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その令嬢、危険にて  作者: ペン銀太郎
第二部:第3-1章:魔の森討伐任務(準備編)
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198話:名もなき騎士

死ぬのは怖いことだ。


男は自室でふと思った。


これまで名も知れていない、そして、これからも名を知られることがないであろうその若い騎士は、空を見上げながらブルリッと体を震わせた。二つの月が世界を見下ろしている、まるで足掻く命をあざ笑うかのように。


これから自分たちは死地へ赴く。

領騎士の連合隊、王宮騎士団第三部隊が壊滅した地。

今回の任務は【終焉級】、国という単位を必要とする。


雑兵など、死ぬために行くようなものだ。


(怖い…に…決まってる…。)


騎士棟にいるだけでヒリヒリする。

それほどに周囲の騎士はギラついている。

金属の擦れる音すら耳に届く、圧倒的な静寂。


手の汗が、背の汗が止まらない。

恐がっているのは自分だけか。


王宮騎士団はエリートの集まり。

きっと死の恐怖などないに違いない。


以前、こんな噂話を聞いたことがある。

今や知らぬものなどいない我が国の英雄【ネルカ・コールマン】は、死地にこそ生還を見出し、殺しにこそ成長を見出しているのだと。そんなバカなと初めこそ疑っていたが、今なら信じることができる。


だって――


だって――――


「俺は英雄などなれやしない…ッ!」


抱く恐怖に負けている。

あまりにも、英雄などとはほど遠い。

自分の正反対こそが英雄なのだろう。


なら、噂話どおりのネルカこそ、英雄にふさわしい。


(こんな俺、たった一人が逃げても、誰も、困らない…ッ!)


男は荷物をこっそりとまとめ始めた。

同じ部屋の仲間たちにバレぬよう、こっそりと。


(何が誇りだ、何が英雄願望だ、何が守りたい人だ、バカバカしい。生きることが最優先に決まってるだろ。情けないと嘲笑えばいい、臆病者だと罵ればいい、弱者であると見下せばいい……それでも生きてるやつが正義だろうが! だいたい、俺がここにいるのも家のコネのおかげだ。第二部隊で、護衛任務で、でも何も起きない……そんなぬるま湯を……求めていただけの俺が……いきなり【魔の森】の討伐に参加しろなんて、無理に……。)


そんな時だった――


なにやら騒がしい。


いや、間違いなく訓練場の方が騒がしい。


おかしい、この空気の中で騒がしいはずがない。


誰かの気でも狂ったか?

だが、騒がしい声はあまりにも堂々としている。

恐怖でも、励ましでもない。


まるで、戦うことが当たり前かのような。

まるで、戦うことが生物の本能であるかのような。

まるで、俺らの背を理不尽に押してくるような。


闘争に理由などない、そんな騒がしさだった。


(誰だ…?)


廊下なら、訓練場が見える。

男は荷物をまとめる作業を中断して廊下に出た。

隣部屋の仲間たちも廊下に出てくるところだった。


訓練場に二つの人影。

目を凝らす。


「えっ!?」


そこにいたのは――ギウスレアとマーカスだった。

金と銀、国は違えど同じ王の子という立場。


『フハッハ~、見よ、双月が俺を祝福しているぞ!』

『いいねぇ、いいねぇ! 酒がすすむってもんだな!』


いつも通りのギウスレアと、酔っ払いのマーカス。

まさかの二人の組み合わせに一同は目を疑った。


「ふむ、王国に来てからというもの、これほどに人生が楽しいと感じたことはない。良いぞ、マーカスよ、貴様も我が友にふさわしき者だ! 俺の背中を預けてやろう、だから、俺に背中を預けよ!」


「ほぉ? 随分と思い切ったこと言うじゃねぇか。怖くはねぇのか?」


「怖いだと? ふん! 答えが分かり切った質問をするな。」


小馬鹿にするように鼻を鳴らすギウスレア。

対して、マーカスは神妙な顔でその目を見た。


「……ってことは?」


ゴクリッ――それは誰の喉の音だろうか。


男のものか、それとも周囲のものか。

いや、ギウスレアを見るすべての者から発せられた音だ。

それぞれが顔を見る、それぞれの心を見た。


(そうか、怖いのは皆が、そうだ。)


