193話:アリス オブ ワンダーランド⑩
お待たせしました。
投稿再開します。
魂はバックアップデータに過ぎない。
そこに『意志』はあれど『意識』は存在しない。
だからこそ、アリスたちには器が必要なのだ。
意志を意識へと変換する器が必要。
そこで彼らがたどり着いたのは、魔力の肉体であった。
それは血も神経も肉もなく、魔力さえあればいくらでも再生する。
ゆえに、物理的な手段を以て、アリスたちを殺すことはできない。
――黒魔法を除いて。
『ア、リ…ス…。』
黒魔法の鎌によって切断されたアリスの父親は、魔力の肉体ゆえに消滅していくが、それでも最期まで娘を愛し続けた。だからこそ、最後で最期の命令として、白塗人間たちを一斉にネルカに対して襲わせるのだった。あの漆黒の鎌は自分たちを殺せるのかもしれないが、対応できないほどの数で圧し潰せばいい。
だが、アリスの父親はその結末を知ることなく消えることになる。
黒衣に触れただけで白塗人間は消滅していく、という結末を。
魔力で形成された異空間では、ネルカは無敵である。
「あっ、あの! エ、エルお兄さんを…助けてッ!」
そんな無敵の存在に希望を見出したマエロは、ネルカに縋りついて恩人の助命を乞う。ネルカは少女に柔らかく微笑むと、その体を押して空いた穴の向こう側に控えている騎士へと渡す。そして、磔にされているエルスターを見るのだった。
「エル!迎えに来たわよ!」
「えぇ、私も会いたかったですからねぇ。迎えに来てもらえるよう、機転を利かせられて幸いですとも。」
死神が一歩を踏み出した。
たったそれだけの行動がアリスの母親の神経を刺激し、もはや屋敷の原型がなくなるほどの物量で、押し潰さんと異空間を操作する。しかし、やはり、当然に、必然的に、すべてはただネルカが鎌を振るうだけで霧散と化してしまう。
彼女が三度目の鎌を振るう。
エルスターが解放された。
「さて、エルを助けたなら……次は……。」
ネルカの目は再びアリスへと向けられた。
しかし、その目は憎悪や嫌悪ではなかった。
例えばまるで目の前を飛ぶ羽虫を追い払うかのように、『感情』とすら呼べないような本能的な不快感によってもたらされたもの。善も悪も意識するまでもなく、害だから潰す。
「ア、アリスは、娘は、可哀想な子なのよ!」
次の瞬間、アリスの母親は死神の刃に掛った。
「きゃぁぁぁッ! ママぁぁぁッ!」
父は死んだ。母も死んだ。友も死んだ。
すべてをたった一人の女性によって破壊された。
これにより、自身を認めてくれる人がこの世界から消え失せたのだと、アリスは理解したのだった。もちろんとして、次は自分の番であるということも十分に理解だってしている。だけれども、芽生えた感情は悲しみや恐怖というものよりも、可哀想であるはずの自分に危害を加えようという、非人道的かつ差別的かつ無慈悲かつ傲慢的な行動に対する【正義感】。
「許さない…。」
その言葉は誰に向けられた言葉か。
「許さない…。」
その言葉は誰のための言葉か。
「許さない…。」
その言葉は誰が発した言葉か。
「許さないッ!!」
アリスがそう叫んだ瞬間、彼女の体が白く発光した。次の瞬間にはネルカとエルスターの心は、穏やかなものへと強制的にさせられてしまっていた。だが、二人はこの感覚を今まで二度だけ経験したことがある。一回目は金色の少女と初めて相対した時。二回目はベルガンテ祭において桃色の少女が覚醒した時である。
もしも、同じらば、意味することはつまり、アリスは――
(やはり! アリスは…聖女ッ!)
