12.生傷
ウォーライと首都を直線で結ぶ森林にて、転がる骸を無言で見つめる男と夜の闇。
男はもう動かない標的から一つの文書を奪っていた。内容を確認し、指先から発生させた電撃でそれを焼き払い、一つ息を吐いた。
男の瞳は暗く、深く、感情など持ち合わせていないように見える。完璧な闇があるとしたら、彼の瞳がそうなのだと思わせる程にそれは暗澹としていた。
その瞳を朧げに前方へ向けると、仲間の男が姿を現した。
二人の男は同じ漆黒の装衣に身を包み、髪型から背丈まで、画一的とも言えるほど似通っている。
それは無個性を絵に描いたような、この大陸の平均顔とも言うような、どこにでもいる普通の相貌だった。
だが、二人目の男の表情には幾らか生気が宿っており、同じ人間だとは思えない程だった。
後から来た男が言った。
「思ったより抵抗されたなぁ」
「ああ」
「しかしまあ、二彫の敵ではないか」
「……ああ」
無機質に返答を返す。
「……ったくよ。つまんねぇな」
沈んだ瞳の男はその言葉を無視し、頬の裂傷から流れる血を拭い、まだ温い骸を担ぐ。
死した男は魔術師であり、運び屋だ。恐らくこの道は彼らの領域なのだろう。少し離れたところへ捨てなければ面倒な事になるかもしれない。
放っておけば魔物が処理するだろうが、不安要素は取り除いておくべきだ。
少し歩いた場所にて、骸を担いだ男は片手を地面にかざした。
一瞬置いて、地面が抉れ、出来た穴に骸を投げ入れた。
運び屋は処分した。書簡も燃やした。
二人の男はさらなる任務を遂行するべく、道を引き返す。
そして、どちらともなく口を開く。
「ウォーライへ戻る。あの街の終わりを見届けなければ」
◆
ソルとマーレは夜明け前の森、開けた場所で足を止めていた。
空は依然暗く、薄い雲が天を埋めている。
「やはりおかしい」
マーレはそう独りごち、続いてソルに呼びかけた。
「走ります。付いて来れますね?」
もうほんの少し南へ行けばウォーライだ。
それにしては南の空が暗い。街の真上にあるであろう雲に明かりが反射していない。
それがどれほど異常なのか、ソルにでも解る。どんな理由があったか分からないが、町から明かりが失われているのだ。
ここからのマーレの速度は異常だった。
夜目が利くソルでなければ直ぐに見失っていただろう。
ソルは魔力の制御について教わったばかりだが、幼少から魔術を使い続けている。きっと素人よりは心得がある――そう思っていたが、それでも体力と魔力の限界を感じていた。
マーレはどれほど鍛錬を重ねたのであろうか。
髪の色から推察するに、魔術師として極みの域ではないのだろう。だが、それでも――
ソルは必死に食らいつきながら、自分の弱さと魔術師の壁の高さに歯噛みしていた。
すっかり日が昇るまで全力で走った末に、マーレが突然足を止めた。
ソルは心から安堵した。体が悲鳴を上げ、肺が酸素をよこせと絶叫している。膝に手を置き、肩で息をする以外に何もできなかった。
「まさか……そんな……」
目の前の酸素を必死でかき集めながら、目を上げてソルは青ざめた。
本来門であるはずの場所にぽっかりと穴が空いている。扉は無残にも引きちぎられ、犬の死骸のように横たわっていた。
「ソルさん、人を探しますよ。事情を聞かなければ。私から離れないように。首飾りに魔力を込めてください。念の為フードも」
「は、はい」
二人は破壊された門をくぐり抜け、町へと入って行った。
◆
膝を抱え、ただただすすり泣く少年と老婆が家の隅で肩を寄せ合っていた。
窓からは薄っすらと朝日が差し込んでいる。
「トミーや、夜明けだ……教会へ行くよ。ショーンはきっと避難しているはずさ」
少年は涙を拭い、力なく頷いた。
