4.束の間の休息
本来の姿でお父様の執務室に入るのは、久々で少し緊張する
「謁見を求めます」
執務室のドアに立つ騎士に声をかけると、騎士は何も言わずに扉を開いてくれる
アレクサンドラが入ってくるのを確認すると、王は人払いするように、と伝えた
「お父様、おはようございます」
「おはよう、アレクサンドラ」
アレクサンドルの姿で会う時とは少し違う表情で私を迎え入れたお父様は
持っていたペンを置くと、一枚の封筒を手に持った
「これはエールタートから届いた招待状で、ここにはアレクサンドラを王家主催のパーティーに第一王子ティムのパートナーとして参加して欲しい、と書いてある。」
「はい。」
その話は知っています。という態度は、今の姿がアレクサンドルではない限り禁止だ。
「もうすぐアレクサンドラも特定のパートナーを必要であろう…彼はどう思う?」
どう思うですって?
「お父様…何を言っているのですか?私がエールタート国の王子と今更パートナーになるのは、あまりにも失礼だとは思いませんか?それに以前とは違う王子と」
私は以前、エールタートの第二王子と婚約をしてたが理由も告げず、破棄していた。自分はもう結婚する事などできないだろうと思い、そんな私に縛られることになる彼が不憫で、“アレクサンドル”として生活するのに少し慣れた頃、お父様に頼んで破棄する手紙を送った。エールタートから、または第二王子から何度も手紙が届いたが、私が手に取ることはなかった。
(もう私には関係ないから)
「もちろん。そなたの意見に私も同意だが…こっちの手紙も届いてね。」
そうして渡されたのは、エールタートのシンボルで金の印章が押されている封筒だった。この印章を押せるのは、たった一人
「第一王子が今回、アレクサンドラをパートナーにする事を許可しなければ、今後他の誰ともパートナーにする事はない。と王に言い放ったそうだ。そんな感情的な王子には見えなかったが…面白いな」
いや、面白くない。全っく面白くない
「それにアレクサンドルにも協力するようにと学園で話していたみたいでな。この話を知ってか知らずか各国から同じような手紙が沢山届いているようだ。アレクサンドラのお相手に、と。」
アレクサンドラはそれを聞いてワナワナ、と怒りに震えた
(ティム…一体何を考えているんだ、本当に!)
「今回のパートナーの話、返事はどうするつもりだ?」
こちらの事情もわかっているはずなのに、何かを試すかのようにニヤリ、と口の端を上げている
「お父様、あまりにもいきなりすぎます。それにエールタートのティム様のお話、本来私にはお受けする資格すらありません。私は以前、第二王子のトリウス様と婚約していた身です。今でさえトリウス様とは顔を合わせることすら許されていないのに、お兄様であられるティム様のパートナーとして参加してしまったら、それはもう婚姻に合意の意味。皆から後ろ指刺されるに決まっています。そもそもトリウス様との事があるにも関わらず、私を指名してくる事自体、理解できません。我が国との繋がりを強くするためだけの政略結婚目的なのであれば、第四王女である私より先に、第三王女で未婚のイザベルお姉様を指名するべきでは? 」
途中で口出しされないように、勢いに任せて喋り倒したから、ハァハァと息を大きく吸い込むために胸を大きく揺れる。ネプトゥアルト国の王族や貴族の中では姉妹の中でも年長者が先に婚姻するのが礼儀であり上二人が結婚した今、特定のパートナーがいないのはイザベラとアレクサンドラの二人だけであった。
男性達にはこのような順序はなく自由なのだが、アレクサンドルだけが唯一、特定のパートナーがおらず、彼の元には毎日のように積み上げても積み上げても、机からはみ出る程の手紙が届いていた
「エールタートの国王は…アレクサンドラにどうしても嫁いでもらいたい節があるように見える。だからわざわざ直々に招待状とは別に、内情を書いた手紙を送ってきたのではないかと思うがな。」
