202話:マクラン家(???)
サスーリカは優雅に紅茶を口にした。
だがその心の内は、抑えきれぬ愉悦で満ちていた。
(フフッ……マクラン家、楽勝だわ。)
ドロエスが妻のために『伝言係』として彼女を遣わせた――それ自体に嘘はない。だが、サスーリカには別の目的があった。
そう、マクラン家に取り入るという密やかな野望。
ドロエスからの依頼は、降って湧いた幸運。
しかも、相手方からの好感触は予想以上。
この高揚を楽しまずして、何を楽しむというのだ。
(それにしても……精神的に少し不安定と聞いていたけど、想像よりずっと明るい方なのね。あと、息子とは全然似てないわ……)
ミリーエン・マクラン――彼女はまるで太陽のよう。
ぱっちりとした瞳、感情がそのまま光る笑顔。
嫌味も壁もなく、純真さの塊のような女性。
対するエルスターは死んだ魚のような目。
良からぬことを企んでいることが丸見えな笑顔。
嫌味と壁しかなく、人から嫌われるような男だ。
共通点など、髪色くらいしか見当たらない。
「そういえば……サスーリカさんは、王宮騎士団のどちらの部署に所属しておられて?」
ふと、ミリーエンが首を傾げた。
「私は――第零部隊に所属しております。」
「だ、第零!? 第一から第四までしか聞いたことありませんわ! 詳しく教えてくださる!?」
「ええ。つい二週間ほど前に創設されたばかりの部隊ですので、ご存じなくても無理はありません。」
「まあ! まあ! それで、第零は何をなさる部隊なの!?」
ミリーエンがテーブルに身を乗り出す。
驚いたサスーリカは、思わず背を椅子にもたれかけた。
「奥様、はしたないですよ」
控えていたメイドの一言に、二人は同時に我に返る。
サスーリカは苦笑をこぼし、ミリーエンは頬を赤らめて謝った。
その一幕を見ながら、サスーリカの胸が高鳴る。
(……奥様の目。)
まっすぐで、曇りのない『純』。
純白のようで、白すぎて黒に見えるほどの純。
本能に正直で、悪意なき無遠慮。
サスーリカは、その目を知っていた。
(――前言撤回ね。やっぱり似たもの親子だわ。)
背筋を正し、唇にまた微笑を描く。
「構いませんよ、奥様。それで、第零部隊の話でしたね?」
「ぜひ教えてほしいわ!」
「第零部隊――それは、ベルガンテ王国の『裏組織』です。」
「裏組織! ワクワクする言葉ね!」
「規律や儀礼に縛られず、必要な任務を迅速に遂行するための特殊部隊。ある者は他部隊との兼任、ある者は王城の給仕、ある者は町の花屋の店員……ちなみに私は学生です。実のところ、私自身、隊員の半数も把握していません。――あ、さらに言えば、隣国の皇太子まで所属しております!」
「まぁ! まぁ! まぁ!」
ミリーエンは手を合わせ、虚空を仰いだ。
その口から、まるで脊髄反射のように言葉が溢れる。
「ルールに縛られた騎士団では救えぬ闇を、
陰で動く漆黒の第零部隊が裁く!
彼らは誰にも知られず、ただ任務を果たし――
栄誉も栄光もなく、闇に紛れて王国の平和を支える…!
キャーッ! カッコいい! 素敵!」
「あら、奥様。もしかして、そっちの世界がお好きで?」
「そうなのよ! こんな話、旦那にしかできなかったけど……私、『呪われた騎士』って小説に憧れていたの!」
「まあ、奇遇ですね。私も愛読書の一つです。」
――闇 死 血 漆黒 狂気。
物騒な言葉にこそ、ときめきを感じる人種がいる。
まさか同類だとは、それは両者が思ったことだった。
気づけば女騎士の話題から逸れ、「何がカッコいいか」という議論へと変わっていた。まるで二人して恋する少女のようにである。ちなみに、マクラン家に取り入る野望など、もう頭から消えている。
ただ、笑っていた。
心の底から、愉快なお茶会を楽しんでいた。
― ― ― ― ― ―
楽しい時間というものは、あっという間に過ぎるもの。
翌日の朝、サスーリカは次の任務のために出発しなければならなくなった。
マクラン邸の玄関で、二人の女性が向かい合っている。
「サスーリカさん、楽しい時間だったわ。ありがとうね。」
「奥様、私も名残惜しく思うほど、楽しかったです。」
「でも、これから魔の森に向かうのでしょう? この国で最も危険な場所ってことぐらい、私でも知ってるのよ? 心配だわ…。」
祈るように両手を組み、静かに涙を流すミリーエン。
サスーリカは片膝を着くと、その涙を指で拭うのだった。
そして、顔を覗き込み、目と目を合わせる。
「頑張る理由が増えてしまいました。もう一度、奥様に、会うために……フフッ……必ず生きて、帰ってきます。」
そう言うと、ミリーエンの手を取り、甲に口づけを落とす。
彼女は一瞬キョトンとしたが、すぐに破顔するのだった。
(この笑顔を守るためにも、なおさら私は魔の森に向かわなくてはならないわね。それに――)
サスーリカは立ち上がると、ミリーエンの背の奥――屋敷の廊下の角をジッと見つめた。そこにはミリーエンと同じ色の髪がはみ出ている。
「盗み聞きとは悪趣味ですよ、エルスター卿。」
サスーリカがそう言うと、髪の主――エルスターが顔を出した。
「エルスターさん…!?」
顔を青ざめながら下を向いて停止する息子。
顔を青ざめながら前を向いて停止する母親。
しかしながら、エルスターがふと顔を上げ、その表情に驚愕を貼り付けたかと思うと、彼の顔色は次第に暖色を増していくのだった。
「どうして…ここに…。」
ズンズンと迫りくる息子に対してミリーエンが身を縮こまらせる中、サスーリカは彼女の前へと体を滑り込まらせる。それでも止まることをしないエルスターとの距離は手が届くまで近づき、彼は右手を振り上げるのだった。
振り上げられた手が――
サスーリカの――カツラを奪い取った。
勢いで舞うは、真っ赤なウェーブヘア。
その髪の持ち主といえば、
「何をしているのですか、ネルカ?」
なんと、
なんと……
なんとッッ!!