痛む傷を堪えて、エルスターはネルカへと駆け寄った。ズァーレに鎌の刃が届かなかったように、マリアンネの修復の力が彼女を助けたように――聖女の力は黒魔法では打ち消されないからだ。
「彼女の髪の色は……白!」
白色の聖女は――破壊の運命に対し、周囲と結束して立ち向かう。
人々は彼女の意志の元に集まり、何度でも奮起して戦う。
そういった精神的支柱になる力、そうエルスターは聞いている。
だが、アリスはまだ幼すぎる。
意志を合わすには、無垢で無知で我儘すぎるのだ。
今、この場で、覚醒したということは、アリスの力は元々に弱いものだったと推測される。つまり、アリスの両親や使用人たちは感情の促進こそさせられど、彼女を愛していたことは本物だったのだろう。
しかし、そんな推理は今はどうでもいい。
解決しなければならないのは、現状で――
「ぐっ、こ、これは……くそっ…ネルカ!」
エルスターはアリスの正体について心当たりがあった。
だからこそ、精神的に備えることができていた。
おかげで、一瞬だけ動きが遅くなる程度で済んでいる。
だが、ネルカはできていない。
基本的に、黒魔法があるから油断しているのだ。
完全にその場に立ち止まってしまう。
そして――
――植え付けられた意志が彼女の邪魔をさせまいと奮起する。
――アリスを守るため、ネルカは自死を選択。
――生存活動の拒否、心臓は止まった。
生きるということは本能であるから、いくら自死をしたいと願ってもなかなかできないものである。実行するためには、刹那的で絶望的で空白的な決意のもとで、二度と引き返せない段階へと入る必要があるのだ。だから、本来なら、簡単に引き返すことのできる方法で自死をすることなどできやしない。
はずなのに、ネルカの生命活動は終わろうとしている。
心臓を、肺を動かすだけで引き返せるのに、自死しようとしている。
これが聖女の力、本能をも凌駕させる強制力。
「ネルカ! ネルカ! ネルカ!」
黒魔法は解除され、その目は虚空を見つめている。
倒れ込んだ体を抱きとめたエルスターは、冷たくなっていく肌に恐れを抱いた。人間が心臓を止めても生き残れる時間など、この世界ではあずかり知らぬこと。だが、すぐにでもネルカを回復させなければならないという結論だけは、誰だって思い至ることだ。
(考えろ、考えるのです、エルスター・マクラン! 私にできることは、考えることだけでしょう! 何とかして、この洗脳からネルカを解放させなくてはッ!)
聖女の力を解除をするには何が必要か。
説得? アリスの性格を考えると無理。
殺害? 黒魔法でなくては無理。
なら、ネルカをどうにかするしかない。
精神にかかる力。同じほどの精神的衝撃を与える?
何だ?自死を選択するほどの意識を、塗り替えれることとは?
アリスを守ることよりも、優先になることは、何だ?
自分なら? 殿下。
ネルカにとっては?
マリアンネやエレナか?
だが、ここにはいない。
いや、いる。
一人だけ、いるではないか。
エルスターにとって殿下に匹敵する大事な人が。
それは――
ネルカだ。
もしも、ネルカもまた自分と同じ気持ちなら――
「失礼します!」
エルスターはネルカの唇に顔を寄せた。
唇と唇を合わす、まさしく接吻、あるいはキス。
眠る御姫様を起こすための、異世界でも通用する魔法の行為。
もしも、ネルカもまた自分と同じなら――『愛』で生きたいと思ってくれる。
お願いだ、思ってくれ。
生きてくれ。
そして、両想いだと証明してくれ。
ガシィッ!
次の瞬間、エルスターの頭が掴まれたのだった。
強い力で引き寄せられていく、そう、ネルカの方へと。
合わした唇を押しのけて、柔らかいものが口内へと入り込む。
熱い、生を感じる、熱い、想いを感じる、熱い、悦びを感じる。
「貸しよ。」
黒衣を展開しながら、ネルカは照れ隠しとしてアリスへと向き直った。生き永らえたことよりも、こうすれば生き永らえてくれるはずと思ってくれたことがあまりにも嬉しすぎる。大鎌を肩に担ぐ後ろ姿を見ながら、エルスターは弾む声でその背に言葉を投げかけるのだった。
「愛情サービスで今なら無料です。」
「あら、期限切れになる前にいっぱい使わなくちゃ。」
「それがなんと、来世まで保証付き。」
黒衣のマスクの下で、ネルカはフッと笑った。
「理想のプロポーズね。」
次の瞬間、彼女は跳躍した。
今まで生きてきた中でここまで体が軽かったことなんてない、死神の女は一瞬にしてアリスへと近接してみせたのだった。驚愕する幼き少女の姿はその目には映っておらず、ただただ排除するだけとしての存在が映っている。
「あ……えっ…?」
アリスは恐怖した。
自分を視野に入れない、理不尽な死の来訪に恐怖した。
ダメ、そんな目で殺さないで、私を見てから殺して。
この女に殺されてしまえば、自分の死の恐怖は魂にこびりついてしまう。
死んだあとどうなるかなんて誰にも分からないことなのだが、想像力豊かな幼子にそう思わさせる何かがネルカにはあった。きっと永遠に、無限に、いつまでも死の恐怖を抱き続けるに違いない。
『死よりも恐ろしい死』がやって来る。
アリスにとって――人生初の不幸は、ネルカに出会ったこと。
アリスにとって――人生初の恐怖は、ネルカに殺されること。
アリスにとって――人生初の謝罪は、ネルカに謝ること。
これらはすべて人生初であり、人生最後でもあること。
「ごめん…な…さい……だから、許し――――」
死神の鎌が、アリスの心臓に突き刺さった。
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