アレクサンドラは第二王子のトリウスと婚姻を結んでいる時、何度もエールタート国を訪問している
会う度に優しい眼差しで可愛がってくれていた王様を思い出し、ほんの少しだけ胸が痛む
「断ったとて、国同士の関係は何も変わりはしない。だからこの件は、アレクサンドラの好きにしていい」
「お父様…」
国王といっても子供たちの幸せを一番に願う、ただの父親だった。その言葉にホッと胸を撫でおろす
そんなお父様に私は、何度も助けられ、自分が正しいと思う道を歩むことができている。
「決まったら、また報告してくれるね?」
そもそも“結婚問題”はアレクサンドラにとって今一番、難しい問題であった。女としての“婚姻”と男としての“婚約”の適齢期がもうすぐそこまで迫ってきていたのだ。今までアレクサンドルがアカデミーに通っていた事から婚約問題は回避できていたが、卒業してしまったら回避する理由がなくなってしまい、適齢期のイザベラが婚姻してしまえば、皆の標的がアレクサンドラに代わってしまう。色々と噂を流しても、結局はティムのように強引に話を進めようとする者も現れるのだと、今回の事で学んだ
アレクサンドラが自室に入ると、閉じたばかりのドアをすぐノックされた。
入室を許可すると、メイドが塔のように積み上げられた手紙を持って入ってきたのだった
「な~に?これは」
「アレクサンドル様が帰ってこられてから、なんだかいつもの三倍も殿方達からのお手紙が届きました」
「全く不思議なものね。私の事なんて噂話以外はほとんど知らないはずなのにね」
アレクサンドラは興味がなさそうに椅子に腰かけた。それでもメイドは、興味津々で話をする
「だってこの国一番の美貌のアレクサンドラ様を誰が射止めるのかは、この全世界が興味あることなのですよ?それで横並びだった所、なんとあのエールタート国の第一王子が!お兄様であられるアレクサンドル様の協力の元、抜け駆けしてしまったんですもの。馬は、一頭が走り出したら、ぞろぞろと後ろから付いていくのですよ??ですので皆さん必死に手紙を送ってくるのも納得ですわ 」
「ははは…」
もう既にティムの話が城内に知れ渡っている事に苦笑いをする
「でもアレクサンドラ様だけじゃないんですよ?イザベラ様にも沢山お手紙が届いていましたわ!」
「それはよかった!これでイザベラお姉様が首を縦に振る殿方が現れる事を祈るわ。手紙は窓側の机に置いておいて」
メイドは机に持っていた手紙を置くと、温かい紅茶を入れ、机の上に紅茶とお菓子を置くと最後にアレクサンドラに向かってニコリともニヤニヤともとれる顔を向けた後、部屋を出た。
手紙達はほとんど読む事がなく処分される。窓側へ移動し、用意してくれたお菓子を口に含むと
花が咲き誇る庭園を眺めた。この庭園でも当時婚約していたエールタート国の第二王子トリウスと過ごした、くすぐったい思い出がある。
トリウスはアレクサンドラよりも二つ年下で、エールタート王家特有のプラチナブロンドの髪をふわふわに揺らしながら、私の後を付いてくる笑顔が可愛らしい印象の男の子であった。婚約をしていた数年間は足繫くネプトゥアルトまで遊びにきてくれていたので、正直彼との思い出は多い
そんな中、一方的に理由も告げず婚約破棄をした私は、彼から送られてくる何通もの手紙を読む事も手に取る事もできなかった。手紙の封筒ですら目にするのも辛くなった時、彼からの全てを拒否するようにお父様にお願いした。だがその後、不意に彼に会った事があった
アカデミーの中をティムに案内されている少し成長したトリウスの姿を遠目で見つけてしまった時、絶対に顔を合わせてはいけないと頭の中で警報がうるさく鳴り響いた。避けるように過ごしていたものの、最後にはティムに待ち伏せされ、紹介される形で彼と顔を合わせる事になってしまった
「アレクサン…ドル様…」
