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11.深森の導き

 ドワーフの集落を後にしたソル・ウェスペルとマーレ・リーベリーは、鬱蒼とした森の中を歩いていた。目的地への中継地点として、まずウォーライという漁が盛んな港町へ向かうとの事だ。彼女は初対面の時と同じように自分の頬を一つ張り、何やら気合を入れて口を開いた。


「さて……とりあえず今から丸一日(・・・)歩き続けますよ」


 この国では一定間隔で城塞都市が存在する。夜は魔物が出るため、長距離の移動は日の出とともに出発し、日の入りまでに直近の町へ入り、また日の出とともに次の都市へ、という具合で行う。都市間には森を迂回して整備された街道があり、それに沿って行けば必ず目的地へ着ける。


 しかし、一刻も早く手紙を届けたいとのことで、いくつかの都市を端折り、真っ直ぐ一足飛びにウォーライへ向かい、そこで補給を済ませ最終目的地へ行くという。普通の街道・普通の速度で進めば、ウォーライへは五日ほどかかるらしい。街道には出ず、森を西へ真っ直ぐに行く。


「少し急ぎますので付いてきてくださいね」


「え、あ、はい!」


 ぶっきらぼうにそう言うと、マーレは突然足を早めた。もう一息力を込めれば駆け足になる程の速さだ。


 本当にこの速度で? 明日の朝まで? 冗談だよな?


 そう疑ってしまうほど迷いなく、淀みなくずんずん進んでゆく。突き出た木の根を跳び、穴を越え、草花が生い茂る獣道を延々と真っ直ぐ進む。美しい緑に目をくれる暇などなく、ただひたすら無言で歩いた。いや、ほとんど食らいついたと言って過言ではない。


 日の出から歩き、太陽が一番高くなる頃、ついにソルに限界が来た。


「まっ……待ってください! もうっ……はぁっ……はぁっ……」


 思わずへたり込み、背負った鞄に身を任せる。そう声を掛けると、マーレは足を止め振り向いた。驚くことに一つの息も上がっていない。汗だくのソルとは正反対に、涼しい顔をしている。


「思ったより持ち堪えましたね。おじい様による訓練の賜物(たまもの)でしょうか」


 ここまで仏頂面を貫いていたマーレの表情が、少し柔らいだように見えた。


「力が入りませんか? 少々手荒ではありますが、これが最も効率的なのです」


 胸を激しく上下させるソルは返事もままならず、目だけをマーレに向けた。喉は焼け、脚は棒だ。


「今から教える技は、魔術師として生きて行くのならば必須の技術です。難しくはありません。最も基礎だと言っても良いです。ソルさんの場合は順番が逆になってしまいましたが……さあ、手を」


 マーレはソルの前に跪き、その手を取ってゆっくりと言葉を続ける。


「そう……楽にして……まずは息を整えるのです。体中の魔力を静かに感じてください……腹から胸、肩、腕、指先。下半身も同様です。筋肉一つ一つに魔力を宿すつもりで……瞳に掛けている魔術と要領は同じです。ソルさんになら出来ます」


「はいっ……少し……時間をください……」


 彼女は微笑み、ただこちらを覗いている。急かさない。その視線が、焦りを押さえる(おもり)になる。ソルは肯定と捉え、呼吸が落ち着くのを待つ。


 少しして、マーレの手から魔力が流れ込んでくるのを感じた。いや、ただ流れ込んでくるだけではない。「注入」という言葉の方が適当かもしれない。それはソルの四肢へ入り込み、意志に反して手足がわずかに震えた。


「これは本来であればあまり好ましい方法ではありません。しかし、魔力を手足へ通す感覚を覚えてほしいのです」


 人の体は全て筋肉で動いている。もちろん臓器もだ。マーレによると、この方法は未熟な者が行うと臓器不全を起こす可能性があるらしい。彼女はしばらくしてそっと手を離した。


 マーレの魔力がソルの四肢を駆け巡る。小さな虫が血管に入り込み、這い回るような不思議な感覚に襲われる。


「今の手足の感覚を忘れないように。私はきっかけを作ったに過ぎません。さあ、全身の力を抜いて、魔力を制御するのです」


 ソルはくたくたの全身を地面に投げ出し、目を閉じた。風や葉の擦れる音、虫や鳥の鳴き声、かすかに聞こえるせせらぎ。それらを遮断し、腹の下に意識を集中する。


 魔力自体は今までもしっかりと感じていた。だけれど、いつものそれとは違い、自分が魔力そのものになったような錯覚に陥る。


 ややあって、全身がとろけ、大地と一体になり、自分という存在が朧気になった頃、これまでにない感覚が訪れた。下腹部で強い魔力が渦を巻いている。これまでは何となく漫然と感じていた魔力を、手に取るようにありありと感じる。マーレの言うように全身を意識し、それを手足に巡らせる。すると、みるみるうちに四肢が軽くなり、弛緩した筋肉に力が漲っていった。


「これは魔力を体力に変換する技術です。筋力や五感が鋭くなるという事は有りませんので、警戒を怠らないように」


 ソルは四肢を順番に動かし、ゆっくりと立ち上がった。不思議な全能感に支配される気分だ。瞳に力を漲らせ、静かにマーレを見据える。


「やはり上手ですね。コツは掴めましたね? そのまま私に付いてきてください。今度は本当に(・・・)動けなくなるまで歩きますよ」


 マーレはそう言うと、再び進路を取り歩き出した。


 ソルは初めての感覚を大いに楽しんでいた。体が軽く、これならどこまでだって行けそうだ。もっと速くても大丈夫。一晩中だって歩けそうだ。そんな事を思いつつ、夜の帳が落ちる頃、唐突に急激な眠気に襲われた。いや、眠気などと言うには甘いかもしれない。血の気が引き、倦怠感が体を支配する。既視感でいっぱいの感覚。すっかり頭から抜けていた、当たり前のこと。


