エンドロールにはまだ早い
ヒーローになりたかった。誰かに勇気を与えられるヒーロー。でも、運動神経もなくて、特殊能力にも目覚めなかった僕は無力で。
『俺が! きみのヒーローだ! 理想のやり方じゃなかったとしても、きっと、希望を届けて見せる! 俺は、絶対きみを絶望させない!』
小学生の、夏休み。初めて買ってもらったゲームでこんなセリフがあった。ひとり親でかまってやれない両親が、どこから買ってきたのかクラスの話題にもならないニッチなゲームを買ってきた。今思えばお粗末なシナリオだったが、それでも、僕はそれに勇気をもらった。ヒーローになる道は何もそれだけじゃないとゲームが気づかせてくれた。誰かの心を動かして、前を向いてもらうこと。僕にとっては、それだけでよかったから。
だからシナリオライターになった。
「いて」
「修羅場に寝るな」
同期である西里がうとうとし始めていた僕の頭を丸めた資料で軽く叩く。
その資料はきっと今度のコンペで使う物だろう。先日、社長から直々に企画部とシナリオ班に連絡が来たお誘い。今月一周年を迎える弊社の代表ソーシャルゲーム『エンドロール』。そのゲームのマンネリ防止の為に、数か月後の期間限定イベント案を企画部だけではなくシナリオ班からも募るというものだった。
弊社は企画担当の企画書を元にシナリオ班がストーリー作成を行っている。そんな環境で自分の書きたいものが書けるチャンスがあるのなら誰だってやってみたい。弊社初めての試みに実際シナリオ班のほとんどが意欲的なそのコンペに西里もやる気を出していた。締め切りは今月末。テーマは「夢のおわりとはじまり」で、キャラの関係や性格を壊さなければ何をやっても良いと言われている。モブでも個性ある新キャラだって作っていい。
「それ、企画案の資料だろ? 大切にしなよ」
「いいんだよ、どうせ受かるから」
「自信あるな~」
確かに西里も今回のメンバーで有力候補だと噂されるシナリオライターだ。自分はやる気がないからその企画に興味もないが、西里は社長からこのイベントを告げられてからずっと頑張って企画書を作っていた。
「お前は企画書どうなん」
「僕は適当に形だけ書いて終わりにするよ」
昔はヒーローになりたかった。誰かにとっての道しるべに。誰かを感動させる作品を作れるように。でも、結局今はどうでもよくなってしまった。
忘れもしない第一志望の最終面接。大学四年生だった僕は、憧れていた中小規模のゲーム会社の最終面接に行った。その時の自分は実力があると思っていたから、天狗になっていたのだ。ポートフォリオとして自分の作った短編ノベルゲームを先方に送り付け、社長直々に呼び出された。内定確実だと思った。
「あー……、キミ。才能はあるけどキャラ変えた方がいいね」
「は?」
応接室に二人。いい返答を期待していた僕はそんな声を出してしまった。
「自信満々、自分の書いたものが正義です。作品からそれが透けて見えるし、実際そう考えてるならこの業界辞めた方がいい。特にSNSとかはやらない方がいいね。ライターのキャラすら、ファンからしてみればシナリオの一部なんだよ。ウチはキミみたいな危うい人材雇えない」
その時はショックでわからなかったが、それから帰り道よく考えて気がついた。
確かに自分もそう思っていた、と。
好きな小説家はあとがきやエッセイまで見るし、好きなシナリオライターがインタビューを受けるならわざわざ雑誌を買うし、SNSだってチェックする。つまりはそういうことだ。「ライターの発言や態度が作品のイメージを落とす可能性がある」と。彼はきっとそう言いたかったのだろう。
それからの就活は妥協。自分のガクチカなんて「ゲーム作ってました」しかなかったから仕方なくベンチャー企業に入ったけど、やる気は皆無。ただ適当に書いて給料をもらう。