そう呟いて、無意識なのか握手した手を強く握りしめ、こちらをジッと見つめるその瞳に、この姿を通して“アレクサンドラ”を見ているように感じて鳥肌が立った。アレクサンドラについて、何か聞かれるかもしれないと身構えたが、挨拶が終わるとあっさりとこの場を離れていった
その後、トリウスはこのアカデミーに入る資格があったものの、エールタート国で新設された魔法に特化したアカデミーに入学したと聞いて、心の底から安心した。
今回のエールタート国のパーティには出席しない旨の返事を返した後、事件はすぐに起きた。
ティムが護衛も付けず、身一つでこの城に直々にお出ましになったのだ。急な訪問に慌ただしくなる城内。予定がないから、と深く眠りついていた私を叩き起こすメイド達の言葉に唖然とした。
「王女様、起きてください!エールタートのティム第一王子が、アレクサンドラ様に会いにいらっしゃっています!」
「いないって言って!!」
信じられない言葉を聞いて、絶対にこのベットから出るもんか!と毛布にくるまる。そんな私の毛布を怪力自慢のメイドが容赦なく毛布をはぎとってしまう
「わかったっ、わかったからあと10分だけ、目を瞑らせてちょうだい!」
今日、何かが進展すると期待に膨らんでいるメイド達は張り切っている様子で『約束ですよ』とこちらにウィンクして部屋を出ていった
すぐさま隠し扉を使って隣の部屋に移動する。部屋へ入った瞬間、椅子に座っていたであろう“アレクサンドル”の分身がサァ、光になって私に吸収されていく。机の前には既に身なりを整えて入室していたクレイオスが立っていて分身が消えるとすぐさま私を見て、一礼したが目はすぐに逸らされた。
「おはよう。何故ティムが来たんだと思う?」
「アレクサンドラ様が出席を断ったからではないでしょうか」
「だからって、隣国の王子がいきなり許しもなくここを訪れると思う?理解できないわ」
「はい」
「とりあえず対応は任せるわ」
クレイオスの近くに歩み寄り、手を差し出す。クレイオスはその手を取り立膝になると、手の甲にそっとキスを落とす。顔を上げると、アレクサンドラの指がそっと顎に触れると上を向かせられる
「クレイオス、忠誠を」
「はい。アレクサンドラ様」
アレクサンドラの長い髪が垂れ、顔にそっと触れるが擽ったく思った
「全てを君に」
そう言って近づいてくる顔から逃げる事は許されず、全てが終わると、アレクサンドラはフッと笑う
「任せたよ、お兄様」
“アレクサンドル”は幼い時から、高度魔法である変身術を得意としていた。自分自身にだけではなく、対人に使うには難易度が高く成功する者はほとんどいない。その身から考えられない程、高度な技術を持っている“アレクサンドル”をクレイオスは会った時から尊敬していた。
クレイオスの出自には様々な噂があったが、奴隷出身というにはかなり御幣がある。彼は元々、ネプトゥアルトから遠く、星読みで栄えた国の王族の血筋であり、その中でも“視る力”を持つ家系に生まれた。平穏な日々は続かず、国をひっくり返す謀反が起こり、その後隣国を巻き込む争いへと発展していく。両親はクレイオスを国外へ逃がすために犠牲になり、クレイオスは命からがら脱出することに成功したが、行く宛のなかった彼は奴隷商人に捕まってしまい、他の孤児と共に競売にかけられることになってしまった。だがそんな彼を競り落としたのは、ネプトゥアルトの国王であった。
「君の父上に、君を保護するようにと言われていたんだ。我が国はここから遠くてね…遅くなってしまって申し訳ない」
国王は、そう言って抜け殻のようなクレイオスを強く抱きしめた。その後、クレイオスは第二王女の目に留まり、侍従の中の1人として過ごすことになる。この国が先の戦争に関わっておらず、両親の願いでここで生きながらえてるという事実が、クレイオスのいまにも壊れそうな精神をなんとか保たせていた。
限られた自由時間が与えられる日は、何かに誘われるかのように花が咲き誇る庭園へと足を踏み入れていた
(花なんか見ても何も感じないのに、一体何故だ?)
