18 星の会
夜になり、布団の中で目を瞑る。
地下信獣脱走の件は、床や壁の張り替えとカーペットの取り替えが一日中行われて落ち着いた。
監視カメラにはメイドの一人が映っていたということらしい。
今頃ワースが尋問していることだろう。
ジェミニ様はベスタからのテレパスを合図にすぐ帰れるよう、ヘリで待機している。
ベスタの風邪が治るまでゆっくりさせればいいのに、ワースがあのまま追い出してしまった。
にしても、ベスタがおれの地元までついてくるとなると……どうしたものか。
自殺しようにも止められてしまうのはともかく、親に会わせたくない。
そもそも、地元に帰りたくはない。
親と過ごしてきた時間と比べ、プライスと過ごした日々はおれの人生の中で一瞬に等しいものだったのだと。
そう思わされそうで辛い。
ベスタまで来てしまうと、プライスのことがベスタという存在に塗りつぶされてしまいそうで怖い。
おれは……プライスを死なせたことを罪に思わなければ、ひと欠片も、キレイな部分を残したまま死ねなくなるような気がする。
いいや、先のことを考えすぎだ。
それにキレイって何がだよ。
約束を守らないままでいて、心にもない励ましをパルサやコギト、イドに対してしてきたおれは、もう全部汚いはずなのに。
──朝になる。
今日はとにかく、イドのことを考えなくては。
……イドは死亡者ゼロの取り組みが、ベスタの寿命を縮めていると勘違いしてる。
恐らくベスタは誤解を解こうと事実を伝えたはずだが、それでもイドは納得していないといったところだろうか。
……いいや、ベスタがどう関わっていようとおれのやるべきことは変わらないはずだ。
でもまあ、あとでベスタにイドとはどんな話をしたのか、詳しく聞いといた方がいいか。
支度を終え神殿から出て歩き、イドの家へと入ると……イドは黒いスーツを着てベッドに座っていた。
「おはよう、フィルくん」
「おはようございます。どうしたんですか? その格好」
「昨日の昼から何だか調子が良くて。今日は形から入ろうかなって」
そうは言われても。
イドはベッドからスクっと立ち、コタツの方へと歩く。
その動作だけでも普段よりテキパキとしており、何だか不安になる。
「無理はしないでくださいね」
「大丈夫。今ならベスタ様を安心させられる、そんな気がするの。ねえフィルくん。もし就職が決まったら、二人でお祝いに旅行へ行かない?」
「いいですけど、ベスタ様が許すかどうか」
「大丈夫。日帰りで済ませるから」
ん、昨日もどこかへ行きたいとかって話になってたような……?
それにベスタの寿命が残り一ヶ月ほどと分かってるなら、なぜ今更やる気に……。
「それよりも、面接の練習手伝って。これ、入社面接でよく聞かれるっていうのをまとめた質問リスト」
イドは正座すると、手書きのメモ用紙をコタツ机に置いた。
メモ用紙にはビッチリと小さな字で、何か書いてある。
ペラっと手に取り読もうとしたら、視力検査やってる気分になってきた。目がイタイ。
一番上には、履歴書を拝見させてもらいましたが、退社後の空白期間には何をしていたのですか? と書いてあり、その真下には、精神治療を受けていました。とある。
やるのは構わないものの、どうも口が止まってしまう。
「……読み上げてくれるだけでいいのに。社会復帰、手伝ってくれないの?」
「いいえ、やる気になってくれるのは嬉しいのですが。寿命の話が本当なら、どうしてベスタ様が死ぬ間際になって、頑張り出してるのかが分からなくて」
「フィルくんが来てくれたからだよ。昨日は特に元気を貰えた」
昨日はイドが何か言ってる最中に帰ったはずなのに、元気を貰えた?
模様替えが理由ならまだしも、よく分からない。
すごく引っ掛かる。
「まあ、手伝いますよ」
「ありがとう」
そのクマのできた目が細まる。
──結局メモ用紙を全部読んで帰った。
未だにどうしてやる気になったのかが気になってしまう。
風呂の中に体を沈めながら考える。
そうだ、あの目は新人メイドの歓迎会があるとかいう日のパルサと同じ……虚ろな目だった。
ガララ、と誰かが入ってくる。
ワースだ。
「……よく会うな」
「何だよイヤか? おれは嬉しいんだが」
「おれがプライスの弟だからだろう」
少し機嫌が悪そうだが、相変わらず表情からは読み取れない。
「それで、地下の鍵を開けたメイドはどんなヤツだったんだ?」
「パルサだった。覚えているか? アンタと一緒にここへ来たガキだ」
「え? ちょっと待てよ! 何でよりにもよってアイツがっ」
おれが浴槽の端に寄りかかり叫ぶと、ワースは気にもせずシャワーで体を洗い始めた。
パルサは、そういうことをするようなヤツじゃないはず。
誰かの命令を仕方なく受けていたとか、そういう理由があるはずだ。
身体中が熱い……。
ベスタの寿命の話を聞いた時とは違うものが、フツフツと沸いてくる。
なぜ、何で、どうして。
そんな行き先のない疑問で、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
「風呂場を出てから尋問で得た情報を教える」
「分かったよ。先に上がっとく」
浴槽に浸かり続けてたら、風呂の熱さと重なっておかしくなりそうだ。
自分の荒い鼻息を抑えられないまま出て行って、脱衣所で涼む。
……この感覚。
プライスが死んでから、同級生に当たり散らそうとしてたのを思い出す。
あの時から確か、少し遊ぶことのあった友達とも遊ばなくなって……と、もうワースが出てきた。
「……早いな、体ちゃんと洗ったのか?」
「ああ」