だから西里がまぶしかった。いつも全力で、自社のゲームが大好きで。僕はこうはなれない。やる気がない。ここまでやる気がない、というより、そもそもこの仕事に情熱が持てないのだ。どうなりたいかだって、今はあやふやで。なんでここに入社したかの目的だって忘れてしまった。
「残業して明日寝過ごすなよ」
「大丈夫大丈夫、プライベートには響かないタイプだから」
明日は西里に遊びに誘われていた。西里はご両親の家業を継ぐためにゲーム業界から離れて田舎に行くらしい。元々いつかは継がなきゃいけなかったし。と彼は気丈に言っていたが、無理をして言っているのはなんとなくわかっていた。変わってやりたいなと思う。僕は正直、楽をして金がもらえるならここじゃなくていい。でも西里はここじゃなきゃダメなのに。西里にとって、この企画の仕事は最後の仕事だった。受かってほしいと思う。
秋葉原の頭上を見る。ビルの上の広告板には僕がイベントシナリオを書かせてもらっているゲームのキャラクターのイラストが大きく描かれている。
自分の書いたシナリオが他者から評価されているほど面白いものだとは思わない。適当に書いた「こんなのがウケるんだろう?」って書いたものが評価されている。僕の評価は社長からとてもよく、ネットでは毎回担当シナリオがトレンドに載る。
あんな上っ面だけのものが。
「おーいたいた」
西里が手を振ってこちらに向かってくる。冬だからかロングコートを着ていて、高身長は得だなと思った。自分は身長がないから似合わない。
「どこ行く?」
「ゲーム専門店。ウチのゲームの限定グッズが出たからさ、こっち居るうちに入手したくて!」
そう熱く話す西里は本当に自社愛にあふれた男だと思う。本当に実家に帰るのがもったいない。大好きな同期。でも会社から離れたらきっともう会わない。新幹線の距離に行くらしいから。休みのない大人なんてそんなものだ。
思えば、四年前からの付き合いか。初めて担当したシナリオにミスが見つかり自信喪失していた時、フォローしてくれたのが西里だった。担当した箇所とメインシナリオでのキャラの設定とセリフに齟齬が生じたままのリリース。ネットで指摘され、上司にこっぴどく叱られて泣いていたところに、西里が通りかかり慰めてくれた。それから、始末書を一緒に書いてくれて、話下手な僕の代わりに上司に説明して解決案を出してくれた。
『なんで自分のミスじゃないのに助けてくれんの?』
『友達だから当たり前だろ?』
『じゃあ友達に聞くけど入社していきなりこんなミスする僕って向いてないかな』
『向いてない、で諦められたらこうやって会社にいねえんじゃねえの』
オレだったらミスが見つかった瞬間にバックレてるね。そう言ってくれた西里に確かに救われたのだ。笑わそうとしてくれた気遣いもそうだけれど、あの時「向いていない」を「できない」に解釈しなかった彼に。
もし、あの時違う言葉……例えば普通の慰めが返ってきていたらきっとシナリオライターは辞めていたかもしれない。恩人に近い人だった。
「お前はさ、企画書どんな感じ?」
西里がこちらを向き、何も考えて無さそうな顔で聞く。これはライバル調査ではなく普通に気になっているだけだろう。それもそのはず、シナリオ班にも回ってきたこの話に喜ばない社員なんて居なかったからだ。少なくとも表面上は。
「まだ白紙」
「お前提出今週末だぞ?」
「適当に書くよ」
「考えた話が形になるの見たくねえの?」
弊社のシステムはこうだ。まず企画担当が話の概要、骨になる部分やストーリーの大まかな流れを考える。そしてシナリオ班がそれに肉付けをして完成。企画部の企画がもちろん一番大事だが、話を良くも悪くも左右するのはシナリオだと思っている。どんなにいい企画を用意されてもシナリオがゴミなら折角の企画もゴミになってしまう。それを解っているから、企画にはあまり興味が無い。