今先ほどの喉の音は、恐怖の音。

ギウスレアから否定の言葉が出ることに恐れた音だ。恐怖を抱くことの否定など、自分たちにとっては人格否定にも等しい行為なのだから。


きっと、ギウスレアは死など恐れていない。

だから、自分たちの気持ちなど理解できない。

それを突き付けられるのが、何よりも恐ろしい。


弱肉強食の隣国、それがパラナン帝国。

そんな信条の体現者、それがギウスレア皇太子。



ギウスレアが口を開く――



「――怖いに決まっておろう。」



えっ? その呟きはすべての者から放たれた。

マーカスさえも驚きに目を開いていた。


「死ぬことを恐れぬ者は、死にたい者か、狂った者だけだ! まっとうに生きたい者にそんなバカなどおらん! 」


「そう、か…。そうかもな。」


「だがな、俺たちは、死よりも恐ろしいことがあることを知っている。」


「あ? 死よりも恐ろしいこと? 例えば、あー、そうだな、誇りを失うだとか、愛する者が死ぬだとか……そんなとこか?」


「過程であれど、結論ではないな。」


ギウスレアは立ち上がると両手を広げる。

月の光の演出が、彼の金髪を輝かせた。



「――心が死んだまま、生き続けることだ。」



誇りが死ねば、心が死ぬ。

大事な者が死ねば、心が死ぬ。


虚無のまま生きるつもりか。


甲斐のない命に、価値などない。


だから、進め。


「ハッ……ハッ…ハッ…!」


名もなき騎士の胸の奥が、ドクンと鳴った。

それは自分だけの鼓動のはずなのに――隣の者の胸の音と重なり、周囲の気配と共鳴しているように思えた。


死んでいた。

自分たちの心は、今、死んでいたのだ。

そして、ギウスレアの言葉で生き返った。


呼吸の仕方を忘れていたかのように、息が定まらない。


ギウスレアはそのまま言葉を続けた。


「だがまぁなぁ、そんな曖昧なことのために、明確な命の死に向かうのも尻込みする……という気持ちも分からぬわけではない。だから、戦士には指標が必要だ。それこそが誇りだとか、愛する者だとか。」


「なるほど、その考えはおもしれぇ。だが、人にとってはその指標すら『その程度の指標』になっちまうときだってある。その場合は、どうする?」


「俺が指標になってやる。」


「はぁ?」


ドンッとギウスレアから魔力が発せられた。

推進力が発生し、周囲では風が舞う。

その勇猛さに、マーカスは思わず笑みを浮かべた。


人々は、彼の姿を見て――立ち上がる。

人々は、彼の姿を見て――気を昂ぶらせる。

人々は、彼の姿を見て――恥を覚える。


人々は、彼の姿を見て――背を押された。


呪具など関係ない。

あれこそがギウスレア皇太子。

理屈など関係ない。

自分たちは魔の森へと向かう。

恐怖など関係ない。

心を殺すな、生を全うせよ。


「この帝国が皇太子であるギウスレア・パラナン・ガレット、この俺の背中こそが指標だ! 有無など言わせん、俺の背を見れば、勝手に貴様らは着いてくる! さすれば迷うことなどない!」


気づけば、名もなき騎士は訓練場へと降り立っていた。

否、男だけではない、すべての騎士が集まってきたのだ。


そこで、マーカスは酒瓶片手に、騎士たちを見回した。

彼の顔は険しく、どこか怒りを含んでいた。


「おい、まさか、ギウスレアの背を見るために集まったってか?」


「「「「…………。」」」」


「てめぇら! 帝国の皇太子に負けてなんからんねぇよなぁ!?」


「「「「……ォォ……。」」」」


「指標だと? 馬鹿馬鹿しい! ちげぇだろ、俺らだ、俺らこそが指標だろ! 他の誰でもねぇ。ここはベルガンテ王国、俺らの国だろうが!」


「「「「…ォォォォ…」」」」


言ってることは滅茶苦茶にもほどがある。

ただの勢い、ただのゴリ押し、ただの強制。

怖いものは怖い、それは変わらない。


なのに、どうして胸が熱くなるのか。


恐怖を凌駕する圧倒的カリスマ。


それがマーカス・アランドロ・ベルガー。

それがギウスレア・パラナン・ガレット。


「オオォォ!!」


名もなき騎士は両手を振り上げ雄叫びを上げた。

それを合図に、ゴオォッと大歓声が響き渡る。


「「「マーカス殿下! マーカス殿下!」」」

「「「ギウスレア! ギウスレア!」」」


死の森がなんだ。

厄災級がなんだ。


栄光か? 栄誉か? 栄華か?

何のため? 誰のため? いつのため?

死か? 生か? 勝ちか? 負けか?


分からない。

分からないからこそ悩むのだ。

分からないことが怖ろしい。


納得、覚悟、愛――なければ前に進めない。



だが、それでいい。



縋る過去も、掴む未来も、駆ける今だってない。

臆病者で、情けなくて、弱者なのが自分だ。



だが、

しかし、

あるいは、

それでも、

ここには確かに、



――英雄がいる。



それだけで、いい。


「待っていろ、魔の森の化け物ども。俺らが行く、終わらせに――今度こそだ!」


名もなき騎士は双月に吠えた。


心を生かせ。




【皆さまへ】


コチラの作品を読んで楽しんだら、高評価をしてくださると嬉しいです。


そして、何よりも嬉しいのは作品に対する直接の言葉です。

なので、コメントしてくださるともっともっと嬉しいです。


よろしくお願いします!


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