85話:強き人
「私の負けね――。」
静止した状態の中、ネルカの口から敗北宣言がこぼれた。
ガドラクの右目の――ネルカの頭の――それぞれの数センチで攻撃が止まっている。黒魔法を解除するネルカと、体格を元に戻すガドラクの様子に、そこにいる皆が勝負が終了したことを悟った。駆けつけていた騎士たちは安堵の溜息を吐き、その中でもガタイの良い一人の男が二人に近寄った。
「おい…ガドラク…死ぬまでやるかと思ったぞ…。」
男は副団長であり第一部隊副隊長でもあるアルタンだった。
そんな疲れ疲れの表情をしている部下に対しガドラクは豪快に笑い、初対面ながらもネルカはやれやれといった表情をしていた。それを見たアルタンは胃のあたりを手で押さえる。
「ガッハッハ! さすがに将来有望を壊すわけにはいかんわい!」
「負けが確定したなら…国の要を傷つけない方を選択するわよ。」
そうこうしているうちに騎士の数名が審判席へと向かい、事の顛末を報告していた。審判は銅鑼を三度叩くと、ざわつく会場の音に負けないぐらいの声量で叫ぶ。
『しょ、勝者! ガドラク・ワマイア!』
「「「「「ウォォォォォォ!!」」」」」
勝者を告げる声に、観客たちは一気に沸き立つ。
あの男が古の守り人であり、あの女が新たなる守り人。
明らかに異常と言える二人への恐怖がないかと言えば嘘になるが、異常に守られていることへの安心感が全ての感情を塗りつぶし、まるで英雄を見るかのようであった。
そんな中、ガドラクはネルカへと向き直って語りかける。
「お前さん、どうして負けを宣言した。あれなら、お主の方が先じゃったろう。死は免れたにしろ、ワシの目が失っておったのは確定じゃわい。」
「馬鹿言わないで…目を潰す程度で止まるような人じゃないでしょ。負けは私に決まってるじゃない。あ~あ、ほんと世の中はバケモノだらけね、井の中の何とかってやつだわ。王都に来てから思い知らされてばかりだわ。」
「ワシから見たら、十分にお前さんもバケモノじゃわい。 のぉ? ネルカ嬢は母親から教わったのじゃろ…ワシよりも強いと思うか?」
「さぁ? だいたい…今の私なら…もしかしたら…ってぐらいかしら。」
「おぉ! バケモノ親子ということか! 面白いな!」
ニカッと笑うガドラクは右手を差し出して握手を求める。
対してネルカは迷わずにその手を握り返した。
「どうじゃ? 卒業後は騎士団に来んかの?」
「そうねぇ…それもアリだと、今は思っているわ。」
「おぉ! おぉ! それは頼もしいのぉ!」
大歓声に沸く中、手を離した二人は堂々とそれぞれの通路へと歩き戻っていく。今この瞬間、ネルカ・コールマンの名が噂ではなく確かなるものへと変わった。
― ― ― ― ― ―
ネルカが控室まで戻った時、そこには選手が彼女と話をしたくて集まっていた。しかしながら、そこに立っているウェイグの存在に一歩引いている状態だった。
彼女の姿を見たウェイグは、俯いたまま話しかける。
「俺と…あの御方…何が違うってんだ…ッ!」
「あの御方? 誰のことかしら?」
「黒血卿様だ…。俺の憧れだった…。」
ネルカとガドラクの戦いを見た時、ウェイグは戦慄した。
彼女たちの戦いは自身より遥か高みの領域であり、この二人とやり合えるとされる黒血卿も同様の位置にいる――それは確実にウェイグの記憶の黒血卿よりも強かったのだ。
じゃあ、自分が目指した『強さ』とは何だった?
あの域なら自分ならあるいはと思っていたところ、見せつけられたのはさらなる高み。努力どうこうでたどり着けるのか怪しいほど、遥かなる高み。
「そうねぇ、違いねぇ。そんなのありまくりに決まっているじゃない。」
「あ?」
「だってそうでしょう。アナタは孤児じゃないし、飢え死にするかどうかを生きたわけじゃないし、元側妃に見出されたわけじゃないし、戦いに身を投じる日々を過ごしたわけでもないじゃない。そりゃそうよ、だったアナタは…バルドロとして生まれたわけじゃないでしょう? 私だってそうよ。」
「俺は黒血卿様ではない…。」
完全に勢いを失ってしまっているウェイグが何を思っているかは分からないが、ネルカはまるでかつての自分を思い出すかのように語りを続ける。周囲にいる人たちも何か重要な話が聞けるのではと、静かに彼女の言葉に耳を向けていた。
「生まれた時点で人間の『将来の格』って…才能とか環境とか…ある程度は決まっていると私は思うわ。だから、他人になろうとしたって無駄なことよ。」
「俺は…あの御方ほど…強くなれないってのか!」
「ちゃんと人の話は聞きなさい…私は『ある程度』としか言ってないわ。あくまで基盤…必要とする努力量が人によって違うってだけよ。努力をしなくても望む人間になれる人もいれば、努力を死ぬ気でしなければ望む人間になれない人だっているわ。あなたがどこまで努力すれば…ってまでは知らないし、知らないからこそ挑戦する気が起きないってのも理解できるわ。そうねぇ、遠い国にちょうどピッタリの言葉があるの、『運根鈍』…運と根性と継続力…よ。」
「根性と継続力は分かる。だが、運なんて。」
「あら、運を上げる方法って簡単よ…まず、回数を増やすこと。100回のうち1回があなたの運なら、100回やれば確定じゃない。…次に、成功をした人から高い確率の事象を教えてもらう。あなたたちは恵まれてるわ、だって強い人と関わる機会は多いじゃない。」
その言葉にウェイグだけでなくその場にいる者が皆、ネルカの方をジッと見た。その意図を読み取った彼女は、「私は才能も環境もあったからよ。他の人にしなさい。」とだけ言うと待機室へと入っていた。
そして、彼女が荷物を取って部屋から出た時には、もうすでにそこには誰もいなかった。
――あそこにいた者は皆、覚悟を決めた目をしていた。
――ならばきっと、彼らは強くなるのだろう。
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