25話:誘惑と思惑
ジェイレン・ファーガソンは不機嫌な状態だった。
というのも彼が父親(の上司であるナスタ)から任された仕事は『エルスターの監視』であり、せっかくの夜会なのに嫌いな男を見なければならなくなったからである。しかも、エルスターの近くにはデインがいるものだから、令嬢がそこに群がる光景も見えてしまうのである。
(クソッ! クソッ! 腹が立つ!)
そもそも彼は今回の計画の結果には興味がなく、ただ父親がこっち陣営だったから協力しているに過ぎなかった。野心が薄いが良心も薄く、それでいて平々凡々な騎士系男爵家である彼は、自身が捨て駒である自覚もあった。
「あなた…良い匂いがするのね。」
その声に振り向くとそこにいたのはネルカ・コールマンだった。彼自身は学園の情報を仕入れる伝手などないが、それでもエルスターとメンシニカ夫人という気難し屋と仲がいいという情報を、さすがに知らないわけがなかった。
「私、あなたみたいな可愛らしい男性が好みなのよ。あら、男性にそのような表現は失礼でしたわね?」
「お前…エルスターのお気に入りって女だろ?」
「勘違いされている方が多いけど、お気に入りになったのではなく、お気に入りにさせたのよ。だって公爵家でしょう…搾り取りはたくさんじゃない。」
「ふ~ん。」
男である自身よりも顔立ちが良くて高身長であり、上下ともに出るところなどない彼女であるが、その笑みから醸し出される妖艶さにジェイレンは満更でもない表情をする。
「私はネルカ・コールマンよ。」
「あぁ知ってるよ。ネルカ嬢。」
「あら嬉しいわ。あなたの名前を聞いても?」
「ジェイレン・ファーガソンだ。」
「ジェイレン様って呼んでも…いいかしら。」
頬を上気させて嬉しそうに話す彼女に対し、最初こそ少しの気の許ししかしなかったジェイレンだった。しかし、しばらく会話を続けると何を言っても全肯定どころか全尊敬の念を示すその姿に、気が付けば彼はその気になってしまっていた。
「ネルカ嬢…俺と踊っていただけないでしょうか?」
「えぇっと…私の初めてなの? その…上手くできないかもしれないわ。」
「ご安心ください、リードしますよ。」
「あ、あら…最初に可愛いと言ったけど。ジェイレン様…カッコイイ。」
そうして差し出した手に従うものだから、ジェイレンは王子様にでもなったかのような気持ちになり、ふと本物の王子様であるデインの方を見るのだった。そこで彼の目に付いたのはその王子様の近くにいるエルスターだった。
(あの! あのエルスターが俺に対してあんな表情を!)
嫉妬・羨望・悔しさ――そんな気持ちが彼に向けられている。
それは賛美や称賛を受けることなんかよりも、他者との比較の優越感を生み出す。それがよりにもよって嫌いなエルスターなのだから、なおさらに気分が良いものなのだ。
「よろしくお願いね。ファーストダンスをあなたに捧げるわ。」
「あぁ、任せてくれ。」
手を取り合ってダンス会場へと向かう二人、相手がエルスターなどではなく影の薄い男爵家であることに、周囲から好奇の目線が集中されていた。
そして、ダンスが始まるとどこかぎこちないネルカと、それを見事にリードしているように見えるジェイレン。次第に彼女の動きが軽やかになっていき、いつの間にかリードの立場が逆転しているのだが彼はそのことに気付いていなかった。
「フフ…。」
「嬉しそうだな、ネルカ嬢。」
「だってカッコイイ男の人とダンスだなんて、田舎の市民娘にとっては夢みたいなものよ。」
「ハハ、エルスターを手玉に取るような女が、随分可愛いことを言うんだな。」
「もう! 意地悪言わないで!」
見つめ合い語り合い微笑み合う二人の時間も、一通り踊ってしまえば終わりが来るもの。離れがたい気持ちを心の中に残しつつも、ジェイレンはその手を離そうとする。
「きゃっ!」
ふとフラついたネルカは彼の胸に寄り添うように倒れ込み、「ご、ごめんなさい。ちょっと気疲れしちゃったみたい。」とハニかむ。それでいて、上目遣いで「休憩させてくれないかしら」と言うものだから、ジェイレンの下心はフルマックス状態となっており、そのまま手を引いて誰も使っていない部屋へと連れ行く。
「さぁ、ネルカ嬢。そこのソファに座ってくれ。」
「…はい。」
座る体勢にさせて彼が初めて気づいたことであるが、本来は色気のかけらもないその服装の真骨頂は、どうやら腿にあるようだった。筋肉質で張ったその足に思いを巡らせていた彼は、上目遣いでこちらを覗いてきた彼女に少しばかりの気まずさを覚える。
「ジェイレン様――。」
「ん? あぁ、うん。どうした?」
「今日は…踊ってくれてありがとう。楽しかったわ。」
