70話:マルシャ・ランルス
学園の一室にて、一人の女性が座って待っていた。
ロングヘア―に美しい顔立ちをしたその女性は、ティーカップに口を付けると一息を吐く。凛とした佇まいで一見すれば非常に落ち着いているのだが、その手元は自身の腿を突いていた。
「……どうして誰も来ないのだッ!」
その女性――マルシャ・ランルスは苛立っていた。
現在いる場所は校内の王子専用部屋、デインとその側近たちが利用している部屋であり、今後に関しての大事な会議をしようと招集された部屋でもある。
日も落ちてきて、窓の外は少しばかり暗さを含んでいく。
召集予定の時刻から過ぎるはおよそ一時間。
「もういい! これ以上はもう待てん!」
帰ろう、彼女がそう思っていた矢先だった――
「ちょっと遅れてすいませんっす! …ってあれ? 一人だけっすか?」
「バカトムス、一時間はちょっととは言わないだろう。だが、残念なことながらそんなお前が最初だ。はぁ…それで? 怪我はもういいのか?」
「傷痕は残るけど、問題はないって言われたっす! だけど…来月の武闘大会は控えろって…悲しいっすよ。それで…えぇっと…殿下たちは?」
「言っただろう、『お前が最初』だと。」
マルシャは残った茶をグイッと飲み干すと、立ち上がって部屋から出るために歩きだす。そして茫然と突っ立っているトムスの肩を叩くと、部屋のドアを開けて移動の催促を行った。
「ほら、行くぞ。」
「…? どこに行くっすか?」
「殿下のところだ。どこにいるかは予想が付いているからな。あの律儀な男が時間通りに来ないとすれば、婚約者のところ以外はないだろう。」
マルシャは深い溜息を一つ吐くと、部屋を出た。
― ― ― ― ― ―
彼女たちが向かった先は旧・第三室内訓練場、詳しく探すまでもなく入り口外にデインとエルスターがそこにはいた。前者は何やら訓練場に入ろうか悩んでいるらしく、後者の方は珍しく主に対して冷ややかな目を向けていた。
「あぁ、やはりここにいたか。」
マルシャが声をかけるとデインは振り返って目を見開く。エルスターの方は彼女なら何とかしてくれると思ったようで、ただ黙って会話の様子を見るだけに留めていた。
「あれ、マルシャとトムスかい? もしかして、約束の時間過ぎてた?」
「そうだな。だがまぁ、する話の予想ぐらいはできるぞ? マリアンネ嬢に関する事だろう。」
「さすがマルシャだね。察しが良いよ。」
なんやかんやここにいる四人は十数年の付き合いである。ともなれば、互いの性格は理解しているし、言葉がなくとも言わんとすることは理解できる。マルシャはフンッと息を吐いてそっぽを向くが、デインは苦笑しながら言葉を続けた。
「彼女が狙われた…魔王と呼ばれる存在が、将来に聖女が必要となる理由だと…それが分かった今、国の方で彼女の護衛を強化することが決定したんだ。そのための会議の予定だったんだけど…すまないね。」
「やはりな。それに関して私は賛成だ。まぁ、社交界でも守れと言うなら、それにも従おう。マリアンネ嬢のことは私も気に入ってるからな。」
「ありがとう。いつも助かってるよ。」
「そうか。それならもう会議は終わりで良さそうだな。」
マルシャはそれだけ言うと踵を返して帰ろうとしたが、何だか思い悩んでいるようなデインの表情を見ると、自分に無駄な時間を費やさせたことに対してイライラが募ってきてしまった。だからこそ、彼女は問いかける。
「そう言えば? 殿下はこんなところで何をしている?」
「ア、アイナを待って――」
「なぜいるかではなく、何をしているのか聞いたのだが?」
「だ、だから、ただ待って――」
「あぁ、聞き方が間違っていたか…どうして中に入らない? それともなんだ? アイナ先輩とマリアンネ嬢に関することで…何か不安でもあるとでも?」