「興味ないし。金もらえればいい。選ばれても追加で金もらえないでしょ」
「は~……天才エースは言うことが違うな」
「向き不向きを知ってるだけだよ」
昔は違った。『自分の考えた物語』それでいろんな人の背中を押したかった。でも、自分の渾身のゲームを否定されて、心が折れて、最初から道筋が決まってるシナリオ担当の方が何も考えずに済むって気がついて。自分には、誰かに何かを伝えるなんて向いてない。勇気なんて、元気なんて与えられない。
「お、あったあった」
西里が駆け寄ったのは大手ゲームショップの入り口。その店頭にはウチのゲームのポスターが貼られている。
「お前がイベスト担当したキャラ! めっちゃ好きで何万もガチャで溶かしたんだよな。オレも別のキャラの個人ストーリー担当したけどさ、ユーザーの反応もいい感じで……。誰かに自分の話を好きになってもらえるって嬉しいよな。ユーザーの声聞いてるとゲーム作ってて良かったって思う」
羨ましい。自分にはそんな気持ちはない。
「よし早速、会計行ってくるわ!」
「悩むとか無いの?」
「思い出思い出!」
西里の目当てのキャラがいるラバーストラップはランダム仕様、全十六種類でお財布に優しくない。それなのに西里は何のためらいもなく箱ごとレジに持っていった。しかも三箱。
「一つでいいだろ……」
これは誰にも言ったことがない。言えなかった事。自分は、彼みたいに作ったゲームに愛情なんて持てない。西里みたいになれればいいと何度も思った。だけど、自分の書いたシナリオもキャラクターも好きになれない。全力を出し切っていないから。また否定されるのが怖いから。
レジから帰ってきた西里が袋をもってこちらに駆け寄ってきた。それから少しお茶をして、アニメショップやゲームショップを見た。
自分の企画書は一番最後に上がったらしい、と聞いたのは締切当日だった。
「お前本気出せよ……」
「いいよ、受かるのは西里だもん。……最後だし、そうしてもらわなきゃ困る」
西里は、採用されればこれが最後の仕事になる。自分の両親と、社長とそういう話をしたと聞いている。もし、今回のコンペに受かれば退職を延ばす。もし、受からなければ……、早めに両親の家業を継ぐ。つまり、シナリオから完全に手を引くと言うことだ。だから、負けられない。絶対に。僕は知っている。西里がどんなに頑張ってきたか。
自分はあのころから何も成長できていない。そんな半端なライターが、勝てるわけがないのだ。
「どういうことですか!」
会議室のひとつである部屋の前を通りかかった時、聞きなれた声が廊下まで響く。その声は確かに西里の声だった。
「今回のコンペはオレが受かるって言ってたじゃないですか! 話と違います!」
どういうことだ、と足を止める。次に聞こえてきたのは上長の声だった。
「確実とは言っていない。ただ、キミも会社にはかなり貢献してきた。だから事情も考えて今回は西里の案を採用してくるだろうと……」
「……なら、なんで」
「その事情を考慮しても、企画としては吉野の方が上だった」
自分の名前が出てきて固まる。なんだって? 僕の企画が採用?
……あんなのが?
「それは……アイツが社長のお気に入りだからですか」
「私も企画書は見たが……、負けだ。単純に吉野の案の方が面白かった」
「……ッ! あんなやる気の無い奴に!」
靴音が近づき、がらりとドアが開けられる。その時真っ赤な顔の西里と目が合った。
「……聞いてたのかよ、お前」
「ちが……偶然通りかかって……」
八百長する予定だったの、なんて言えなかった。そうなってくれたらどんなに良かっただろう。どうして上長はあんな適当に書いた企画書を通したのか。混乱と罪悪感が胸をぐちゃぐちゃにする。
