201話:マクラン家(母)
正しい評価を出せる人から褒められたら、嬉しいものである。
その女性がミリーエン・マクランと名乗るきっかけは、あのマクラン家の長男ドロエスからの一方的な片想いだったという。人を見る目に長けており、彼の前に立ってしまえば感情など筒抜け――そんな人物からの片想いを受けることなど、嬉しいに決まっているのだ。
自信をもって答えよう。
自分は愛されている。
自分は愛している。
「…………はずだった、のよね…。」
正しい評価を出せる人から失望されたら、苦しいものである。
エルスターがこの世に生を受けたあの日、ミリーエンの人生は転落の道を辿ることが決まってしまったのだ。父親と同じく人を見る目に長けており、彼の前に立ってしまえば才能など筒抜け――
――そんな息子から向けられた視線は――
――失望、あるいは、絶望。
(今でも、あの日を思い出す。)
昔のエルスターは可愛い可愛い子供だった。
少なくともミリーエンの目にはそう見えた。
ある日、彼は人生で初めて鏡を見た。
そして――エルスターは才能が無いことへの『失望』を知った。
それまでは何ともなかったのに、どうして自分自身を見た瞬間にそんな気持ちが抱いたのか。才能を見る目が開花したのか、それとも見た対象が自分自身だからこそなのか、それは彼を含めて誰も知らない。
だが、一度でも知ってしまうと抑えきれない、自分だけでなく周囲の人間にも――彼が振り向いた先には母親がいた。彼はまだ幼かったけれど、肉親に対して失望するということの意味を察し、だからこそ『絶望』し、歪んだ人格を形成するに至ってしまったのだ。
純粋に、単純に、純一に、清純に、純然に――純白に――汚れた存在。
エルスターは可愛い可愛い子供ではなくなった。
(怖い、息子が…恐ろしい…。)
自信をもって答えることなどできやしない。
自分は愛されているのか?
自分は愛せるのか?
愛したい。
嫌いたくない。
憎みたくもない。
だから、避けるしかない。
そう、思っていたのに――
「坊ちゃまが、明日お戻りになると、伝言係の騎士が参られました。」
家令の言葉に、ミリーエンは呼吸が止まった。
手に持っている紅茶の表面が揺れる。
ワナワナと口を震わせながら、何とか言葉を紡いだ。
「…あ……明日、なの?」
胸の奥で、何かがざらりと鳴った。
会いたい。
けれど、怖い。
会うべきではない。
自分がどう映るのか――あの目に、何が見えるのか。
あの日の記憶がこびりついて離れない。
「それで、その、騎士が……奥様にお話があるとのことで……。」
家令の声音がわずかに緊張を帯びている。
珍しい。彼がこんな声を出すのは。
ミリーエンが目を向けると、廊下の向こうにひとりの騎士が立っていた。鎧をまとい、背筋を伸ばし、きりりとした表情をしている。黒色のショートカットヘアが、昔の自分を思い出させる。
だがその佇まいには、どこか柔らかさがあった。
ミリーエンは気付く。
「……まあ、女の方?」
「はっ。王都よりお越しの女騎士でございます。」
女が一歩、静かに進み出た。
「サスーリカと申します。奥様のお話相手として、マクラン卿よりご依頼をいただきました。」
その声音は明るく澄み、喜びを隠しきれていない。
ミリーエンは瞬きを繰り返す。
女騎士――この国に存在しなかったはずである。
いつの間に許される時代になっていたのだろう。
屋敷に引きこもる間に、価値観が変わったのかもしれない。
それにしても、彼女はどうして嬉しそうなのだろうか。
様々な疑問が思考を埋め尽くす。
けれど、なぜだろう。
この女性の姿を見ていると、
心の奥底で忘れていた何かが、
かすかに疼く。
「そうだわ、私ってば……。」
――子供の頃ね、女騎士になりたかったのよ、フフッ!
かつての夢を知っているのは、唯一人だけだ。
親にも、兄にも、友達にも、恩師にも教えていない。
たった一度だけ――数十年も昔に――唯一人――。
「ドロエス様ったら、そんなことまで……覚えて……。」
気づけば、唇の端がやわらかく緩んでいた。
笑うのは、いつぶりだろう。
そうか自分はまだ愛されていたのか。
サスーリカはその笑みを見て、にっこりと笑い返した。
まるで陽だまりのように。
ミリーエンの心に、ふっと明かりがともる。
――この女性と話してみたい。
そんな衝動が、久しく忘れていた温かさとともに芽生えた。
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