96話:家族のカタチ
マリアンネたちは個人で話がしたいということで、ネルカは応接室で待つことになってしまった。彼女にはこの孤児院のことなど何も知らないが、ミリアーヌやラルシュの様子からしておそらくマリアンネが悪いのだと予想していた。
「マリねーちん! あそぼーぜ!」
そんな時に、部屋に遠慮なく入ってきたのは、齢十に満たすかどうかの少年だった。しかし、部屋にいる人物がまったくの別人であると気づくと、少年は「ま、間違えました。ごめんなさい。」と言って謝った。
すると、少年を追っかけてきたのか、走って息の乱れた男の人が現れたのであった。その人物は白髪交じりの黒髪、顔の皺からある程度に年を重ねていると分かる。初老の男もまたネルカに謝ると、二人して部屋を出ていこうとした。
しかし、何かに気付いた少年は初老の男の手を振り払うと、キラキラした目でネルカのもとへと駆け寄る。
「なぁなぁ! お兄さんが…マリねーちんの言ってた…えーっと…なんとかコールマンって人か!? 赤い髪のカッケェ人だってねーちん言ってた!」
「こらスルト。お客様に失礼ですよ。…すみません。」
「これぐらい別にいいわ、ただ、私のことは『お姉さん』と呼んでくれたらうれしいわ。私はネルカ…よろしくねスルトくん。」
「聞いてよハスディ様! このお姉さんはの話をしてるとき、ねーちんいっつもグヘグヘ笑ってんだぜ! すきすき言ってんだぜ!」
「あら、好き好き言ってるのは私の義兄に対してよ。」
「…ネルカ…ネルカ…おや? もしや、武闘大会の有名人…ですか?」
「え!? あっ!もしかして! ねーちんが師匠って呼んでる人か!? 俺は勝手に、闇夜を駆ける黒き死神って呼んでんだ! そう、きっと死神様に違いねぇ!」
「その二つ名悪くないわ…あなたはセンスの塊よ。そう、私が…厄災を覇して闇夜を駆ける漆黒の死神よ。センスあるあなたを二番弟子にしようかしら。」
「マジかよ! 俺、みんなに自慢できる!」
どうやらスルトと呼ばれた少年はこの孤児院の一員であるようだが、ハスディと呼ばれる初老の男は一介の聖職者であり、ボランティアとして様々な孤児院に出入りしているとのことであった。
スルトに対し温かい目で見守るネルカの姿に、ハスディもまた気を許したのか、気が付けばその部屋は談笑の空間になっていた。
「でもよぉ、ラル兄ちゃん、すんげー機嫌悪そうだったな。あっ、もしかしてマリねーちんに対してのイライラか? 俺らはねーちんとは街中で普通に会うけどさぁ、ラル兄ちゃんは一年以上会ってなかったらしいんだよなぁ。」
「仕方ないですよ。今やラルシュくんは魔道具作りとして有名人ですが…それもこれもマリアンネさんのためだったと聞いています。彼の苛立ちも理解できますよ。」
「そう言えば…回路は幼馴染が担当しているって聞いたわね…アレ…兄妹じゃないの?」
「私もここの先生から聞いた話ですが、あの二人は同じ籠に入った状態で…孤児院の入り口の前に置かれていたそうです。だからこそ兄妹として育てた…のだと。」
しかしながら、マリアンネからの認識はあくまで『いっしょに生きてきた幼馴染』である。彼女は確かにマリアンネの人格であるのだが、前世のことは『経験の一種』として蓄積されてしまったがゆえに起きた問題である。
――幼馴染で、友達で、仲間。
いつか会う頻度は減るものだし、偶に会えば笑って語り合う。
マリアンネにとってはその程度の認識なのだ。
――兄妹で、家族で、仲間。
動機が無くても会うものだし、手元を離れても連絡ぐらいはする。
ラルシュにとってはそれ程の認識なのである。
「ふ~ん…そういうもの…なのかしら…。」
「そういうものなのですよ。なかなか難しいものです。」
対してネルカからしてみれば、幼馴染なのか家族なのかというのは関係なく、どっちにしろ関わり合いなんぞ割と淡白なものであると思っている。決して実母実父と仲が悪かったわけではないのだが、影の一族と同等もしくは以上の教育を受けて育ち、一般的と言われるような情緒を身に着けたのがここ一年の話なので仕方がなかったりする。
部屋の空気が一瞬で悪くなってしまった。
― ― ― ― ― ―
一方その頃――ラルシュが腕を組み足を組み、マリアンネが状況を理解せず、ミリアーヌが今にも泣きそうな――そんな地獄の空間が別室で形成されていた。
「マリ、おめぇバカだろ。誰が喜んで出身でも何でもない孤児院で、祭の前日を過ごしてぇんだよ。それに相手は貴族様? なおさら無理に決まってんじゃねぇか。」
「私が誘ったんじゃないし…それに…し、師匠は嫌な思いなんてしない。」
「ハァ? 師匠だぁ? あの伯爵家の女のことか? よかったじゃねぇか貴族様に気に入られてよ。俺ら孤児院なんて眼中にねぇし、連合のみんなのことなんてもうどうでもいいんだろ。」
「アタシはそんな風に思ってない!」
「思う思わねぇの問題じゃねぇんだよ。思われる思われねぇの問題なんだ。アンタは仲間だと思ってるかもしれねぇが、こちとらそんな認識じゃねぇんだよ! 稼いだお金を孤児院のために使った気になってるかもしれねぇが、なんだよこの趣味の悪い屋敷は! アァ? 自分も貴族様にでもなったつもりかよ! こんなんただの寄付で、施しで、人をバカにした行為なんだよ!」
ラルシュは拳を握りしめると、目の前のローテーブルへと振り下ろす。ドンッという音と共にテーブルにはヒビが入り、ラルシュの手からはポタポタと血がしたたり落ちていた。
その様子に誰よりも慌てたのはミリアーヌで、部屋に置いてある救急箱を取り出すと、せめて止血だけでもとラルシュに近づいた。しかしながらラルシュは彼女の手を払った。
「ラ、ラルくん、いったん落ち着こ…ね?」
「ミリ姉は黙ってろよ! 」
「ひんっ!」
「どうして怒っているの! ラル!」
「どうしてだと? 分かんねぇのか!?」
ラルシュは苦渋の表情を浮かべる。
それは怒りや痛みよりも、悔しさの感情だった。
そう、怒っているわけではないからこそ、その先が言えない。
「こんなことのために…アンタに協力したわけじゃねぇんだよ!」
苦し紛れの言葉を放ったラルシュは立ち上がると、滴る血を無視して部屋から出ていく。彼の心が分からない女性二人は、追いかけることもできずただ茫然と部屋に取り残されるだけだった。
その日、ラルシュは孤児院には戻ってこなかった。
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