「……最後だったのに、イベントの企画に関われるんならどんな手でも使うつもりだったのに! なんでお前みたいなやる気の無い奴に負けなきゃいけないんだよ!」
西里はそう叫んだ。痛々しいくらい、泣きそうな叫びだった。
「オレが今考えられる全部を詰めた! 贔屓だってしてもらった! その上でお前に負けたんだよ! お前は気分がいいだろうな! でもオレは、オレは、これが本当に最後だったのに……」
「西里……」
西里は自棄になった様に言った。目には涙が滲んでいて、それだけ彼がこの仕事に本気だったのが伝わってくる。例えその答えが八百長だったとしても。
「吉野、お前はいいよな。上のお気に入りで、才能もあるから得をする。オレは無理だから一抜けするよ」
「そんな」
「才能がある奴はわかんないだろ、オレみたいな諦めなきゃいけない奴の気持ちは」
いいや、違う。自分には西里の言うような「才能」があるわけではない。
絶望もしかけた。泣きもした。それでも、書くことしかできなくてこの道を選んだだけで。でも、そんなことを言ったって西里には響かない。この業界は結果が全てで、結果を出した人間の言う「努力」なんて結果を出していない人間には嫌みにしか聞こえない。
「……もう、諦めるしかないんだろ。才能が無い奴なんて入社しても無駄だったな」
違う。才能が無いなんてそんな事ない。同期の自分は知っている。西里が今までちゃんと努力してきたこと、仕事に真摯に向き合っていたこと、誰よりもこのゲームが好きだったこと。
なんで、言葉を扱う職業なのに。
なんで、同期のひとりも助けられないんだろう。彼は今、絶対に助けを求めているのに。それがわかっているのに、何も言えない。
自分の無力さで涙が滲んだ。
その時だった。目の前のドアが開き、上長が現れた。「話の途中で飛び出すな」そう言って。
「西里。話を聞け」
「決まったことでしょう? これ以上話を聞く意味なんてないです!」
上長は話を続けた。
「確かに、吉野の企画は何のやる気も見えなかった。熱量ならお前の方が上だ。ただ、違うのは吉野の方がユーザーを見ていた事だ」
ユーザーを? そんなものは見ていない。自分が見ていたのは目先の締め切りだけで。
「お前の企画は気合が入りすぎて独りよがりで、ユーザーを楽しませたいという気持ちがなかった。……私も心が痛いが、これは趣味じゃなくて商売だ。売れる見込みが全てなんだよ」
西里は両手をぎゅっと握る。それだけ悔しいのだ。それだけ辛いのだ。昔、自分は必要ないとわからされた自分の時の様に。
「……ッ! 失礼します!」
走り出した西里を誰も追いかけなかった。
「……おかしいです」
口から勝手に言葉が出てきていた。
「僕の薄っぺらい企画を選ぶなんておかしいです。確かに、客ウケは考えました。評価は落としたくないから。でも」
でも、でも、あんなのが選ばれるなら。
「あんなのが選ばれるんなら、本気で誰かにメッセージを届けたいって、救いたいって、そうやってキラキラした動機で入社した奴の心はどうなるんですか……ッ!」
わかってる。これは商売だ。そんなのがやりたいなら趣味でやれ。売上が全てな商業では、自分の我は消さなければならない。
でも、違うだろ。
「本気でやってる奴は報われるべきです」
「なら、お前が見せてみろ」
上長は目をそらさず、僕の顔を真っ直ぐ見た。
「お前の書くシナリオは必ず当たるが、全部消化試合なのが作ってる側としては透けて見える。少しでもやる気を出させろ、アイツを将来的に伸ばして企画もできるメインライターとして育てろ、それが社長の意見だ」
じゃあなんだ、僕が西里の邪魔をしたのか。
僕の適当な仕事の仕方がこの結末を生んだって?
