60話:愛のための奮起
虫の化物は悩んでいた。
本来この魔物は臆病な性格であり、小型生物を捕食し、大型相手には幻覚を盾に逃げる習性を持っている。だからこそ体長は大きくし威圧感を増し、体型を細くすることで食糧量を減らす進化を経てきた。
しかしある日、竜の力を持った人間に捕獲され、体を改造され、魔王を守る存在へと変えられてしまった。だからこそ目の前にいる、光り輝く女を倒すためにここにいるのだ。
逃走ルートを予測し、数十分の時間を必要とする魔法の準備、時間を掛けて一人ずつ始末していき、ついには有用そうな守り手も残り一人まで削れた――
――はずだったのに。
「私は愛する者を…守って見せるッ!」
目の前の銀髪の男は立ち上がった。
これでは 2対1 、虫にとってここが引き際だ。
しかし、自身を捕まえたあの爬虫類の目を思い出すと、例え死んだとしても聖女を殺すという行動が優先される。あの者に殺されるなら、ここで殺された方がマシだと本能が告げるのだ。
「殿下! また幻覚が…来ます!」
幻覚魔法には二種類ある。
一つは光の屈折を利用して幻を見せる。
これは魔力消費が非常に大きい上に、とんでもない魔力精度を必要とされる。理論上は熱操作の魔法もしくは光操作の魔法のどちらかが使えればいいが、実際にこの魔法を使える人間はごくわずかである。
二つ目は相手の精神操作を経由して幻を見せる。
この場合は最初に魔法が掛かった対象者の記憶をベースとして、幻覚を見せるのが一般的である。つまり、虫と砂漠はルアンダのトラウマを、霊の手跡はマリアンネ(正確には茉莉時代)のトラウマをベースとしたということである。しかし、精神魔法は非常に希少で、下手したら国内にはいないかもしれないというレベルであるため、基本的には幻覚の原因であると予想されることはない。
そして今回の場合は後者、精神魔法による幻覚だ。
「タネが分かれば問題ない。」
精神操作魔法で見せることができる幻覚は、幻覚の不自然性と相手の精神状態によって大きく変わる。最初の内は逃走中という立場によりストレスが積まれていたデインだったが、今のデインには愛の力がある――もう見誤らない。
「「ハァァァ!」」
フォスローは未だに幻覚の影響を受けてはいる。しかしながら、デインの動きに合わせることによって、実質的に幻覚などないに等しい状態となっていた。
そんな二人に虫は圧されていき、ついには逃亡という手段すら取れない程に。どれだけ幻覚を見せても、どれだけ魔力を込めても、その攻撃が緩むことが無い。
そして――
『キシャァァァァ!』
ついには虫の片腕が切断される。
魔物としては中位ほどの強さしかないその虫には、腕を再生させることなどできやしない。斬られた腕が宙に飛ぶことを見ながら、化け物なりにこの状況を打開させることを考えていた。
そして、幻覚の対象を変えることにした。
「イヤァァ! 殿下! 死なないで!」
それはアイナだ。
虫にはアイナとデインの関係など分かりはしないが、確実に何かしらの特別な感情があることは分かっていた。だからこそ、彼女を狙いさえすれば、目の前の男が止まるのでは察したのだ。
そして、精神魔法が付け込むのは、何も弱った心だけではない。
愛もまた、心の防壁を緩くする。
彼女は今頃、デインが死ぬ幻覚を見ているだろう。
「おい、糞虫――」
しかし、この作戦には誤算があった。
デインはマーカスの義弟である。
マーカスの荒さは父親譲りである。
デインとマーカスは母が違うだけで、父は同じだ。
つまり、デインもまた荒さを内包する男だった。
むしろデインの本性はこっち側だ。
立場故に矯正しただけで、本来の彼はおとなしいとは程遠い。
彼の凶暴性は実家族と義兄と家庭教師とエルスターしか知らない。
「――潰す。」
デインは虫に肉薄すると斬り上げ、それを虫は残った腕でガードを使用とする。しかしながら、切断こそされなかったものの、腕を折れ曲げられてしまう。
その時、虫はデインの体から漏れる魔力を見た。
重く、厚く、濃く、そして、ドス黒い魔力だ。
この男はそこまで強くはない――だが恐ろしい。
虫は死を覚悟した。
気付いた時には、否、気付くこともできずに頭が飛んだ。
そして、動かなくなった虫の胴体や、彼の魔力を見て足を震わすフォスローのことなど気にすることもなく、デインは剣を鞘にしまう。しばらくして、アイナのことを思い出し、彼は駆け寄ってぎゅっと抱きしめる。
「アイナッ! 無事か!」
「デデデ、デイン殿下! だき! 抱き着いておりますわ! ワタクシは大丈夫ですので、は、離れてくださいまし! もう幻覚のことは大丈夫ですから!」
「生きてくれて…良かった…キミが死んだらと思うと、私は…ぐっ!」
「分かりました! 分かりましたから! 離れてくださいまし!」
「いや、私は離さない。」
「どうしてですの!」
「私は、アイナのことが好きだからだ。」
デインは想いを素直に伝えた。
もう分かった、よく分かった――人生何が起きるか分からない、と。
もしかすると、明日死ぬかもしれない。
もしかすると、今日死ぬかもしれない。
もしかすると、これから死ぬかもしれない。
ならば、想いを伝える機会は、今しかないのだから。
「私が生きていることを君にもっと教えたい。君が生きていることを私はもっと知りたい。すまない…ここで言わせてもらう…私は君が好きだ。アイナ・デーレンが好きだ! だから、生きててくれて、ありがとう!」
「うぅ…ワタクシは…。」
「アイナは?」
デインは抱き締めを緩めて、アイナの顔が見れるようにする。その顔は真っ赤になっており、今にも泣きだしそうな表情だった。それでも、アイナはなんとか食いしばって、彼の気持ちに応える。
「いえ…ワタクシも…殿下のこと、お慕いしております。」
想いを返すようにアイナもまた抱き締め、一層に抱き締めを強くするデイン、今ここですることかよという目で見る周囲。先ほどまで生き死にを賭けるような戦いをしてたとは思えない空気だが、そこには全てが終わったのだという安堵が漂って――
――最初に斬り落とされた虫の腕に魔力がこもった。
そもそも虫という生物種の神経は動物とは違っており、体と部位が離れてもしばらくは活動できるようになっている。それでいて相手は魔物だ、常識というものからかけ離れている。
だからこそ、最後の悪足掻きとして、聖女は殺す。
その腕は床を叩いて跳ね飛ぶ、その方角はマリアンネ。
しかし、腕とマリアンネの間には――デインとアイナがいる。
――その腕が、体に突き刺さる。
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