13 その日までに
《イドさんのトラウマは私にも分かりません! トラウマのことは置いておいて、元気になってもらえるように取り組むべきかと!》
今日の手伝いを終え夕食のナポリタンを食べている時、ベスタに聞いてみたらそんな答えだった。
ワースにも聞きたいものの、どこにいるのやら。
とりあえず、自室に戻って布団に座る。
……まだ少し、胸がざわつく。
イドとの会話で不思議に思ったことでも書くか。
イドはおれのことが嫌い。
なのに、好きになってもらおうと過激なスキンシップを図る。
イドはトラウマのことを、アタシのせいだからと言った。
イドは何かするのを急ぐために、トラウマを明かそうとしている。
うん、何も分からない。
明日イドにどんな質問をするか考えてから寝よう……。
──トントン。
ドアを叩く音がする。
ベスタだろうか。
開けてみると、黒い毛むくじゃらがドアの向こうを塞ぐ。
ワースだ。
「ワース! ……何か用事か?」
「ベスタの手伝いは順調か気になってな」
「ちょうどおれ、そのことをオマエと話したかったんだ」
ワースは入るぞと言い室内に来ると、すぐ壁にもたれかかった。
そして腕組みをする。
「その姿勢、青水晶のとこでもやってたよな。好きなのか?」
「こうしておけば神類の第一感を食らう対象にならない」
「ウソだな」
首は向けずにおれの顔をじっと見てくるワースは、嘘でなく本当だと訴えているようだ。
「ああ」
違った。
「それで、話したいことってのは何だ?」
「……今さ、イドって人の社会復帰を目標にしてるんだけど、トラウマがあって難しそうなんだ。でもそのトラウマの原因が何なのか、全く話してくれない。でも何か急いでるらしくて、言おうとしてくれてはいるんだ」
「ソイツ、白に茶斑のイヌ種か」
「知ってるのか?」
ワースはこちらから目を逸らして俯く。
「ベスタもそのことは話したがらなかったろ」
「じゃあ、ワースも教えてくれないのか」
「イドに知らないフリを通せるなら話してやる」
おれが頷くと、ワースはおれと目線を合わせるかのようにしゃがみ込む。
「そのイドはベスタを誘ってカタナ島の研究所に忍び込み、あるものを見た。それからベスタは自分の寿命と引き換えに、都市の人々だけでもと死亡者ゼロを実践できるよう訓練し始めた。ベスタがそうし始めたのは自分が研究室へ誘ったせいだと、自責し続けているらしい」
「待てよ、寿命と引き換えって……随分なウソだな」
「知らなかったのか? 第一感を人の五感以上に使い過ぎると、寿命が削れていく。他の町で死亡者ゼロなんてことをやらないのは、そういうリスクを避けるためだ。こんなこと、都市にいる住民の8割は知っている。ベスタはこのままなら、一ヶ月以内に死ぬということもな」
え? ベスタが、もうすぐ死ぬ?
──ドクンドクンと、心臓の音が強まる。
涙や鼻水は出ない。
胸を締め付けて心を押し潰してくる何かを、食い縛り、腕に爪を立てながら耐える。
プライスの凶報を聞いたあの時より、酷い気分だ。
……ワースから腕を強く掴み上げられる。
床には、血がポタポタと垂れ落ちていた。
「ウソかも疑わずに自傷するとは。そこまでベスタのことを気に入っていたか?」
「気分が悪過ぎて、爪が立っただけだ」
「そうか。悪かった、言うべきではなかったな」
「……いいや、ウソでもいいさ。それで、もし今すぐにベスタが死亡者ゼロを辞めるんなら、あとどれだけ生きるんだ?」
「1年間力を使い続けるごとに、30年ほど寿命が縮む。ウソかどうか、ベスタの腹にある紋章を毎日見て確認することだな。紋章が全身に広がり切れば、ベスタの存在は消える」
──部屋を出て、ベスタのところへ走る。
今更急いでどうにかなることでもない。
なのに、確かめないとおかしくなりそうだった。
ベスタの部屋に入ると、ベッドで座っていた。
《フィル。どうしたの?》
「お腹を見せてくれ」
ベスタはベッドから起きると、少し照れながらパジャマを捲し上げる。
紋章はお腹全体に浮き出ているが……へそのありそうな場所を中心にベスタの記号があるだけで、別の何かが広がってるわけでもない。
ウソだったのならそれでいい……。
ふぅ、と一息吐く。
「ベスタ様。第一感の力を使い過ぎて、このまま死亡者ゼロの維持を続けてたら死ぬって……本当ですか?」
《あー……イドさんから聞いたのですか?》
「ワースからです」
ベスタはベッドを手のひらでポンポン叩き、座るよう促した。
ベッドに座ると、ベスタも隣に座っておれの腕に包帯を巻く。
なんか、用意がいいな。
《寿命が縮むというのは間違いです。事情をお話しますね》
頷くと、ベスタは目を瞑った。
《昔、イドさんと研究所へ探検に行きまして。そこでイドさんはジェミニ母様の実験記録を見つけ、そう言っているのだと思います。実験記録の内容は、ある試験薬の注射後に第一感を使った際、身体に掛かる負担というものでして。私が死亡者ゼロのために力を使うのとは訳が違うのです》
「では、ベスタ様はあとどれくらい生きられるのですか?」
《他の人たちと同じくらいです! もう少し経てば、イドさんもちゃんと分かってくれるでしょう。……心配してくれてありがとう、フィル》
ベスタが抱きついてきた。
まだ本当かどうかは分からない。
イドが急ぐということは、その時が近いのだろう。
ベスタの言うことが一番信じやすいものの、もしウソだったら……。
……死亡者ゼロなんてこと、やめさせられるんなら。
少しでも長く、生きていられるんじゃないのか?
