194話:脱出
力の塊共々に、死神の鎌がアリスを突き刺した。
悲鳴を上げるまでもなく彼女の肉体が崩壊し、百年以上続いた悪夢のような現象は呆気ない最期となったのだった。
ネルカとエルスターは喜びと安堵が混じった表情を浮かべたが、力の塊がポロポロと崩れていくに伴って異空間も崩れていくのを見て、脱出するまで気を抜いてはいけないと思い直す。
ネルカが侵入した時の穴は開いたまま。
「帰るわよ。」
「えぇ、そうですねぇ。」
彼女はエルスターに肩を貸してすぐに歩き出す。
その時――
『ゆ……な…。』
二人の背後から声がした。
一人の声ではない、複数人が同時に発したかのような声。
急ぐネルカの横でエルスターは背後を見た。
『ゆるさない…』
そこに蠢くは、膨大だが朽ちていく魔力の何か。
それは異空間を制御するために肉体と切り離された魂たちだ。
黒魔法でに突かれ、器もなくなり、護る者もなくなった塊。
『ゆるさない…』
それは間違いなく、今から消えゆく魂たち。
だが、憎悪という感情を糧に、悪足掻きを実行しようとしているのだ。彼ら彼女らにできることは、すでに限られている。それでも、無意味な行為だとしても、アリスという少女を踏みにじったことは許さない。
『ゆるさない! アリスは可哀想な子なんだ!』
できることは――異空間と現世とのゲートを開くことだけ。
『お前たちも、道連れだ!』
次の瞬間、ネルカとエルスターの二人は異空間から現世に戻された。
出口はガッベの街――
――の遥か上空。
「「はぁ!?」」
明らかに、近くの山よりも高い。
九十秒もすれば地面に叩きつけられるはず――だが、そんな計算をする余裕などない。ネルカとエルスターの混乱は最高潮に達していた。
胃が振り回される。耳がキンと鳴る。
地面がない。それだけで人間はここまで無力になるのか。
大きなはずの街並みが、箱庭のおもちゃに変わっていく。
人のサイズともなれば、まともに見ることも叶わない。
喉に冷気が突き刺さる。
遅れて知る。そうか、高い場所は寒いのか。
思考が散る。整理できない。
何ひとつ、まとまらない。
「……ッ!?」
すぐに――。
ふっと、足場を失ったように身体が傾いた。
次の瞬間、全身を突き上げる風圧が襲う。
落ちている。
視界が引き伸ばされ、空も大地も線のように流れていく。
数秒もあれば落下は最高速度に達する。
心臓が胸の奥で暴れ、喉が悲鳴を上げた。
声を出しているのかどうかさえ分からない。
ただ確かに分かるのは一つ――。
このままでは、二人の命は潰える。
「ネルカッ!」
「エルッ!」
「黒魔法です! あの日! 団長! ガドラクとの戦いのとき! 飛ばされたとき! やってたでしょう! ローブを! 広げて!」
「ハッ!?」
ネルカは黒衣に魔力を叩き込んだ。
布が膨れ上がり、空気を裂く轟音と共に広がる。
急な減速。
臓器が悲鳴を上げる。
「くっ……! これ、ならッ!」
一瞬、助かるかと思った。
だが、この世界にパラシュートなどという概念は存在しない。
理想の形を知るはずもなく、ただ力ずくで膨らませただけ。
速度は確かに落ちた――だが、せいぜい半分。
地面までの猶予は、未だに絶望的である。
「げ、減速が……間に合わないッ!」
(木に? 水に? なら、まだ……! 身体強化と魔力膜で――最悪でも!
でも……エルは負傷してる。私だけ助かっても、意味ない……! エルが……エルが死んじゃう!)
風景が目に迫る。
街並みの奥に、わずかに光る水面――貯水池。
助かる保証などない。
いや、そもそも狙えるかどうかすら怪しい。
それでも――やるしかない。
ネルカは黒衣を強引に変形させた。
傾いた身体が、ほんの少しだけ横へ逸れ――た気がした。
本当に方向転換できているのか。
それすら、今は確かめる暇もない。
「ぐ、ぐぬぬぬ!」
(これじゃ、やっぱり、ムリ!!)
その時――
「ふはっは〜!」
二人は声を聞いた。
聞き覚えのある高笑い。
「「この声は、まさか!」」
視界に飛び込む金色の剛毛。
まるで世界の中心がそこにあるかのような存在感。
「ふはっは~! この俺が! 助けてやろう!」
「「ギウスレア殿下ッ!?」」
次の瞬間、暴風が吹き荒れた。
突き上げる風に身体が持ち上がり、呼吸が詰まる。
落下の速度が――削がれていく!
(まさか……殿下が、風を!?)
ギウスレアの呪具は推進の魔法。
本来は己を押し出すためのものだが、その力を外へ解放すれば――暴風と化す。魔力消費が激しすぎるため普段は決して使わぬ技。だが今は――。
「友を死なすものかァ!」
暴風で速度は削がれた。
だが――それでもまだ完全には止まらない。
「でも、この速度なら!可能性はあるわ!」
ネルカは瞬時に黒衣を膨らませる。
膨らませ、膨らませ、とにかく膨らませ。
まるで、ゴム玉のように――。
ドンッ!
大地に叩きつけられ――ボヨンッ!
全身が跳ね上がる。
「「うわああぁぁ!」」
跳ねた黒魔法の塊が落ち、二度目の衝撃。
視界が上下にひしゃげる。
それでも、地面に叩き潰されるよりは遥かにマシだった。
そして――三度目の落下。
ザバァァァッ!
向かっていた貯水池に、水柱を上げて突っ込む二人。
ゴム玉と化した黒魔法が、ぷかぷかと平和げに浮かぶ。
水飛沫の中で、互いの顔を見合わせ――。
「「……生きてる!」」
水面に浮かびながら、同時に叫んだ。
生きている。
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