デインが訓練場の中に深い理由で入らないのではなく、浅い理由で入れないだけということをマルシャは知っている。アイナが付きっきり状態となっているマリアンネに対し、嫉妬を抱きつつも前に歩めない状態であることをマルシャは知っている。
そして、彼女がそう知っていることを、デインは知っている。
彼の口からこぼれたのは、長ったらしい言い訳だった。
「そりゃあ、『ゲーム』とやらでは険悪なはずの相手と…現在は仲良くなったとなると、私としては安心するよ? それに、彼女はアイナの改心の理由だった…つまり、私たちにとっては恋の応援者と言っても過言じゃないしね。彼女がアイナを助けなかったら、確実に今はなかったみたいじゃないか。うん、そうだね、聖女云々のことがなくたって、私からもできる限り援助はしたいさ。したいんだけどね…いや、前言撤回はしないよ。援助は絶対にする。でも、不満はあるよ? だって私たちが想いを伝えあって、婚約して…そんな相手を毎日毎日毎日と放課後を拘束しているじゃないか。いや別に私との時間が減らされたとかそういうのじゃなくてね、アイナにはアイナの時間があるべきだと思うんだ。例えば、部屋に帰ってゆっくり過ごすだとか、婚約者とのお茶会を開くだとか…あぁ、あくまで例えばの話だからね。アイナから確実にお気に入りされているマリアンネ嬢に嫉妬しただとか、そんな風に勘違いしないでくれよ? 私は王子だから、秩序と自由を重んじているからこそ、アイナのことを言っているんだ。」
「ふむ…殿下。不敬を承知で言うぞ。いいか?」
「あぁ、マルシャなら許可しよう。」
「うっとおしい。めんどくさい。うざい。ヘタレ。」
「なっ!」
「素直に言い給え…『婚約者との時間を作りに来たけど、自分から言い出すだけの勇気を持っていないから、こんなところで待つしかできない』…と。ほら、私の言ってることは間違っているか?」
間違ってない、百点満点の解答である。
正解過ぎてデインは何も言い返すことができなかった。
「殿下、しっかりしてくれたまえ! 少しでも早く私は楽をしたいのだ…とっとと私の地位を『王子の側近』から『王子妃の側近』にさせてくれたまえ。未だに私を立たせようとしている派閥がいるんだよ…正妻は無理でもなどと、くだらない狸共から画策されているのを知らないのか? 私は異国の飯を食える機会があるのならば、別に誰の元に就こうとも構わないが、厄介事は少ないに越したことはないからな!」
「ま、まぁ、落ち着いて――」
「これが落ち着いていられるか! 殿下がアイナ先輩のことを想っているのは、先ほどの言葉で重々に理解した。ほら、さっさと二人でイチャイチャイチャイチャイチャイチャして内堀外堀全部埋めてこい!」
彼女は普段からは見当もつかない程に声を荒げており、訓練場の中まで会話が筒抜けとなっていた。そこには手で赤面した顔を覆い隠したアイナがいるわけであるが、そんなことを露も知らないマルシャは言葉を続けた。
「おいトムス、私が許可する、殿下を先輩の元へ連行しろ。」
「えぇ~俺っすかぁ~…。」
「つべこべ言わず、やれ!」
「りょりょ了解っすぅ! 殿下、失礼!」
トムスはデインを羽交い絞めにすると持ち上げ、訓練場の方へと歩きだす。デインは彼に力では勝てないことを知っているため暴れることはしないが、その代わりに怒ったマルシャを諫められる唯一の存在に助けを求めた。
「助けてくれ! エル!」
しかし、エルスターの口から出た言葉は――
「殿下、私の仕事は『アナタ様が才能を発揮させれる場を作り出すこと』です。そして、判断しました…アイナ様の元に行かれるべき…と。」
デインに味方はいなかった――。
ある意味では、味方しかいなかったのかもしれないが。
この日より、デインとアイナが共に過ごす放課後が、だいたい二日置きのペースで作られるようになるのだが、それはまた別の話……。
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