「あ……まりょく……が……」


 言い終わる間もなく、意識はプッツリと途切れた。最後に見たのは、上気した顔に微笑みを(たた)えたマーレの顔だった。


 



「う……ん……」


 まぶたをチクチクと刺す陽光に(さいな)まれ、意識を取り戻す。夢うつつのとろとろとした脳に喝を入れ、上体を起こし、あまりの明るさに急いで瞳へ魔術を掛けた。目への刺激が落ち着き、周りを見渡すと、ここがとても奇妙な空間であることに気付いた。


 眼の前にある透明なそれは、丸屋根の如くソルの周りの空間をまるまると覆っている。一瞬、ここは水の底で大きな気泡に包まれているのではないかと考えたが、透明な何かの向こうで明るい陽光が差し、青々とした木々が揺れている事から、その考えは霧散した。


「冷たい……」


 手を伸ばし、おそるおそる膜に触れた指先がにわかに濡れている。無色無臭のそれは、紛れもなく澄み切った水だ。水面が上にも前にも後ろにもある事以外は、ただの水だ。


 何が起こるか分からない以上、ただ観察するしか無いソルは、じっと上を見ていた。やがて膜の外側に木の葉が落ち、それは水面を這って地面に落ちた。


 これ以上ここにいては埒が明かないので、薄い毛布から這い出ようとすると、全身の筋肉が強張(こわば)り、痛みが刺した。


(いててっ……)


 そうだ。つい先程まで走っていたのだ。


(あの後……どうなったんだっけ……)


 そう考えた直後、ぱしゃりと水の膜が崩れ落ち、まるで産声のように森がざわめき、耳を(つんざ)いた。今になって気付いたが、空間内は異様に静かだったのだ。


「おはようございます。思ったより早かったですね」


 空間の創造主と思われる人物が、にこりと笑い立っていた。


「マーレさん、お、おはようございます。あの……」


 ソルの言葉が終わる前に、マーレが手をぱんっと叩いて言った。


「まず、食事を摂りましょう」


 言葉に従い、痛む全身を庇いながら立ち上がる。直ぐ側に焚き火があり、大きな鹿の魔物が巨木に吊るされていた。血抜きを終え、腹の部分は空洞だ。


 素晴らしい手際で切り分けられたであろう肉は器用に木串に通され、焚き火の横で脂を滴らせていた。思わず生唾を飲み込み、ここで初めて自分の空腹に気付く。それが、どれだけ気を失っていたかを物語っている。


 マーレによると、昨日の日の入りから日の出過ぎまで眠っていたらしい。それでも思ったより早かったようで、彼女は少し安堵していたようだった。なにせ、明日の夜には新月を迎える。


 肉の他には果実や樹の実、清潔な水も用意されており、マーレの生活力、生存力の強さを感じさせた。不思議に思ったのは、夜の間どうやって生き抜いたのかだった。夜を味方につけているソルでさえ闇夜は恐ろしい。それも新月近くの夜だ。気を失った子供を守りながら魔物を狩猟したという事になる。長い夜だったろうに、彼女の表情には余裕さえ見える。


 マーレは、何か高性能な魔導具でも所持しているのだろうか?


「すみません……僕……」


 ソルは申し訳無さでいっぱいだった。自分が眠りこけている間に夜が明け、日が高く昇っている。光源が全く無い森で、マーレは恐らく一睡もしていない。


「ふふ、大丈夫ですよ。私にはこの杖もありますし、多少は魔術の心得もありますので」


 マーレの顔色は極めて良く、不思議なほど生気に満ちているように見えた。彼女によると、その手に持つ長杖は魔導具であり、石の(つぶて)を高速で飛ばすことができるらしい。


「あの水の膜はマーレさんの魔術という事なんですよね?」


「ええ、私は水の魔術を使います。基礎的なものばかりですけれど」


 魔術師の大原則として、人は一属性の魔術しか操れない。タユタは氷、マーレは水、ソルは闇。元賢人達の面々は、それぞれがそれを頂点まで極めているのだ。


 続いて、タユタから預かった手紙についてマーレに聞いてみた。


「ええ、まず一通は元賢人達(サピエンテス)である〈突風〉リーザ・シルフィード様へ。もう一通は小人族(ドワーフ)の英雄〈百器〉ディアミド様へ。リーザ様はタユタ様とは旧知の仲ですから、手紙を渡すことができればそれだけで大丈夫です。しかし、ディアミド様は……多少の説得(・・)が必要かもしれません。いずれにしても、行ってから考えましょう」


「説得……ですか」


 含みのある言い方に少しだけ違和感を覚えたが、とりあえず今は目下の任務であるリーザ・シルフィードに会うことが先決だ。


 ウォーライで新月をやり過ごし、更に半日ほど南へ行くと彼女の研究所があるらしい。


 食事を終え、礼を言い、昨日と同じようにして一晩まるまる歩く事に決まった。今度は体力と魔力の配分をうまく調節し、倒れることのないようにしなければ。

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