197話:ダーデキシュ・コールマン
月の光がマーカス邸を照らしている。
元王子のものとは思えない簡素な屋敷であるが、この家を彼が利用することはかなり珍しい。今はもはや、彼の養子になったマリアンネのためだけの屋敷と言っても過言ではないだろう。
そんな屋敷の前に、ダーテキシュは立っていた。
(マーカス様の屋敷、本当に、来てしまってもよかったのだろうか……畏れ多い。)
ことの発端はつい先ほどのこと。
王城の魔導具開発部の研究室にて、研究員そしてヤマモト連合の面々と彼はいた。そこに、ギウスレアと酔っ払ったマーカスが肩を組みながら(ドアを破壊して)現れたのだった。
驚愕したのは言うまでもない。
それ以上に、ダーテキシュは誘拐されたのだ。
(だから、今、俺は、ここにいる。きっと……マリに会ってこい……ということなのだろう。)
静まり返った玄関へと、ダーデキシュは足を進める。
門番も、使用人も、皆が彼を通す。
(マリは魔の森に行く。それは彼女が癒しの力を持っているからじゃない、彼女が行くと決めたから行く。だが、俺はきっと、マリに会ったら――)
――行くな、と言ってしまうかもしれない。
幾度も言葉を選び直す。
どの言葉も喉の奥で止まり、飲み込まれていく。
やがて廊下の突き当たり、灯りの漏れる扉が見えた。
マリアンネの部屋。
まだ心は定まっていない。
しかし、ここまで来て、引き返すわけにもいかない。
ダーテキシュは軽く息を吸い、扉を叩いた。
『は〜い。』
「マリアンネ、俺だ」
『えッ!? ダーデ様!?』
中からガタガタと椅子の音が聞こえる。
しばらく慌ただしい音が続き、小扉が開いた。
「悪い。こんな時間に来て。」
「い、いえ! アタシの部屋に、どどどど、どうぞ!」
「失礼する。」
ダーテキシュがマリアンネの自室に来るのは初めてのことだ。
整ってこそいるが、あまりにも荷物が多い部屋。
雇いの使用人がいなければ、本来は散乱しているのだと想像ができる。
壁際の棚には分厚い魔法書や研究書が並び、机の上には細かい線で埋め尽くされた魔導具の設計図が積まれていた。紙の端には注釈や修正案がびっしりと記され、彼女らしい熱意が漂っている。
(……本当に、スゴイやつだ。)
そう思いながら、ふと視線を別の一角に向けた。
そこには――
精巧に描かれた水彩画。
丁寧に装丁された画集。
読み込まれすぎて角が折れたノート。
どれもこれも――ネルカ、または、ダーデキシュ。
「……これは……?」
思わず呟いた彼に、マリアンネは真っ直ぐな声で答えた。
「師匠の推しグッズです! それと、ダーデ様も!」
声に一切の照れも、冗談めいた響きもない。
誇らしげに、自慢げに、堂々と。
(……俺まで……か。)
彼女の熱意に心の氷が溶かされていく。
自身がどれほどまでに尊敬されているのか、思い知らされる。
マリアンネの心に、報いなければとダーデキシュは反省した。。
(そうだ、魔の森にはネルカが着いていく。それに、ナハス兄上も……なにを心配しようと言うんだ……馬鹿馬鹿しい。俺は、マリの、彼女の強さを見誤っていたのかもしれない。)
マリアンネと目を合わす、彼女は幸せな未来だけを見ている。
不安よりも、覚悟が上回っている。勝つしかないのだ、と。
その姿を目にした瞬間、ダーデキシュは余計な言葉をすべて切り捨てた。
「……ネルカが生きている限り、お前は死なない。」
そして、視線を逸らさず告げる。
「だから、マリ、お前が守るんだ。皆を。頼む。」
マリアンネはドンッと胸を叩き、強く頷いた。
「任せてください!」
余計な言葉も、涙もなかった。
二人の間に流れたのは、ただ確かな決意だけだった。
だからこそ、ダーデキシュは本来の目的を果たすことにした。
「これ…『俺達』で作った…受け取ってくれ。」
「達……ですか?」
「あぁそうだ。俺と、王宮の魔導具部門、そして……ラルシュだ。」
「えっ!? お兄ちゃんも!?」
