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10.邂眼の徴

「――――タユタ様! やっぱり私には無理です!」


 家を出たタユタ・フィンブルに、マーレ・リーベリーが半べそで訴える。


「そうは言ったってこんな大役、アンタが一番の適任なんだから仕方ないじゃない。ほら、旅をさせろとか、千尋の谷へ落とせとか言うでしょ!」


 でもでも……とマーレが子供のように駄々をこねた。


「っんもう! この国の未来はアンタにかかってるんだからね!」


 パチンッと尻を叩かれ、マーレは「ひんっ」と声を上げて体を震わせ、なんとも言えない表情を見せた。羞恥と覚悟がせめぎ合う。


「そんなことより!」


 打って変わって、タユタは大層真面目な表情でマーレを見つめる。


「彼の髪も瞳も……これ以上ごまかしは効かないわ。ソル君は既に邂眼(かいがん)を済ませている。アナタが引き出し、伝えるの。彼にはその覚悟がある」


「……はい」


「まぁ、でも……計画に変更はないわ。あとはマーレのさじ加減で良いからね。信頼してるわ。よろしくね」


 一方的なタユタの言に、マーレは肯定する他なかった。だが、不安は消えない。


「任せたわよ! じゃあね!」


 畳み掛けるように言いつけると、タユタの小さな体は薄暗いドワーフの集落を足早に駆け抜けていった。マーレは大任の重圧に「ううう」と声を漏らし、重い足取りでソルの元へ戻るのだった。



   ソルはもらった首飾りをまじまじと見つめていた。


 綺麗な宝石に映る自分を見つめながら『マーレはどんな人なのだろう。長い付き合いになるのかな。仲良くできると良いな』そんな事を考えていると、扉がギギギと音を立て、ゆっくりと開いた。


「あ、おかえりなさい」


 下を向き、おずおずと入ってきたマーレにそう声を掛けると、彼女はギョッとした様子でこちらを一瞥(いちべつ)し、ガタタッと音を立てて後ずさりしてしまった。 


「だ、大丈夫ですか!?」


 彼女は慌てて体勢を戻し、息を整える。


「ふーっ! よしっ! 切り替えろ! 私っ!」


 そう言ってバチンと自分の頬を両手で叩き、なにやら気合を入れたマーレが、その手で握手を求めてきた。両頬には紅葉のように赤くなった手のひらの跡がくっきり付いている。

 少しだけ怖かったが、タユタが推薦する人物なのだから信頼が置けるはずだ。そう自分に言い聞かせ、握手を交わした。


「今日はもう遅いですから、出立は明朝にいたしますね。では、どうぞお早めにお休みください」


 すっかり落ち着きを取り戻したマーレは、別人のように端正だった。空恐ろしさと頼もしさが同時に胸に残る。


 マーレに別れの挨拶を済ませ見送ると、交代でエルヴァルとビョルクが戻って来た。ビョルクの手には、野菜、果物、肉、魚などがいっぱいに入った籠が握られている。バタバタとそれを片付けている二人をしばらく目で追い、折を見てソルは二人に事の顛末を告げた。


「なら今夜は腕によりをかけなきゃね!」


 そう言うなり、ビョルクは台所に駆け込んだ。何か手伝える事はないかと覗いてみるが、右へ左へ手際が良すぎて、邪魔になるのではと思い食卓へ戻った。


 一緒に待つエルヴァルからは〈氷雨〉に会った印象などを聞かれ、素直に答えると、彼はワハハと笑っていた。


 二人には……この里の皆には、本当に助けられた。今のソルから贈れるものは言葉ぐらいだが、いつか恩返しができる程の男になって帰ってくると約束し、目一杯の感謝を伝えた。


 ひとしきり食事を終え、風呂に入り、床につく。 


 最初この部屋に入った時に感じた埃っぽさはとうに無くなり、居心地の良さをひしひしと感じていた。だが、それも今夜で最後だ。

 眠れなくて闇に向かって手を伸ばす。魔力を込めると、それはあらゆる形を取り、自在に動く。まるで手にまとわりつく小動物のようだ。だが、手を離れると霧散するように消えてしまう。


(こんなので、マーレさんの役に立てるのだろうか)


