183話:アリス オブ ワンダーランド①
白色で塗りつぶされた異空間。
そのある一角では球体が浮いていた。
正確には複数の区画が合わさって、球体のように見えるだけである。そんな特別な土地の中身はと言うと、他のような整った街並みがあるというわけでは決してなく、同一形状の屋敷がツギハギに繋がっていて埋め尽くされていた。
外から見れば地面に対して折れ曲がった廊下も、中から見ればただ平面に折れ曲がっただけの廊下。ねじ曲がったり、多角面の床となっている部屋だってあるが、いずれも床が地面の方向である。まともな重力の基盤なんて存在しない、狂いに狂った空間と化していた。
超巨大で方向感覚が狂った迷路屋敷。
「ここ、どこぉ…? ママぁ…。」
そんな屋敷の中、宛てもなく彷徨う幼い少女がいた。
彼女の名前はマエロ、神隠しの一般人被害者である。
ふと見た窓の奥では、垂直にねじれた台所らしき部屋を白塗人間が徘徊しており、マエロはとっさに屈んで見られないようにするのだった。這いの姿勢で近くの扉を開いたが、扉の先も廊下が続いている。
だが、開いた扉の廊下には、一体の白塗り人間がいた。
彼女を発見した白塗人間は、捕まえるために駆け出した。
「ヒィ…ッ!?」
とっさに扉を閉めたものの、腰を抜かしてしまったため尻もちの状態でしか動けない。それでもマエロは必死に逃げようとするが、白塗人間の走る速度を考えればあってないような行動である。
バンッと音を立てて白塗人間が扉を開ける。
その直前に――
「きゃっ!」
扉の隣にある開けっ放しの部屋から、ニュッと手が伸びてマエロを掴まえたのだった。そのまま部屋へと彼女を引きずり込むと、手の主はマエロが大きな声を挙げないように自身の腕を噛ませる。その者は廊下からの死角となる位置で、背を壁に着ける。
そして、耳元で「シィ~、静かに。」と囁くのであった。
若い男の声だが、マエロは従うことに決めた。
コクリと頷いた彼女は腕を噛んでいる口を緩め、少しの息の音でも漏れないようにと自身の手で口と鼻を塞いだ。すぐ近くから扉を開ける音と、「お嬢……友………すために…」という声がマエロの耳に届く。
ドッドッドッ――自分の心臓がうるさい。
ドッドッドッ――男の心臓もうるさい。
この二つの音が白塗人間に聞こえてしまうのではないか、静かにしなければならないと思えば思うほど、マエロの心臓は音を大きくしていく。恐怖に対する反応が、彼女の肌をチョロリと伝わった。
ドッドッドッ――彼女の不安とは裏腹に、走る足音が遠ざかっていく。
「行きました、か。」
マエロは安堵から全身の力が抜け、助けてもらった男に寄りかかる。男はどう反応すればいいのか分からず困っているようで、手をパッと放すと空でワタワタと迷わすのだった。彼女は体をねじって男の顔を見た。
「おじさん、たすけてくれて、その、ありがとう。」
「私はおじさんではなく、お兄さんです。」
「…………お兄さん、ありがとう。」
「どういたしまして。」
後ろで括った黒髪が揺れ、細い眼は少女を見定める。
彼女を助けた男の正体は――エルスターだった。
エルスターはあらためて少女の顔を見るが、どこかで見かけたような記憶のひっかかりを感じた。そして、しばらくして「おや?」とつぶやくと、既視感の正体に思い至る。神隠しに遭遇する以前に見かけた、泣いていた女性の面影と重なるのだ。
「あぁ、君が、手を繋いでいたのに消えたという娘ですか。」
「…ッ!? もしかして、ママが! ママは!」
「あなたのお母さんは無事ですよ。むしろ危険なのはこちら側。」
「ママに…会い、たい…よぅ…グスッ…。」
安心させるための言葉なのに、泣かせてしまう。
子供というのは思考も感情も未発達であるため、エルスターのようなタイプから見たら予測不能。だからこそ彼は子供という存在に対して苦手意識を抱いており、今だってかけるべき言葉が見つからずうろたえてしまうのだった。
(困りましたねぇ。どうしたらいいでしょうか……ふむ、あぁ…そうです…子供に好かれやすい人の思考をなぞればいいかもしれません。私の周りで子供に好かれやすい人と言えば………ネルカとトムスですか。)
あの二人なら何を言うだろうか。
片や惚れた女、片や幼馴染、よく知っている。
だからこそ背筋を伸ばし、笑みを浮かべる。
「会えますよ。いえ、会わせます。」
不器用なエルスターではネルカのように自身に満ち溢れていないし、トムスのように心の底からの表情は作れやしない。だが、それでも彼が自身のために何かをしようとしてくれていることは、マエロには理解できたのだった。
絶望に満ちた心を照らす――英雄のような眩しさはない。
閉じた蕾を咲かす――太陽のような眩しさもない。
それでも彼女は、エルスターを見て目を細めた。
「本当に? できるの?」
「当然、できますよ。なぜならば――」
エルスターは立ち上がると、マエロに手を差し伸べる。
彼女はその手をジッと見つめたが、ギュッと口を一文字に結ぶと、覚悟を決めてその手を握った。努力の証拠であるマメのできた硬い手のはずが、彼女には非常に柔らかいものであるかのよう感じられた。
その様子に、エルスターはニヤリと笑う。
「私は王宮騎士団第零部隊、エルスター・マクランですから。」
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