「会社は趣味サークルじゃない。今後の利益を考えなきゃいけない。辞める事がわかってる奴の企画なんて通すわけがない」
「……騙したんですね、西里のこと」
「ああ。だから、選ばれたお前が届けろ。西里への物語を」
「は……?」
「もし、お前が本当にアイツのことを想っているなら、少しでも気持ちがあるなら、一回本気でやれ。お前はスキルだけはある。協力はしてやる。社長を騙せるくらい、大衆向けの刺さる話を書いて、その中にアイツを救えるメッセージをねじ込め。私は立場上推薦しかできない。でもお前なら能力的に可能だと判断した」
西里は上長のお気に入りだった。西里はやる気はあったけど、能力は並みで、それでも大成するって信じていたひとりが上長だった。彼は立場上この企画の審査しかできない。内容を弄ることは出来ない。
「……やる気もない僕が、何か届けられるわけが」
やる気を出した結果、お前はいらないと言われて。人格まで否定されて。この業界辞めろとまで言われた人間が、誰かを救えるわけない。何かを届けられるわけない。
「できないじゃない、やれ。お前が少しでもアイツのことを想うなら」
西里はいつも通り会社の外で待っていてくれていた。駅までの帰り道。一緒に話しながら帰る事が日常で、あんな気まずい雰囲気になったのに、それでも待っていてくれるなんて優しい奴だ。
優しすぎて、胸が痛くなる。
「待ってなくてよかったのに」
「……言いたいことがあって」
西里はそう言うと「ごめん」と一言こぼした。
「お前に八つ当たりした。悪いのはオレが才能ないだけで、お前が選ばれたのは上長の言う通り実力だよな。おめでとう」
「ちが……」
「悔しいけど、向いてなかったんだよな。結局サブライター以上にはなれなかったし」
ちがう、ちがう。お前がそんなこと言うな。向いてないわけないじゃないか。そう言ったのはお前だろう。
お前が。
「……誰かにとってのヒーローに、なりたかったんだけど」
『向いてない、で諦められたらこうやって会社にいねえんじゃねえの』
気が付いたら、声に出していた。
「お前が僕に言ったんだろ! 向いてないで諦められたら会社にいないって!」
あの言葉にどんなに救われたか、西里は知らない。西里のシナリオが誰かに届かなくても、ただ消費されてヒーローになれていなかったとしても。僕には届いていたことを。
「僕にとっては! お前はヒーローだったよ! 僕がここにいるのはお前が救ってくれたから! 少なくとも……」
少なくとも、自分にとっては彼はヒーローだったのに。どうして辞めなければいけないんだろう。どうして現実はゲームのようにうまくいかないんだろう。
「それでも、劣ってるって言う事実は事実だ。もう明日から会社には来ないって、それだけ言おうと思ったんだ。有給使って、それで、書く環境消して、それで、書くのも……諦める」
ふざけるな、と声が勝手に出た。道行く人たちが目線をこちらに向ける。知ったことか。
「僕より西里が劣ってるだなんてありえない! 事情があるのも知ってる! 現実に折り合いつけなきゃいけないのもなんとなくだけどわかる! でも書くのはやめんな! お前は、僕より何倍も何倍も! ゲームの世界が大好きなんだから!」
僕には「書ける」環境があった。それなりの才能にも恵まれた。だから西里の事はわからない。でも、わかりたい。
「……オレはお前とは違う」
「違っても愛情が報われないなんて信じたくない」
「お前は誰の為にも書いたことねえんだろ? そんな上っ面だけの奴の言葉信じられるかよ!」
確かにそうだ。自分は西里とは違う。なら、だめなのだろうか。自分には何も出来ないのだろうか。いや、そうじゃない。まだ僕にできることはある。
「なら、西里のために書くよ」
僕は西里に宣言するようにしっかりした声で言い放つ。
「届くシナリオを作る。リリースされるのはきっと辞めた後だ。退職は仕方がないから止められない、でも、もし言葉が届いたら、自分に正直になって」
そうだ、諦めさせてたまるか。
『向いてない、で諦められたらこうやって会社にいねえだろ』
あの言葉に、確かに自分は救われた。あの時みたいに、自分の言葉で誰かを救えたら。西里を救えるとしたら。諦めたくない。
誰に向けても書いたことが無いなら、今、初めて書いてやる。目の前で夢を諦めかけている男、ただひとりの為に。
「……勝手にしろ」
西里は横を通り過ぎ、そのまま去ってゆく。
僕は覚悟した。
絶対に西里を変えてみせる、と。
「『絶望するな。夢は思い通りじゃなくても、別の形でも叶えられる』……っと。できた」