トミーと呼ばれた少年はウォーライに住むショーンという漁師の一人息子だ。
物心がつく前に祖父と母を亡くし、今は祖母のマージェリーと父と三人で慎ましく暮らしている。
少年の涙の理由は、昨晩、突然町中の街灯が破壊され尽くしてしまった事に起因する。町は恐慌状態に陥り、混迷を極めた。
そこら中で魔物が発生し、男達は武器を手に町を守った。
――そう、守ったのだ。
老婆と少年は教会へ向かう。その道中、他の町人が重い足取りで同じ場所へ向かっていた。
ある子供は泣きじゃくり、ある婦人はどこか虚ろな表情をしている。成人男性の姿はどこにも無い。
恐らく戦いの末、教会に逃げ込んだか、運び込まれたか、まだ戦地に居るのかだ。
戦いの傷跡もそこかしこにある。
何かを引きずった跡や、その末路や、得体の知れない肉塊。
マージェリーは孫の目を覆った。その年老いた手は僅かに震えていた。
教会はどこの町でもとても堅牢な作りをしている。
食料の備蓄もしっかりとあるし、それなりに広く作ってある。ウォーライの教会には地下室もある。
それでも中は怪我人や避難民でごった返していた。
元々小さな町であるし、人口もそれほどでもない。
それでもこんなに人が集まっているのは祭りくらいでしか見たことが無かった。
怪我人のほとんどは成人男性で、それぞれが血を流しながらうめき声を上げている。
トミーは到着後すぐに父を探した。
父の名を大声で呼び、しかしそれは虚空へと消え、返ってくることはなかった。
大人たちは誰もトミーと目を合わせようとせず、みな顔を伏せていた。
少年の疑念が、じわじわと確信へ変わってゆく。黒く暗く、最悪の確信へと。
そんな中、父の友人の男が真っ直ぐにトミーの顔を見つめていた。
男は少年と目が合うと、トミーの名を呼び、血相を変え、涙を流した。
それを見て少年は泣き崩れた。祖母はその小さな体を抱きしめた。
周りからもすすり泣きや嗚咽が絶え間なく聞こえ、咽び泣くもの、慟哭するもの、壁に向かって必死に謝罪するもの……絶望という名の絵画があるならば、これをそのまま描くべきだという光景が広がっていた。
それでも老婆は涙を流さなかった。ただただ、力強く孫を抱きしめた。
「父ちゃん……父ちゃん……」
少年は涙を流す事しかできなかった。
少しして、涙も枯れた頃、虚空を見つめる少年の目に二人の男女が映った。
一人は長杖をもった女性。もう一人は自分と同じくらいの背丈の子供。性別は分からない。
女性の従者だろうか、ローブのフードを被り、後ろに控えている。女性は衛兵の生き残りと何やら話し込み、険しい顔をしている。
不思議だった。
従者の子供の存在がどこか虚ろに見えて、袖で手をゴシゴシ拭い、凝視した。
「僕、何か変かな……?」
なぜだか目が離せなくなってしまい、目で追い続けていたら、その子が話しかけてきた。
従者の子供は男の子だった。
「……首飾り、大事なものなの?」
少年は首飾りのトップ部分を右手で握り続けていた。
それをなんとなく疑問に思い、思わず口に出してしまった。彼の顔は闇の向こう側にあるようで、どんな顔なのか全く分からなかった。
「ん……これはおまじないみたいなものだよ」
少年が答える。
「そっか……なんで……そんなに辛そうなの?」
トミーには少年の表情は見えない。
だが、何か自罰的な、もっと言うと何かを悔いているように見えた。
「え……いや……」
少年が答えに窮している間に、祖母がパンと水を抱え戻って来た。
すると、フードの男の子は慌てた様子で女性の元に戻って行ってしまった。
(不思議な子……)
トミーはそんな事を考えながら、老婆に与えられたパンを齧ることも無く、ぼんやりと見つめるのだった。




