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その令嬢、危険にて  作者: ペン銀太郎
第二部:第3−2章:魔の森討伐任務(侵攻編)
203/207

203話:魔の森

夜明けは、薄灰の霧を纏ってやって来た。

濃密な湿気の中、森は静まり返っている。

ただ、行進の音だけが、その沈黙を押し分けていく。


鎧の擦れる音、靴が泥を踏む音、時おり混じる息づかい。

それらがすべて、霧の底に吸い込まれて消えていった。


騎士の、戦士の、狩人の――そして、英雄たちの隊列。


光も音も許さぬ巨木の森は、植物の生命すらも選ぶ。背の低い草と苔、ぬめるような湿気を含んだ土を、彼らは一歩ずつ踏みしめていく。


「……あまり気にはしてこなかったけれど。」


ネルカは息を吐きながら呟く。


「とても人間が暮らすような場所ではないわ。はぁ……よくもまぁ、こんな森に集落を作るものね。頭おかしいんじゃないのかしら。」


霧の向こうからは、どこからともなく魔力の圧が押し寄せてくる。

森の奥に潜む魔孔――そこから滲み出す気配が、肌の内側までじりじりと焼くようだった。森全体が敵意をもって見ている。そんな錯覚さえ覚える。


今いるのはまだ外縁部。

それでも、『魔』の森と呼ぶに足る空気だった。

彼女たちはすでに死に浸かっているのだ。


ネルカは外套の裾を軽く払うと、靴裏でぬかるみを踏んだ。

王都の石畳を歩き慣れてしまうと、この感触はひどく頼りない。

けれど、足裏から伝わるこの沈みが、昔の自分を思い出させる。


――懐かしさとは、必ずしも心地よいものではない。


平和に染まりすぎた自分では、ここでは異物のように思えた。


「ここがアンタの故郷か。」


低い声が背から届く。マーカスだ。

彼はネルカの横に並び、同じ方角を睨んだ。


「こんな森で狩人なんてやってりゃ、イカレるのも当然だな。避難命令を出しても頑として動かねぇ。どの集落も戦う気でいやがる。」


「そう、ここの住民らしいわね。困った人たちだわ。」


「おいおい、同類が何言ってんだか。」


軽口を叩く声には、わずかに緊張が混じっている。


二人の間に沈黙が落ちた。

湿った空気が、息と一緒に肺を圧迫する。

マーカスは何度も隣を盗み見ては、口を開きかけ、また閉じた。

やがて、我慢できないように言葉をこぼす。


「なぁ……計画通りでいいと思ってるか?」


ネルカは視線を前に向けたまま、眉をひそめた。


「どういうことかしら」


「仮拠点を逐一築きながら、魔物の根城へジワジワ迫る。途中で隊を分け、包囲を狭めていく。で、表向きは『慎重な進軍』。だが………実際は機動力のあるアンタや、あの皇太子が裏をかく。速攻で挟み撃ち。これが計画だろ?」


「ええ、そうね。私は無難な作戦だと思うけれど?」


ネルカは小さく笑った。


「強い魔物ってのは、賢い。賢いがゆえに臆病よ。だからこそ『間合いを測る』癖があるの。こちらが動くたび、あいつらも距離を取る――そこに一瞬の隙が生まれる。」


マーカスは頷きながらも、納得しきれぬ顔で眉をひそめる。


「……そうか。だが、魔物の気配が濃すぎる。離れていても、ヒシヒシと感じるな。あれだけの魔力が溜まってりゃ、理屈が通じるかどうかも怪しいぜ。」


あまりに強大な魔力のうねりが、空気を軋ませている。

魔害級の魔物が複数存在している、そんな報告はもとよりされてはいたが、今こうやって肌で感じると恐ろしさがより鮮明になる。塵も積もれば山となる、ならば、山が積もれば何になるのか――想像の範疇を超えることだけは確かだ。


だが、大きいからこそ目立つ。

こちら側が間合いを測れるほどの存在感。

賢いがゆえに臆病なのは、人も同じだ。


「距離は……今の行進速度なら…2時間ってとこかしら。次で最後の仮拠点になりそうね。」


「距離まで分かるのか。さすがだな。」


その言葉に周囲の騎士たちに緊張が走った。

彼らだって向かう先の気配に気付けないはずがない。

『まだ大丈夫』という言葉で休めるような土地ではない。


位置が分かるほどの魔力――計画を立てる上ではありがたい。

位置が分かるほどの魔力――実行する上では絶望である。



そんな時だった。



「お、おい……静かじゃねぇか?」


誰が口走ったか。

ただの騎士の一人だ。


静か――


死の森はあらゆる生物が慎重になる。

ましてや今は、強大な魔物が巣食っている。

捕食される側の生物は、静かになるのが道理だ。


その騎士が言葉を続ける。


「魔力が、静かだ。」


否、騎士は物理的に静かであるとは言っていなかった。

魔力が静か、その対象は言わずもがな、遥か先の強大な魔力。


静か――


その言葉の意味に気づいたのは、ガドラクだった。


「総員! 警戒態勢を取れ!」


指揮の長が大号令を放った。

歴戦の老将が見据える先、それははるか遠く。

視認できるはずもないほど遠く。


強大な魔力は、確かにうねっている。

だが――あまりにも整いすぎていた。


波の一つひとつが、まるで同じ拍で脈打っている。

生き物の群れなら、揺らぎがあるはず。


それがない。静かに、揃っている。


「魔力膜を展開せよ! 来るぞ!」


膨大な魔力が小さくなった。


量は変わらない、圧縮。

一箇所に圧縮されたのだ。


バラけていない。


元から一つの魔力だったかのように。


これが意味することは――


「クソッ! 嵌められた!」


騎士団が目印にしていた魔力は――


膨大な複数の魔力の塊などではない。

膨大な一つの魔力だったということ。


その圧縮された魔力が、




刹那。




空気が、裂けた。




視界の端に、一筋の線が走った。


【皆さまへ】


コチラの作品を読んで楽しんだら、高評価をしてくださると嬉しいです。


そして、何よりも嬉しいのは作品に対する直接の言葉です。

なので、コメントしてくださるともっともっと嬉しいです。


よろしくお願いします!


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