199話:デイン・ズ・ベルガー
夜の訓練場は炎のようにざわめいていた。
明後日の出陣を前に、騎士たちの昂りは抑えきれない。拳をぶつけ合う音、笑い声、叫び声――まるで祭りのような熱に包まれている。本当に彼らは死地へ向かう者たちなのだろうか。
その光景を、王城本丸の回廊から眺めるは――デインだった。
彼は腕を組み、吐息をこぼし、呆れたように肩を竦める。
「……全く、出陣前だというのに」
そんな背後に一つの人影。
影の一族の長、トーハである。
トーハはデインの背に言葉を投げかけた。
「咎めなくてもいいのか?」
デインはしばらく黙ったまま、騎士たちを見つめた。
やがて、かすかに口元を緩める。
「いや…今回は……これでいいんだよ。」
トーハが目を細める。
目の前の男の表情が気に入らなかった。
「どこか羨ましそうだな。俺はてっきり、貴様は我らと同じ側の人間だと思っていたが……存外、違うらしい。」
「同じ? 私が、かい?」
「あぁ、そうだ。情や野生などなくとも、ただ『合理』という言葉一つでなんだってできる、そういう類の者かと思っていた。だからこそ、あのような目印がなくては進めない弱さを、嫌うものかと思っていた。」
一年前、二人の初めての邂逅。
騙された結果とは言え、影の一族はデインを殺すために立ち回り、実際に騎士たちの殺害を犯している。だが、それでも、デインがトーハたちに下した罰則は『ゼノン教を倒すために支配下に置く』ことだった。
憎悪を抑え、
敵意を抑え、
憤怒を抑え、
駒にするしかなかった。
しかない、とは言え、できる者は少ない。
できるのがデインという男。
「影の一族は、人殺しの一族。子の頃より人殺しのために必要な教育を受ける。それ以外の不要なモノを切り捨てる必要がある。一族から抜け出したアイリーン、その娘であるネルカですら同じ教育を受けていることは、貴様とてよく知っているだろう。」
「私は王子だ。人殺しの一族ではないよ。」
「だが、不要なモノを切り捨てて生きてきたであろう?」
そこでデインはくすりと笑い、横目でトーハを見やった。
「おかしなことを聞くんだね。」
「なんだと?」
「鏡を見ることをオススメするよ。羨ましそうなのは誰かな?」
「………………何を言っている?」
トーハは自身の顔をペタペタと触った。
いつもと変わらない仏頂面のはずだ。
目の前の王子の言が、彼にはまったく理解できない。
デインはさらに言葉を続ける。
「エルから聞いているよ、あなたは、ベルガンテの民に剣を教えているとね。それはどうしてだい? 不要なモノを切り捨てるんじゃなかったのかい?」
「ふんっ……エイリーンと同じことをしただけだ。弟子を取れば、あの女の強さが、分かるのではと期待しただけだ。」
「違うね。」
「違わない!」
「いいや、違うさ。」
デインは軽く笑い、再び訓練場を見下ろした。
笑い声と怒号の渦。猛る騎士たちが月光に照らされている。
だが、彼の目線の先は――兄――マーカス。
「私はね…つい最近まで…兄たちと碌に口も利かなかったんだ。私の才能にエルが感動し、あろうことかエルは兄上たちを軽蔑した。だから……私は…私は……合理的な判断を以て、兄上たちに関わらないようにしたんだ。少しでも諍いが起きないようにね。」
「…………」
「でもね、不要なモノを切り捨ててきたと思っていたその選択はね、逃げで、諦めで、捻くれで……ただ素直でなかっただけなのだと、最近気づいたんだ。」
「…………どうして、気づけ…た?」
「婚約者にね、好きだと告白したんだ。そのきっかけをくれたのが、第二部隊の皆で、エルで、トムスで、マリアンネ嬢で、ネルカ嬢なんだ。しかも、なんとも皮肉な話として、あなたたち一族が私を殺しに来たからこそ起きた出来事でもあったんだ。」
「あの日、そんなことが。」
「それから、私は、素直になろうと誓ったのさ。誰にってわけではないけどね。でも……私は兄上たちと会話できるようになったんだ……拍子抜けするほど簡単なことだったね。」
トーハはしばらく黙していたが、やがて低く吐き捨てる。
「……素直になどなれば、弱くなるだけだ。情に流され、判断を鈍らせる。俺はそれを幾度も見てきた。」
デインは首を振る。
「違うさ。熱を持つからこそ、人は最良を選びたくなるんだ。だからこそ合理的になれる。だから安心して、素直であればいいんだよ。素直な方が人生は豊かになるからね。」
決してデインは才を失ったわけではない。
決してデインは合理性を失ったわけではない。
決してデインは強さを失ったわけではない。
才が不要なとき、
合理性が不要なとき、
強さが不要なとき、
才が必要なとき、
合理性が必要なとき、
強さが必要なとき、
そこの線引きを手に入れただけだ。
「もう一度言おう、鏡を見ることをオススメするよ、トーハ。素直になるのは、こうやって言ってくれる私みたいな人がいる、今が機会だと思うけど?」
トーハの眉がぴくりと動いた。
だが否定の言葉は出てこなかった。
影の一族は、血に汚れた一族。
一年前にゼノン教幹部・ハスディの言が正しいなら、魔王を身体に取り込んだことで発現したのが黒魔法だ。なおさら、穢れの一族と呼ぶにふさわしい。
過去も、今も――『素直』など許してはくれないはず。
(俺は、俺たちは……影の一族は……。)
トーハの思考によぎるは、剣の指南をしている子供たち。
そして、護衛対象である黒色の聖女――王女リーゼロッテ。
どうしてだろうか、みんなが、トーハに、笑顔を向けている。
(過去も、今も、許してくれずとも……未来は許してくれるのだろうか?)
トーハの眉間がより一層にシワ深くなった。
彼は一息いれると、訓練場の熱気を見直した。
口を開く。
「ベルガンテ王国の王子よ、仮に変わる機会があったとして、それが貴様なのは癪に触る。だから、一つの助言としてだけ受け取っておこう。」
「えぇ…、素直じゃない…。」
「ふんッ!」
そっぽを向くトーハの横顔は拗ねた表情ながらも、どこか機嫌が良さげであった。それがデインにはおかしく感じ、たまらず肩を揺らして笑うのだった。
だが――何を思い出したのか、すぐに真顔になった。
「まぁ、ネルカ嬢ほど素直であるというのも厄介な話だけどね。あれはもう、素直を通り越して本能だよ。」
「どうしてここであの小娘が出てくる? そう言えば、こんな大事にしばらく見かけていないな……どこにいる。」
「あぁ、彼女はね……今――」
デインは遠い目をして虚空を見ていた。
それは本当に、遠く、遠くを見る目だった――
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