ネルカは手を伸ばしてジェイレンの頬に両手を当て、そのまま左手を這わすように腰の位置まで降ろしていく。その行動の意図について考えた彼は、何も言わずその次を静かに待つ。
そして、彼女は右手を同様に降ろして――
「私の掌で踊ってくれて…楽しかったわ。」
首の位置で止まった右手がジェイレンの喉を掴み、足払いを掛けられた彼は何が起きたのかを理解できないまま、後頭部を地面にたたきつけられる。「ぅぇっ!」とおよそ言葉とは言い難い音が彼の体から漏れ出る。
そして、誰かが自身に跨る感触にそちらを見やると、『恍惚』と言えるような表情を向けているネルカの姿がそこにあった。
ジェイレンは馬乗りになってきたネルカに対し、何が起きたのか理解できていないようで、吐き出された空気と痛む体を忘れて放心状態となっていた。
「あ…いや…え…?」
そんな彼の懐に手を伸ばしたネルカは、服の中に隠されていた一つの小瓶を奪い取る。そして、蓋を開けて手で仰ぐように臭いを嗅ぐと、その中身を知ってしかめっ面をする。
「これは…ファーレン草をベースにしてるわね…久しぶりに嗅いだ気がするわ。で? 珍しい毒草を用意してどういうことかしら?」
「そ、それは栄養剤だ! 酒に酔ったときに効くんだ!」
「そう…栄養剤…ねぇ。」
チャポチャポと音を鳴らすように瓶を揺らすと、良いことを思い付いたかのように笑みを浮かべるネルカ。その姿に危機感を覚えたジェイレンは身体強化を使ってまで藻掻いてみるが、どういうことなのかその拘束を解くことができなかった。
「栄養剤ならあなたに飲ませても問題ないわね。」
「ば、ばか! やめろ!」
「どうしてやめないといけないのかしら。あなたの口の中にトロォ~。」
「お、おい! 毒薬なんだ! やめろって!」
「おっとっと。」
彼女は一滴だけ垂れてしまった毒液を慌てて受け止めると、近くにあったテーブルクロスでゴシゴシとふき取る。目の前の女がとんでもないやつだと知ってしまったのか、彼は顔を青くしてすべてを白状することにした。
「混乱を引き起こす予定だ! あくまで毒は手段の一つにすぎねぇ! 混乱さえ起こせるなら何をしたって構わないって言われてんだよ! 北区の王城付近のボロ屋敷で会ったが、あいつが誰なのか俺は知らねぇよ!」
「その言い方だと…殺す殺せないはどうでもいいのかしら。ねぇ、あなたたちは何をしようとしているの?」
「下っ端の俺が、し、知るわけねぇだろ! た、たた、ただ、最悪失敗したとしても、どうせ勝てるから問題ないとは言われたんだ!」
「どうせ勝てる? やっぱり何か秘策があったのね…。でも、なぜ?」
改めて考えると王子を殺すという行為は、リスクが高いように感じられる。そんな立場の人間であれば徹底的な調査は確実に行われるわけだし、現王も帰って来れないだけで別に死んだというわけでもないからだ。それに王太子ならともかく第三王子を標的にするという点にも引っかかりを覚えるネルカだった。
(本当に混乱を引き起こすことがメインだとしたら…?)
――国王・正妃・王太子は不在。
――騎士団もバラバラの状態
――戦闘に対する謎の自信。
――そこから混乱を引き起こすメリット。
(まさか…敵の目的は…?)
ネルカはある一つの結論に至り、今の状況ならそれも確かに可能であると判断した。そして、それが実際に起きたとき今ここにいるメンバーで対処できるかと考えると、それは不可能であるということも理解していた。
「エルに知らせなきゃ!」
ジェイレンの存在など忘れてしまうほど取り乱した彼女は、慌てて立ち上がり部屋のドアへと駆け寄る。そして、思い切りドアを引いて開けると、廊下側から誰かが開けようとしたらしく、その誰かは前につんのめりネルカの方へと倒れ込んできた。
「ひゃうん!」
可愛らしいその悲鳴の持ち主は、なんとローラだった。
彼女はネルカの胸元に手を突いて顔を上げる。
「ローラ様!? 危ないからフランちゃんと待機しておいて、と言ったはずでしょう! どうしてこっちまで来たの!」
「ネ、ネルカ様! そ、そそ、それどころでは――きゃあ!」
そんな彼女を引きはがしたのは数人の騎士だった。いずれも支給される騎士団の服を着ており、その胸元には王家の象徴である鷹が第二部隊の象徴である盾に停まっている意匠が施されている。
そして、襟首にはリーネットを象徴する薔薇のピン。
「貴様を宰相ドロエス及び息子エルスターを毒殺した疑いで捕まえる!」
【血の夜会】の火ぶたは切られた。
【皆さまへ】
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