ダーデキシュは背負っていた布でくるんだ棒状のものを取り出すと、マリアンネに見せつけるように広げる――中から出てきたのは一つの杖だった。
白銀と淡金で装飾された杖。
大きさは1メートルほどだろうか。
表面には全体に細い線が刻まれており、マリアンネはそれが魔石回路だと気付いた。可変式の杖――というところまでは分析できるが、どうしてダーデキシュが持ってきたのかは分からない。状況に応じで変形する武器だとして、マリアンネでは到底扱えるわけでもないのに。
「俺達はこの魔導具を――【黎明】と名付けることにした。」
「黎明…。」
「あぁそうだ。魔導具の、いや、魔力の、新たな歴史を築き上げる杖。そして、聖女マリアンネの夜明けとなるべき杖だ。」
そう言いながら、ダーデキシュは杖を起動した。
彼女の予想通り、杖が変形を始める。
「あれ? え、でも、この魔導具って。」
マリアンネには一つの懸念点があった。
それは、杖自体に魔石回路が刻まれているということは、変形すると同時に回路も崩れてしまうということだ。杖の内部に基板となる回路があるというわけでもない。むしろ、内部のいたるところにも回路が刻まれてすらいる。
だが、彼女はすぐに気付く。
「回路が、別の回路が、できてる!?」
そう、変形した先で、回路が成立するようになっているのだ。
変形する回路など、マリアンネですら思いついたことはない。
魔導具の歴史を覆す――まさに【黎明】という名前にふさわしい。
「それだけじゃない。この回路、見覚えはないか?」
「見覚え…確かに…どこかで。」
回路の配置、何度も見たような気がする。
しかも、最近、ここ数ヶ月の話。
黎明を触るマリアンネ。
ふと、彼女の口から言葉が漏れた。
言語としての音ではなく、設計図としての音。
それはまさしく魔法の詠唱だった。
マリアンネの――魔法。
「ま、まさか、アタシの治癒魔法!? 魔石回路が、魔法陣になっているってことですか!? 内と外だから面積は2倍、立体的構造により魔法の設計図をより緻密に、変形することで式陣が追加されていく……この杖だけで、どれほど短縮が可能か! スゴイです!」
魔法を行使することにおいて、詠唱が一般的とされている。
『音』の中には設計図としての情報が多く含まれているのだ。
だがそれでも――
魔法を使った戦いは、決して主流にならなかった。
設計図に対する学術的知識のハードルが高いという点も間違いなくあるが、それ以上に、詠唱だとしても準備に時間がかかりすぎるという点があるからだ。
詠唱と魔法陣を掛け合わせることも考えられた。
だが、補うだけでも、数十メートル単位の式陣が必要だった。
あまりにも非実用的すぎる。
ゆえに魔法陣は――諦められた分野なのだ。
「黎明は、違う。歴史を、変えるッ!」
魔法陣を――
表裏に組み込めば?
詰め込める情報量は――2倍になる。
平面ではなく立体なら?
詰め込める情報量は――およそ2倍になる。
変形機構なら、どうだ?
詰め込める情報量は――変形の数だけ倍加。
【黎明】に含まれる情報量は――400倍。
マリアンネが短縮できる詠唱は――三分の一。
これだけしても、詠唱の補助にしかならない。
否、
ようやく、魔法陣が、補助として機能する段階に至ったのだ。
どれだけの年数の研究を超えたのだろうか。
それほどのものが【黎明】には詰まっている。
まさしく世紀の大発明。
「それを、アタシのために。」
「あぁ、マリ、お前のためだ。俺とラルシュ、二人の想いがこの魔導具には詰まっている。だから、頼む――皆を守ってくれ。」
マリアンネは【黎明】を受け取った。
彼女の胸を熱くする。
怖気づくことなんてありはしない。
できるかできないかではない――やる。
「アタシに、任せてくださいッ!」
彼女はもう聖女の役割を果たしている。
だが、それでも彼女は――桃色の聖女だった。
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