ようやくシナリオが完成した。企画もシナリオも両方担当するのは初めてだ。同僚からは不公平だ、予定と違うと散々批判されたが、上長がかばってくれたおかげでなんとか形になった。上長の言う通り、僕は「大衆に刺さるような」シナリオを書いた。中に、西里へのボトルメールを忍ばせて。
西里に、これからも書いていてほしい。この環境じゃなくても、趣味としてでも書くことは出来る。一本の道ではなくて、やり方は何通りでもある、そう伝えたくて。
……伝わるかは、もうわからないけれど。
西里は宣言通り、たまりにたまった有休を使って会社を予定より早く辞めた。
あれから、僕はイベントシナリオの作成に集中した。家でも仕事を持ち帰って一行一行を大切にしながらシナリオを書ききった。そのおかげで、完成品は上長から微調整の指摘はされたものの、ほぼ一発OKを貰うことが出来た。配信日も決まった。
そして、ついに例のイベントが配信された。
SNSでの評判は最高。すぐにトレンドに載り、社長の機嫌もいい。でも、まだ素直に喜べなかった。
当日の夜、ベランダで外の風を浴びながらリリースのお祝いとしてビールを飲んだ。今日は快晴で、夜空には星が輝いている。
その優しい光が自分を祝ってくれているのか、はたまた慰めてくれるものなのかはまだ分からない。西里から連絡がこない今は、なにも。
「西里は……プレイしてくれたかな」
そうだと、良いと思う。でも、あんな別れ方して、もしゲーム自体を嫌いになってしまっていたら。そんな不安がぬぐえない。
そんなことを考えていた時だった。スマートフォンが震え、着信を伝える。画面に表示されていたのは、西里の名前。僕は飛びつくように通話ボタンを押した。
「ッ、もしもし!」
『……今、大丈夫か』
「うん、大丈夫」
『そっか』
スピーカー越しの西里は少し無言の時間を作った後、意を決したように言った。
『イベント、やった』
「うん」
身体がこわばる。次の言葉に恐怖して手が震えて動悸がする。たったひとりを救うために書いた物語は、彼にどういう風に映っただろう。西里は「あのさ」と前置きをして言った。
『やっぱオレ、お前の書くキャラクターとか、シナリオとか、好きだわ』
その声には汚い感情も、薄暗い感情も含まれてなく、ただただ「よかった」と、それだけを伝える為の優しいものだった。
『特に今回出た台詞『絶望するな。夢は思い通りじゃなくても、別の形でも叶えられる』って。オレに向けて書いてくれたんだよな。あはは……なんか言葉に出来ないけど……」
電話越しの彼は、一度呼吸を置いて続けた。
「希望が持てた。オレさ、もうシナリオの仕事は出来ないけど、それでも夢を叶えるよ。同人とか、別の形で』
「……うん」
『こんなシナリオ書きたいと思えたから。それがオレの昔からの夢だったから。気づかせてくれてありがとう』
「…………うん」
「泣くなよ」
気が付いたら涙がボロボロこぼれて、床に水染みを落としていた。声は鼻水混じりで、かっこ悪いなあと思う。でも、でも。僕はきっと。
「……お前はオレにとってのヒーローだよ。じゃあな、元気で』
「……うん。元気で」
多分、もう西里と会うことはないだろう。彼は彼の人生を歩んで、僕は僕の人生を歩む。いつかお互いの事がただの思い出になっていく。でも、僕はこの日の事をきっと忘れない。
「元気で。さよなら」
そうして、電話を切った。涙が際限なく溢れてきていて、止まらない。
今日、初めて書いてて良かったと思えた。
それが全ての答え。
届いた。自分にしか書けないものがちゃんと届いていた。誰かに好きって言われて、初めて満点のシナリオ書けたって思えた。
誰かに夢を与えられた。希望を与えられた。西里の言葉で、初めて満たされた。自分の為ではなく、誰かの為に書いた物語が誰かに届く。それが何よりも、泣きたいほど嬉しくて。
「ヒーロー、だってさ。……あはは、やっぱ……。諦めなくてよかったなあ、あの時」
それから、二度と会えない彼を想ってわんわん泣いた。大事な友達。そうだ、自分はずっと「同期」と言っていたけれど、彼は最初から「友達」と言ってくれていた。
神様、どうか。どうか、彼の物語に、僕もいつか出会えますように。
きっと、自分も西里もこれから物語をつむぎ続ける。
エンドロールの先が、本当に物語の終わりだとは限らない。
その話が一区切りついただけで、本当はお話もまだ続くのかも。だから、きっと大丈夫。
誰もが誰も思い通りの生き方を出来ないかもしれない。だけど、希望があれば、諦めなければ、形を変えて物語は続く。
それを気づかせてくれた今日の日の事をきっと僕は忘れない。
夜空の星が祝う今日の事を、きっと。
(了)