「ちゃんと洗わないと乾かしても臭うぞ」
「普段全裸だと乾きがよくてな、臭わない。臭いが付いてたとしてもそれはオレの体臭ではない、誰かの体臭か何かしらの臭いが移っただけだ」
どちらでもいいのだが。
まあ、ワースが臭い時はそう思うことにしとこう。
ガガ、ギギッ……とどこからか音が鳴る。
ワースは体を厚手の黒いタオルで拭きながら、こちらへ目をやった。
「……苛立っているな」
「パルサのこと、またウソを言ってるんなら、その方がずっと気楽に思えるよ」
喋る時に動かした口が、少し重たい。
さっきの、ガチッ、ガガッという音は……おれが歯軋りしていたものだったらしい。
音は止み、イヤな熱のこもりが行き場を変え、眉間に力が入る。
「ウソか。アンタには一度たりとも吐いた覚えがない。このまま行けば、ベスタがあと一ヶ月で死ぬのは間違いないとジェミニが言っていた。しかし、確かにウソかもな。真偽は神類にしか分からない」
ワース……気が利くとこはあるけど、結局プライスを死なせたおれのことがキライなのだろう。
声を掛けてきたおれのことを不快に思い、こうして狼狽する姿を見て、心の中で笑っているはずだ。
……いいや、いっそ笑っていてほしいものだ。
「地下の信獣脱走については証拠を見せてやれるが。信じられないのならパルサ本人から聞くといい」
「パルサはどこにいるんだ?」
「地下で信獣たちと共に閉じ込めてある」
青水晶の部屋へ入ると、床には黒いフワフワの絨毯が敷かれていた。
パルサの目元は、涙で腫れている。
「パルサ。どうして地下の信獣を解放したりなんて……あんなに迷惑のかかることをしたんだ?」
パルサはため息を吐く。
「ベスタを消したいっていうグループのリーダーから連絡を貰ったの。それで、興味が湧いた。でも大したことにはならなかったわね」
「本気で言ってるのか? 何でベスタを消そうなんて思ったんだ」
「死ぬのを邪魔してきたからに決まってるでしょ。アタシはこれ以上生きてたって仕方ないのに。それに監視されてるって、気味が悪いじゃない?」
……そう思っていたのか。
こないだの歓迎会に参加させたのは、パルサにとって苦でしかなかった訳だ。
「ああ、そうかよ。鍵はどうやって手に入れたんだ?」
「教えてあげてもいいけど、どうだっていいでしょ。そんなの」
「……とにかく残念だ。これから前向きになれば、楽しくなっただろうに」
「ハァ? 前向きになるのは調子に乗るのと変わりないわよ。アタシは調子に乗ってるヤツらがキライ。ベスタのことは特にね」
そう言う割には力がない。
ワースという好きな相手がこの場にいるからなのか、それとも本気で言ってる訳ではないのか……。
ああ、イライラする。
とにかく、行動するきっかけを与えた存在が許せない。
「そのグループリーダーってヤツは、まだ何か企んでるのか?」
「分からない。話しながら脱走の手伝いをして、地下を出て連絡しようとしたら、繋がらなくなった」
それが本当なら、自分たちの手は汚さずに信獣たちとパルサを使って……コソコソと薄汚い、本当に許せない連中だ。
「グループ名は? グループリーダーの名前は?」
「星の会で、スーパー・ビッグバンだったと思う」
偽名くさい、ふざけた名前しやがって。
何がスーパー・ビッグバンだ。
スーパーマーケットの店名かよ。
「フィル。怒る気持ちはわかるが、ソイツらは誰かを殺した訳じゃない。放っておけ」
「でも、そのビッグバンってヤツは許しちゃいけないだろ。パルサを、それに信獣も手駒にしやがって……!」
《突然失礼します、私は許しますよ! でも私が病気になった時の対策は、考えておかなくてはなりませんね》
うお、ベスタが会話に入ってきた。
そうか、この場にいなくても第一感で話が聞こえているのか。
「……それで、パルサはこのままメイドを続けていくのか?」
「いいやクビだ、神殿への出入りも今後禁止にする」
パルサは浮かない顔で、おれたちから目線を逸らすと、ごめんと呟く。
「くそッ、パルサを騙しやがって……。スーパー・ビッグバンめ! 許せねえ!」
「騙されてないし……。大体、フィルから心配される筋合いないんだけど? アンタもアタシと同類なんでしょ。この都市のことキライなのよ」
おれは別に、そうは思っていない。
自分のことならキライで許せない。
死ぬ勇気がないから、苦手なこと、やりたくないことをして、楽しいことはやらずに。
自分を苦しめるために生きている。
ただ他人は巻き込まず、自分だけを追い込みながら過ごしたいだけだ。
ワースがパルサに近づき、その頭へ手を置くみたいに、ポンポンと尻尾の先でなでる。
パルサは顔を赤らめ始めた。
「急に何?」
「情報を吐いてくれたのには感謝している。オマエを唆したビックバンは、捕まえて牢に入れてやる」
パルサはなぜか、おれの方をジッと見つめて「ありがとう」と呟く。
何の感謝だか。
「それよりもフィル、イドの社会復帰を済ませることだ。この件はオレやメイド長に任せておけ」
「……分かった。パルサ、おれはこの都市のことが好きだ。ベスタ様が死亡者ゼロを続けてくれるから、自殺だとかの最悪なことが起きずに済んでる。……都市のことがキライならそのままでもいい。ただし、学校の奴らからまた虐められたりして、助けがほしくなったらベスタ様に呼び掛けろよ」
パルサは徐々に、深く俯いていき……パッと顔を上げた。
その目はグッと瞑っている。
「分かってるわよ、ワースから散々言われたもの。学校に戻ったら、友だちを作る努力くらいはするわよ」
「そうか。パルサ、応援してるからな」
パルサは鼻でフッと笑った。