200話:マクラン家(息子)
エルスターは馬車に乗りながら、窓の外を眺めていた。
向かう先はマクラン領、つまり実家である。
「もどかしいですねぇ…。」
神隠し事件での傷は未だ癒えていない。
いや、万全だとしても、彼では魔の森攻略任務には足手まといもいいところだ。結局のところ、実家に療養するのも、王都でお留守番も大差ない。
ただ、それはそれとして帰郷というのは彼の心を重くした。
エルスター・マクラン――人間の才能を見る才能がある男。
彼が生まれて初めて幻滅した相手は、自分自身と――
「……母、に遭わないようにしなければ……。」
産んだばかりの子から絶望の目を向けられるなど、果たしていったいどんな気持ちなのだろうか。当たり前だが彼はその瞬間を記憶などしてもいないし、当たり前だが子を持っているわけでもない、当たり前だがその答えにたどり着けるはずもない。
(いえ、これからも、分かる日など来るはずがないのでしょうねぇ。)
かつて、エルスターはネルカからこんな言葉を聞いたことがある。
――特別によってもたらされるのは、スタートの違い。
――才能によってもたらされるのは、道中の違い。
――努力によってもたらされるのは、ゴールの違い。
『特別』を驕らず、『才能』に溺れず、『努力』を止めない。
以前のエルスターであればそんな言葉を無視していたかもしれない。だが、血の夜会事件、避暑地での襲撃事件、王都襲撃事件、そして、神隠し事件――これらを通してエルスターの価値観は変わりつつある。ネルカの言葉を理解はできずとも、納得はできるようになっていた。
そう、間違いなくエルスターという男は、心が育っている。
育ったからこそ、今、苦しんでいるのだ。
できることなら、もっと昔に納得できる男でありたかった。
「ハァ……嫌ですねぇ。」
馬車がゆっくりと止まる。
軋む音とともに、重たい沈黙が破られた。
見慣れた門構え。
それなのに、懐かしさよりも先に、胸の奥がざらつく。
「……着いてしまいましたか」
ドアを開けたのは、白髪の家令だった。
背筋は今もまっすぐで、声も昔のまま落ち着いている。
「お帰りなさいませ、エルスター坊ちゃま。」
「………………………………ただいまですよ。」
穏やかに笑う家令の表情には、どこか安堵がにじんでいた。
マクラン家の親子共々を見てきた家令は、エルスターの精神的な成長をこの瞬間だけで判ってしまうのだ。だが、そんな彼でも、訊ねるべきかどうか悩むことがある。
エルスターの部屋の前で家令が立ち止まり、静かに言った。
「奥様には、お会いになりますか?」
エルスターは一瞬、視線を落とす。
「……………。」
その無言を肯定と捉えた家令は深く頭を下げ、足音を遠ざけていった。残された静寂の中、エルスターはゆっくりと扉を押し開ける。
中は――驚くほど、変わっていなかった。
本棚の配置も、窓辺の小さな観葉植物も、かつてのまま。
「……時が止まっているみたいですねぇ」
ため息を漏らし、ベッドに腰を下ろす。
ぼんやりと天井を見上げながら、思考が空回りしていく。
結局、自分は何を得て、何が足りないのだろう。
そのとき――
「おや……?」
外から、柔らかな笑い声が聞こえた。
エルスターは、ゆっくりと顔を上げる。
最初は耳の錯覚かと思った。
けれど、何度も響くたびに、その声の主を思い出す。
「……まさか」
立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
カーテンをわずかに開いた先――庭。
そこに、陽の光を受けて笑う一人の女性がいた。
黒髪を束ね、穏やかな眼差しを浮かべて。
――母だった。
エルスターは、言葉を失った。
記憶の中の彼女は、いつも怯えていて、遠かった。
それが今、こんなにも自然に笑っている。
胸の奥が、わずかに痛む。
「……まさか、笑って!?」
誰かいる。
相手が、いる。
会話の相手が。
父ではない、宰相として王城にいるはずだから。
誰だ?
今日、自分が帰ることを知らないはずがない。
あの家令が母に伝えないわけない。
誰だ?
外に出てもいいほどに、楽しい相手がいる。
「誰だ?」
その顔を見るだけで視界が白く光る。
その顔を見るだけで胸奥が熱く燃える。
その顔を見るだけで身体が重く沈む。
眩暈、吐き気、倦怠感――エルスターにとって未知なる感情。
エルスターは母の会話の相手を見れなかった。
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