「しかしなぜ、死亡者ゼロなんてことを続けるんですか? 他の町ではやっていないのに」
《その質問には、プライスさんの自殺理由を教えてから答えます!》
「今答えてください。おれ、ベスタ様のこと疑ってしまっているんです。ダイジなこと隠してるんじゃないかって」
ベスタが初めて、笑顔でない表情を見せる。
おれの言葉に驚いたかのように、瞳は揺れ、口が少し開いていた。
《……私は研究所で、パパとママのデータと出会ったの。パパとママが《《母様》》と協力して作った模造のAIっていうものらしくて。二人としばらく話したんだ》
ベスタは目を逸らしたまま、自分自身を抱きしめるかのように腕を組む。
《その時は誰なのか分からなくて、ただ暖かい二人だと思った。……今、私の頭にいる鳥型のロボットにそのデータが入ってる。それで、私にも生みの親がいたんだってはっきり分かって、私のせいでもういないことが悲しくてたまらなくて。せめて何かできることがあればって、死亡者ゼロに取り組んでる》
……神類は生まれる時に両親が死ぬ。
それを気負っている訳か。
いい行いだとは思うし、理由にも共感できるのだが、何故か腑に落ちない。
こちらの目をまっすぐ見つめてくるその曇りのない瞳にさえ、不安を覚える。
「フィル、話の途中だったのだが。ベスタから聞いたか。……抱き付いてどうした」
ワースが入ってきても、ベスタはおれから離れてくれない。
ただワースの方へ笑顔を向けている。
《心配してくれて嬉しいんです》
「そうか。フィル、話はオレにも聞こえていたが。イドや他人に話すなよ。ベスタも周りから一斉に心配されちまうと、今後やり辛くなるだろう」
「話さないよ」
「それで頼む。イドの支援頑張れよ、じゃあな」
ワースはドアを閉じる。
にしても意外だ、おれと同じようにベスタにも、こんな負の面があったとは。
……ベスタを見ると、顔を赤くしてこちらに目を向けていた。
〈ワースもあんな風に気遣ってくれるなんて。……このままキスしましょうか?〉
「待ってください、どうしておれにそこまでするんです?」
〈一目惚れですけど、メイド長から話を聞いたのもありますし。理由はいくつかあります〉
ドアがバタンと開く。
そこには背がやや高く灰色をした体毛のネズミ種で、パーマが掛かった焦茶色の髪を斜め上に束ねている白黒メイド服姿の女性がいた。
あと丸眼鏡をかけている。
鼻先が尖っているし、耳は丸っこい。
ネズミ種で間違いないはずだ。
ベスタは咄嗟にベッドから降りる。
「ベスタ様。就寝時間ですよ」
《はあい。……フィルくん、また明日》
おれもベッドから降りて部屋から出ると、メイド長がドアを閉じ、口をへの字にしながらこちらを見下ろす。
「あの子は子供ですので。くれぐれも変な気は起こさないようお願い致します」
「はい」
「……申し遅れました。フィル様、私目はベスタ様に仕えるメイドの長です。そのままメイド長とお呼びください」
「どうも。ベスタ様のお手伝いをしてるフィルです」
メイド長はやや不満そうな表情のまま、こちらへお辞儀する。
お辞儀を返し再び見ると、目の前にいたはずのメイド長は消えていた。
辺りを見渡しても、天井を見てもいない。
……どこへ消えたんだ。