『茨の道を歩くことになる』


 同時に、タユタの言葉を思い出す。具体は想像もつかない。けれど、国随一の魔術師があえて言うのだ、余程厳しいのだろう。


 ……家族が生きた正しい証をこの世に残す。自分のせいなんかで冒涜されて良いものではない。その為なら何でもする。そう、何でもだ。


 目を瞑り微睡(まどろ)みの最中、瞼の裏に広がる星空の向こうにアルフとルーナの幻影を見た。赤ん坊を抱き、小さな小さな手を握り、柔らかく笑っている。二人とも今にも泣き出しそうなほど慈悲深く、それはそれは優しい笑顔だった。


 目の奥が熱くなり、布団の中で拳を握った。静かな、静かな夜だった。


 


 翌朝、マーレが迎えに来た。エルヴァルとビョルク、集落のドワーフ達へ別れを告げる。彼らから新しい服と靴、大きな鞄を受け取った。中には野営道具一式など、沢山の荷物が詰まっている。

 彼らの優しさとあたたかさの詰まったそれは、生活という具体的な重さとなってソルの背中に収まった。


「ありがとうございました」


 感謝を伝えると、エルヴァルはしわが刻まれた顔をくしゃっとさせ笑った。ビョルクはハンカチを口元に押しつけ、手を振っていた。


 薄暗い通路を戻る。後ろ髪を引かれたが、あえて振り返ることはしなかった。


 



 


「どうしたもんか……」


 とある騎士団詰め所にて、ひとり頭を抱える二十代後半ほどの男。


 雪原のような(しろがね)色の髪と瞳。眉目秀麗が顕現したかのような美しい顔立ちに、健康的な褐色の肌。作り物かと見紛うほどの美貌とは裏腹に、逞しく鍛えられた四肢からは並々ならぬ鍛錬の跡を刻んでいた。


 傍らにはなんの装飾も施されていない巨大な銀の盾が立て掛けられており、青年の姿を反射しキラキラと輝いている。その大きさは、一口に「巨大」で済ませていいような代物ではなく、人間が扱えるようなものには見えない。とてつもなく大きな銀の鋳塊(インゴット)と言い換えても良いくらいだ。


 机に向かう青年はその剛腕で、美しい刻印のされた万年筆を握り、唸りながら書類とにらめっこをしていた。書類の内容は国情を事細かにまとめたものである。


 彼らにとっての目下の急務は〈アフヨウ〉と呼ばれる麻薬であった。貧困層でも二、三日節制すれば手に入る程度の値段で取引され、その手軽さと激しい快楽、それに伴う中毒性によってここ数カ月で爆発的に流行してしまった。中毒者は寝食も忘れ、金を工面し、薬を求める。金が底をつけば他人から奪う。治安は悪化の一途を辿り、限りある資源は削られるばかりであった。

 それに加え粗悪なアフヨウが市場を席巻しており、それは体を蝕み、壊し、不可逆の致命傷を与える。


 うんうんと頭を抱えていると、廊下からバタバタと物音が聞こえ、次の瞬間、扉が勢いよく開いた。


「フェルム!」


 物音の主がそう告げると、フェルムと呼ばれた男は心配そうな表情で立ち上がり言った。


「母う……ゴホン。いえ、タユタ様。おかえりなさい……で、どうでしたか?」


 この場所が己の職場だということを一瞬忘れそうになったフェルムは、早速と言わんばかりにタユタに事の顛末を聞いた。


 盟友であるアルフから手紙を預かっているとの事で、すぐに受け取り、封を開けた。中身は孫であるソルに関する事ばかりであった。まとめると以下の内容である。


 一つ、金を持たせているので部屋をあてがって欲しい。

 一つ、もし金が足りれば学校に通わせて欲しい。

 一つ、それが不可能であれば仕事を与えてやって欲しい。

 一つ、魔術師の道は勧めないで欲しい。


 手紙の締めには、フェルムに対する懇願と謝罪の弁が綴られていた。


「アルフ……」


 フェルムは俯き、そうぽつりと呟いた。胸の奥で、かつての笑顔と声が疼く。


 タユタが王都を発ちサイノンへ到着して直ぐ、彼女は飛脚を飛ばし文書を一通フェルムへ届けた。アルフの死についてはその文書に記されていた。しかし、こうして文字で直に触れると、鋭利な鉤爪で鷲掴みされたかのように胸が痛んだ。


