64話:ちょろい奴
通学者がピークとなる時間帯。
周囲の目だとか殿下の前だとか無視して、ネルカはエルスターの胸元を右手で掴み上げていた。トムスの重傷を理由に増加された護衛役の一人が止めようと入るが、一瞥したネルカが左手でその男の腕を取り、関節を極めて黙らせる。
「ちょっとエル! どういうことよ!」
「どういうこととは、どれのことでしょうか? 思い当たる節しかなくて困りますねぇ。あっ、もしかして婚約のことですか? アレは親同士で決められたことですので、両想いどうこうは関係ないですよ?」
周囲の者たちはその言葉に阿鼻叫喚。
自分らは貴族なのだから婚約はまだ分かる、政略結婚などいくらでもありふれているのだから。しかし、両想いというのはどういうことか。あのエルスターとネルカの二人、あまりにも理解不能である。
しかし、当の二人はなんてことないかのように話を続けていた。
「婚約のことはどうでもいいわ。よくよく考えたら別に問題ないもの。だけど、私の情報を好き勝手に拡散されるのは…さすがに…恥ずかしいのよ。」
「もう夏の件であなたの強さは隠せなくなりましたからねぇ。それならいっそのこと、逆に真実をぶちまけた方がいいと判断したのですよ。」
「妄想すらもぶちまけられてるんだけど。」
彼女は掴んでいる両の手を放して、深い溜め息を吐く。止めようとした騎士はキッと睨みながらも退避し、エルスターは襟を正すと口を開く。
「今のあなたは……秘密裏に育てられたエージェントで、実は何度も王族の危機を救った経歴があり、私と馬が合って婚約し、自分に対して好意を示す者に甘くなる部分があり、服の好みはメンシニカ夫人の真の方のデザインで、Sっ気とMっ気の両面性を併せ持ち、仕事中はクールに見えるけれどオフの時はスイーツを堪能……特に王都南部で販売されている『カボチャプリン』が好き……ということになっているらしいですね。」
「ど、どうして私の好物がバレているのよ!?」
「それは当然、私が広めたからに決まっていますよ。先程お伝えした情報以外は……私が与り知らぬことですから、ただの噂でしょうし。」
「それだとまるで、私の出自は秘匿で、英雄で、殿下のことを崇拝していて、チョロい女で、デザイン異端者で、過激性癖者で、クールもどきみたいな感じじゃないの。」
「……正しいではないですか。」
「違うわ!」
するとエルスターはやれやれと言わんばかりに肩をすくめると、人差し指を立ててネルカの鼻先をつつく。面食らった彼女は半歩下がり、エルスターに会話の主導権を握られてしまった。
「では、あなたの両親はどうして魔の森に?」
「隠れないといけなかったからよ。」
「では、秘密に育てられましたね。」
つまり、間違いではない。
「今年の夏は?」
「まぁ…いろいろ…大変だったわね。」
「では、国を救った英雄ですね。」
つまり、間違いではない。
「私のことは?」
「好きよ。」
「では、馬が合いますね。」
つまり、間違いではない。
「マリアンネ嬢を溺愛しているようですが?」
「そ、そりゃあ、あんな目で見られたら、可愛がりたくなるわよ!」
「では、甘いですね。」
つまり、間違いではない。
「メンシニカ夫人との関係は?」
「友達でいましょうと言われたし、私も快く了承したわ。」
「では、デザイン異端者ですね。」
つまり、間違いではない。
「踏み心地は?」
「よかったわ。」
「使われることは?」
「悪くないわね。」
「では、SもMもありますね。」
つまり、間違いではない。
「カボチャプリンは?」
「何個でも食えるわ。」
「好物じゃないですか。」
つまり、間違いではない。
そう、エルスターが流した情報は間違いではないのだ。
「どうですか?」
「……そうね、なにも間違ってはいないわね。」
「ほら、やっぱり。」
納得した彼女は捻り上げてしまった騎士に謝罪をし、踵を返してその場を後にする――と思いきや、何を思ったのかふと立ち止まる。そして、改めてエルスターの方へと振り返ると口を開いた。
「いや…流されるとこだったけど、それはそれ、これはこれよね。」
「これとは、どれでしょうか?」
「た、例え本当のことだとしても、何でもかんでも情報公開することはないってことよ! そっちの方が大事なことじゃない! だいたい、そんなことしてなんの得があるというのよ!」
「得ならあるじゃないですか、あなたへの忌避の目が薄まります。」
「私の得についてじゃないわ。あなたの得がないって言ってんのよ!」
すると彼にしては珍しく狼狽え、言うべきかどうかを悩んでいるようであった。そして、近づかなければ気付けないほどうっすらと頬を赤くすると、少しばかりいつもより大きい声で答えた。
「当然じゃないですか。私はあなたの婚約者であり、愛していますから。好きな人を評価してもらいたいと思うのは悪いことですか?」
その言葉に野次馬していた者たちが目と口を開いて停止してしまう。まさかあのエルスターの口から、デイン以外のことで愛だとか好きだとかいう言葉出ると思っていなかったからだ。
対してネルカは目を逸らして頬を掻くと、それまでの尖った雰囲気を一転させて、抑えきれないとばかりの笑みを浮かべていた。
「それなら仕方ないわね。婚約者だものね。」
「えぇ、婚約者ですから仕方ないことです。」
「好きならしょうがないわよね。」
「そうですとも、しょうがないことですよ。」
「婚約者…そうねそうね…好き…。」
彼女は何もなかったかのように校舎の方へと向くと、何かをブツブツ呟きながら歩いて行ってしまった。未だに時が静止してしまっている周囲であったが、デインだけがハッと我に帰ると、二コニコしているエルスターの肩に震える手を置いた。
「エル、惚気話は…人が少ないとこで…ね?」
恐らく、かけるべき言葉としては正解ではないだろう。
しかし、それに言及する者はそこには誰一人としていなかった。
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