サスーリカの正体は、ネルカだったのだ。
「婚約者に会いに来るのに、理由なんていらないでしょう?」
「だからと言って、変装までしなくても…まったくあなたと来たら、仕方のない人ですねぇ。」
そんなやり取りを耳にして、ミリーエンはハッと我に返るのだった。
ネルカ――その名前は確か息子の婚約者だったはず。
息子に関する報告書は頻繁に送られてくる彼女だが、どれも最後まで読むことができていない。だから、エルスターが王都でどんな生活をしていて、どんな人間と交流を深めているのかは中途半端にしか知らない――当然にネルカという人間については知らないことばかりだ。
知れるのは、今。
(息子のことを知れるのは今だけなのよ!)
ミリーエンは勇気を振り絞り、エルスターを見ようとする。
だが、無理だった。
ネルカの陰から少し身を乗り出す、それだけの行為があまりにも難しい。
頭が重い、肩が重い、手が重い、腹が重い、足が重い。
あらゆる行動が自身の臆病さによって阻害される。
(私は…私は……ダメな…母親で……。)
顔を上げる、それだけではダメだ。
その先を、その先ができなければ、ミリーエンは――
――顔を上げると、そこには背があった。
ネルカ・コールマン――【死神英雄】の背がそこにはあったのだ。
「あ……ァ。」
その背は安心する。
きっと守ってくれると。
その背は不安になる。
きっと命を刈り取られるのだと。
その背を見ると落ち着く。
無理ならやらなくてもいいと、引っ張ってくる。
その背を見ると昂る。
できるならやれと、押してくる。
彼女は英雄であり、死神鴉だった。
(ネルカさん、あなたは……。)
ミリーエンは背を伸ばし、前を向いた。
そして、ついにエルスターの顔を見るのだった。
「ッ!?」
十数年ぶりにまともに見たはずの息子は、見慣れた顔だった。
旦那の顔にとてもそっくり、いつも正面から見ている表情。
愛おしくて愛らしい、そんな表情だ。
エルスターにとってネルカとは、ドロエスにとってのミリーエン。
(そう…エルスターさん…あなた……。)
息子が成長したのなら、母親だって成長しよう。
ミリーエンはネルカの肩に手を置いた。
振り向く彼女に悠然とした態度で語り掛けるのだった。
「ネルカさん。ちょっとよろしいかしら?」
「えっと、その、は、はい。」
「変装で私を騙していたのね? これは罰が必要です。」
「……。」
騙していた、確かにそうである。
だから、ネルカはその采配を受けることにした。
どんなことを言われるのか、分からない。
そして、ミリーエンが口を開き――
「必ず魔の森から帰って来なさい…『姑』からの命令よ。」
その言葉の意味、すなわち、息子の嫁として認めるという意味だ。
ネルカは目を開き、張り、潤ませる。
応えよう、娘として。
「ッ! はいッ! 御『義母』様ッ!」
今のネルカは帰らないといけない場所があまりにも多すぎる。
死ぬことなど到底できやしない。
― ― ― ― ― ―
去っていく姿を眺めながら、親子は並んで立っていた。
こうやって並べる日がまた来るとは互いに思ってもいなかったことだ。
まだ足りないことだらけだが、親子の心は近くなったのかもしれない。
「ネルカさんは良い子ね。」
「猫を被ってるだけです。」
「もしもあの子を逃すことでもあれば、あなたを勘当します。」
「クックック…やれやれ、息子には厳しい母親ですねぇ。」
「母親に厳しかった息子が何を言うの。」
「それにしても、私は母親のことを何も知らなったようです。」
才能を見る目はあるけれど、才能以外は見れなかった。
エルスターは自身の愚かさに反省するばかりだ。
人は才能がすべてではない、今のエルスターならよく分かる。
「ここまで冗談を言う人とは、知らなかったです。」
そう言って、エルスターは隣を見るのだった。
彼から見た母親というのは――
――真顔だった。
――まさに真剣な表情だった。
――本当に勘当しかねない表情だった。
「私には、冗談では、ない、のですねぇ……。」
親子の心は近くなった……………のか?
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