「その手紙、彼と親交があった家族が守ってくれていたわ。自分に何があっても良いように、ソル君が路頭に迷わないように沢山の策を講じてたみたい……」


 少しの沈黙。フェルムは手紙を何度も何度も読み、反芻し、静かに机の引き出しにしまい込んだ。


「……それで、ソル・ウェスペル君はどうしています? どこかで待たせているんですよね? 副団長も大層心配していますので」


「んー……えっとね……話すとすこーしだけ長いんだけど……」


 保護してからの事をタユタは訥々(とつとつ)と語り、バツが悪そうな顔をした。なにせ、成り行きとはいえアルフの遺言の全てに反しているのだ。


「なっ……いやっ…………はぁ……」


 フェルムはあんぐりと開いた口を静かに閉じ、ため息まじりに続けた。


「……マーレが付いているのなら安心でしょう。それに……遺言に従わなかったのではなく、従えなかったのでしょう。理解(わか)りました」


 タユタが若干ほっとしたのを見て取り、フェルムは今後について相談しようと書類に手をやった、その時。 


「あー、あと一つね、この子の面倒を見てほしいのよ」


 扉が開き、一人の少年が立っていた。


「ダリル・フォルティス君よ」


 



 


 時は少し戻り、ドワーフの集落を立ち去った後、タユタ・フィンブルは馬車に揺られていた。眼の前には借りてきた猫のようにかちこちに固まったダリル・フォルティス。両手をぎゅっと膝の上で握りしめ、じっとその手を見つめている。


 ぎしぎしと軋む車内にて、ダリルは大層緊張しているようだった。それもそのはず、彼は今からフェルム・リーベリーに会うのだ。


 フェルム・リーベリーと言えば、泣く子も黙る国家最強の騎士団である〈銀嶺(ぎんれい)騎士団〉創設者にして団長。さらに、元賢人達(サピエンテス)の魔術師である。彼は〈(みずがね)〉と呼ばれ、普段は頭の天辺から足の爪先まで銀色の板金鎧(フルプレートアーマー)に包んでいる。タユタを含め数人しか素顔を知らない、世間的には謎めいた人物だ。


 フェルムが賢人達(サピエンテス)瓦解後もなお、銀嶺騎士団団長の座に就けるのは、団員からの厚い支持によるものだと言われている。


 そんな彼と、なぜダリルが面会することになったのか。それはダリルとタユタ、それに父であるハーヴィーの利害が一致したからに他ならない。


 サイノンの町に着いてすぐ、駐屯する魔術師から事のあらましを聞いたタユタは、一つ思うところがあり、ダリルを保護下に置くべきだと思案していた。だが、父であるハーヴィーがダリルを溺愛していた事は何となく察していた。だから、タユタは銀嶺騎士団に推薦した。


 ハーヴィーは長男のダリルに家督を継がせる予定だったようだし、タユタへ強い警戒心を抱いていたようだったが、かの銀嶺騎士団入団を約束するともなれば閉口した。命が掛かる仕事だとしても、それはそれほどの名誉なのである。 


 ダリル自身も家督を継ぐつもりはさらさら無く、将来は家出してでも王都に出たいと思っていたようだ。


 実のところ、入団はハーヴィーを納得させるための方便(ウソ)に過ぎず、ダリルを保護することが最大の目的であった。タユタは当時、屋敷の外へダリルを連れ出し、こう言った。


「お父様へはあんなふうに言ったけど……本当のところは君の保護が最優先事項なの。だから入団は無理にとは言わないわ。辛く厳しいところだし、命の危険すらある。保護は決定事項だけれど、その先の道はダリル君の意志を尊重したい」


 しかし、ダリルは入団を強く希望した。胸の震えを押さえ込み、視線を上げて。


 元々ダリルの命を案じての提案だったにも関わらず、騎士団という危険な場所に放り込むのは本末転倒な気もするが、成り行きとはいえ、彼の意思だ。


(それに、ダリル君はおそらく……)


 決意に満ちた少年の瞳は、尊重に値した。恐怖と、それでもという希いが、同じ場所に灯っている。


 ()くして、タユタに保護された少年は、団長の前に立ったのであった。

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