どんどん奥の方へと誘われ、大きな噴水の前でやっと止まることができた。この噴水は、末の双子が生まれた際の祝いに作られたものだった。水面がキラキラと光り、覗き込むと酷い顔をした自分自身が映った
水は勢いよく吹き出し、大きく撓って流れていく
(ここに一体、何があるっていうんだよ)
バシャッと八つ当たりのように水面を叩いたその瞬間、強い風が吹き荒れる。小さい砂が目に入った感じがして、目を瞑りジャァ、と大きな音を立てて水を噴き出していた噴水の音が、ピタリと止まる。ゆっくり目を開き噴水を見ると、今まで水が噴き出していて分からなかったが、誰かが噴水の反対側に居る
(ピンクゴールドの長い髪)
水飛沫が太陽の光を浴びてキラキラと光り、その人物が余計に幻想的に見える
(人間か…?)
こちらに気づくと、その人物はニコリとクレイオスに笑いかけ、その瞬間、クレイオスは今まで感じたことがないほど、身体が燃えるように熱くなるのを感じた。シャァ、と水が噴出すると相手は見えなくなったが、その人物はすぐ目の前に現れる。
「こんにちは」
その人物が誰なのか、一瞬で理解する。王族である琥珀色の瞳にピンクゴールドの髪の毛。この国の末の王子だった。先程は髪の毛が長いような気がしたが、目の前の人物は短髪であり、いかにも王子用の高価な制服姿であった。
「君は、エル姉様の新しい侍従かな?」
「はい」
その琥珀色の瞳で見られると、妙な居心地の悪さを感じ顔を伏せてしまった。そもそもまじまじと見ても良い人物ではない
「君が無事でよかった」
(何故、そんな事を言うんだ?)
ドクドクと毛穴という穴から何かが噴き出ているように感じる
「君の父君に、君を頼まれていたんだ」
(一体、こいつは、何を言っているんだ?)
ここから逃げ出したいけど、錘のように体が重い
「私が引き取る前にエルお姉様に見つかってしまったけど、君が無事ならそれでいいと思っていた。でも、どうやら違ったみたいだね。」
“アレクサンドル”は怯えているようにも見えるクレイオスとの距離をゆっくり詰めていく。一歩、また一歩と“アレクサンドル”が近づいてくるたびに頭が酷く痛み出す
「私を導いて欲しい」
クレイオスはその言葉を聞いた瞬間、ついに立っていられなくなり膝を地面についてしまう
クレイオスの目の前まで近づいた“アレクサンドル”は、助けるようにクレイオスの目の前に手を差し出した。その手を掴まなくては、と今まで動かなかった体が急に動き出す。差し出された手にそっと手を重ねると、その瞬間この人物の過去・現在が走馬灯のように流れ込んでくる
「アレクサンドラ、様」
クレイオスは大粒の涙を流した。幸せな生活が一変しても、両親が犠牲になっても、ずっと流せずにいた涙が、今、とめどなく流れている。アレクサンドラの記憶の中で、自分の両親がいた
「アレクサンドラ様の未来はよく視えません。定められた運命の輪から離れ、常に変化している状態なのでしょう…ありえません。視えたと思っても、ほんの少し先だけで急に見えなくなるのです…。今まで何千人と視てきましたが、こんな事は一度もありませんでした。」
アレクサンドラが馬車に乗る瞬間、父上の横でずっと話を聞いていた母上が彼女を引き留めた
「貴女には、クレイオスが必要です‼だからどうか、どうか…私の子を貴女の側に…!」
そう涙ながらに小さなアレクサンドラに懇願している姿に胸が締め付けられる。クレイオスは両親と運命を共にするはずであった。この未来を予知してしまった両親は特定の未来を持たないアレクサンドラの存在によって、クレイオスが生き延びる可能性を見出しアレクサンドラにクレイオスを託したのだった。
『生きて』
それが両親がクレイオスに残した最後の言葉である
「君が私を導くように、私が君を導くよ。命尽きるその日まで。」
今まで何度試しても視る力が発動してこなかったクレイオスは、ついにこの日、力を得る事に成功した。
涙で滲む視界の中で、クレイオスは一生“彼女”の傍にいる事を誓った。
クレイオスは不意に少し視えた彼女の遠い未来で、自分が笑って彼女を抱きしめていた。
彼女こそが生きる理由になった日だった。