73話:アデル・コールマン
ある貴族屋敷の執務室を窓から差し込む月明かりが照らす、
部屋の中央の椅子にどかりと座り、テーブルに置かれたグラスに白色のワインを注ぐのは、一人の赤髪の男だった。その男はワインを持ち上げると、部屋の壁に掛けられた肖像画に対してフリだけの乾杯をした。
「今年も君の誕生日を祝わせてくれ…おめでとう。」
肖像画に写る女性は見るだけで温和な人だと判断してしまうような顔立ちだが、残念ながら絵の者が答えるはずもなく、男はただ一人でグラスに口を付けた。
男は思い返す。
肖像画の女性――彼の亡くなった妻のことを。
彼女との婚姻への流れは単純で、親同士が仲良くていつのまにか話が纏まっていたというものである。こうして本人たちの意向など無視して、お見合いの日になってしまい、互いが互いにある程度の好意を抱いたため結婚まで辿り着いた。
最初は、この人とならやっていけるという程度の感想だった。
良い人で文句もなく、いっしょにいて楽しいから問題ない。
しかし、共に時間を過ごしていくと、その情も次第に深くなっていく。
気付けば男は妻を愛するようになり、愛妻家と言われるほどになった。
――しかし、世は無慈悲。
――妻は病により亡くなってしまった。
「今年は色々と…報告することがあるよ。何から話そうか…そうだな…娘が出来た話でもしようか? あの家出した弟…の子を、養子として引き取ることにしたんだ。名は……ネルカ。」
男の弟が病弱であることは貴族社交界において有名であり、貰い手がいないことを不憫に思って色んな茶会で伝手を探していた妻は、きっと娘ができるまでの関係の人に出会えたことを喜んでいるだろう。家出した当時も「きっとその方が幸せなのかもしれないわ!」と嬉し気に言っていたことを男は思い出す。
少々ナーバスになっていた心も、思い出し笑いにより薄れる。
「君は…『男の子は困らせてばかり、次は女の子が欲しい。』と言っていたな。ククク…待望の女の子が…問題児だったぞ? 俺の胃を痛めまくるような、あの子の武勇伝…聞いてくれよ―――」
酔いも回ってきて口も軽くなり、ただ一人で亡き妻に報告する男。何杯を飲んだのだろうかという頃、部屋にドアをノックする音が響いた。そして、返事をするまでもなく開かれ、そこから一人の若い青年が顔を覗かせた。
「父上…こんな時間に何をしているんですか…。」
「おぉ、ソルヴィか…今、妻と飲んでいるところだ。」
「あぁ、母上の誕生日でしたね。」
それは、彼の長男息子であるソルヴィだった。
髪と目は父親に似たのだが、それ以外に関してはほぼ母親似の息子。半分ほど空になったボトルを見た彼は、溜息を吐きながらも棚からグラスを取り出すと、男の対の位置の椅子に座ってワインを注ぎ始めた。
「そういうところが妻似だな。」
「私も祝わせてください。」
「なら、新しく――。」
「追加の酒はダメですよ。酒は少なめ…でしょう?」
「そういうところも……妻似…か。」
妻が死んでから男は酒浸りになった時期があった。
弟は家出してそのことで母は精神を害し、若いながらに当主の座を渡されながらも、妻の支えがあってなんとかってこれた――しかし、その妻は死んでしまった――飲まなくてやってられない。
貴族としての責務を放棄どころか、親としての責務も放棄する毎日だった。
最終的には親友であるモリヤ―が友情の暴力と共に説教してくれたことと、実はソルヴィが学園に行きながらも領地経営をしていたことを知ったことで、完全に目が醒めた男であったのだが――
――当時の不健康のせいで酒の量は抑えることになった。
「ちょっとだけ。」
「ダメです。だいたい父上は明日に王都に帰るんでしょう。本当なら先週だったのに…まぁ、今日のために引き延ばしたというのは構わないけれど…飲み過ぎると、馬車の中で吐くことになりますよ。」
「ぐぬぬ…そう言われると…今注いである分で我慢するか…。」
飲み切ってしまうことを惜しむように、チビチビとした飲み方へと変えた男。恨めしくも嬉しい気持ちでソルヴィを見ていたが、酒の話題はしたくないと話を切り替えることにした。
「最近、領地はどうだ? カミネさんの調子とか。」
「カミネ…妻はまぁ、妊娠が発覚したばかりだから、大変だとするとこれからかな? 領地は特に問題はない…。あぁ…ナハスが相変わらず…修行三昧だね。ナハスの魔法は爆発音がするから、近所から苦情が来るよ。」
「そうか、あいつはまだ鍛錬しているのか…。」
「それよりも、大変なのは王都側…父上の方でしょう。」
「…………あぁ………多忙だな。こうして領地に戻ったのも、モリヤ―のおかげだ。ほんと、あいつには頭が上がらない。」
「なによりも、ネルカはどうです? エルスターと婚約させたんでしょう?」
「あぁ…お前だから言えることだが…アレは王命だった。陛下からは、もうネルカは完全にあっち側の人間として認識されているな。ハァ…騎士団に新しい部隊を作るだなんて案まで出来ているほどだ。」
窓の向こうの付きを見ながら、二人が思い浮かべるのは赤髪の女の子。別に彼女が原因と言うわけではなく、むしろ事件解決の筆頭なのだから、褒めてあげるべきなのかもしれない。それでも、キリキリとした痛みが腹の辺りの生じる。
飲まなくてはやってられない。
ソルヴィは新しいワインを取って来るべく、部屋から出た。
一人残された部屋、静かな部屋にポツリと呟きが零された。
「あぁ、妻よ。君が生きていたら…どうなっていたんだろうな…。」
男――アデル・コールマンは――ふと肖像画を見た。
肖像画の女性は心なしか、困っているかのように感じた。
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