む。


 やがで、みしみしと鳴る左手からゆっくりと牙が抜け、巨躯が力なく横たわった。


 同時にソルも膝をつく。血を流しすぎている。

 魔狼の死体を見て、悔しさが再燃する。


「……」


 言葉もなく、魔狼に触れる。すると、世界の色が一段暗く沈み、空気がざわりと逆流した。魔狼の毛並みから黒い粒子がほどけ、ソルの身体へ吸い込まれて行く。皮膚の縁がじりじりと焼け、傷がみるみる塞がる。死は遥か遠退き、静かな夜空が瞬いた。


 そのとき、遠くで教会の鐘がひとつ鳴った。


 耳鳴りの中、ソルは裂けた袖を結び直し、立ち上がる。今はダリルを――


「そこだ! 止まれ!」


 怒号。槍の穂先が月光を弾く。数人の衛兵が駆け込んできた。血溜まり、荒れた石畳。だが――死体はどこにも無い。兵たちは一瞬、言葉を失った。


 その背後から、助祭が駆け込んでくる。顔は蒼白で、震える指が少年を指した。


「見たのだ! 老人も、今の獣も……此奴に触れられて消えたのだ!」


 兵士たちの視線が一斉にソルに注がれる。誰かが唾を飲む音がした。


 鐘が、もう一度だけ鳴った。


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― 新着の感想 ―
本当に強きものとは、本当に優しいものとはを教えられたような気がします…… 命を懸けてソルに伝えたかったこと、二人のやり取りは感情が入りすぎて思わず涙が……
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