176話:(回想①)未来が視える男の、見えない未来
ベルディゾは物心ついた頃には、すでに未来が視えていた。
おそらく、産まれたときから未来が視えていたのであろう。
実質的に二つの視界を理解しなければならないながらも、彼にとって未来が視えるということは当然の事であり、常識であり普通であり日常のこと。ゆえに、第三者からしてみれば、ベルティゾは他者と変わらぬ少年だった。
彼は常に魔法が発動してしまっているため、魔力を消耗しながら生きている。だが、マーカスと同様に魔力を濾過することができたので、魔力切れになったことは一度もなかった。それどころか、彼は身体強化や魔力膜なども使えたため、大人顔負けの強い少年として育ったのだった。
もちろん、彼は意識して濾過ができるようになったわけではない。
もちろん、彼は意識して魔力を使用できるようになったわけではない。
動物が心臓の動かし方を学習しないのと同じように、ベルディゾはただ単にそういう存在としてこの世に生まれただけである。生存のために必要だったから本能的に身についたもので、彼にとってそれらは『技術』ではなく『生理現象』にすぎない。
――生物の進化などそんなものだ。
― ― ― ― ― ―
そんなベルティゾだが、基本的な部分は本当にただの人だった。
むしろ、物覚えが悪く、手先も不器用なため、不出来な子でさえあった。
奴隷の息子として生まれたベルディゾであったが、母親は不清潔な環境が理由で病死し、父親は心当たりがありすぎて誰も知らないということもあって、幼少と言える歳の頃から独りぼっちだった。そんなことも含めて、すべてが彼の日常であったため、怒りも悲しみ寂しさも存在などしていなかった。
頑丈で力持ち、ガタイも良い――だけど、虚無の少年。
奴隷としての主は、彼のことを『すっからかん』と呼んでいた。
そんなある日のことだった――
「おい、すっからかん! こちとらタダメシを与えてやってるわけじゃねぇんだよ! なぁ、分かってるよな? 誰のおかげで生きてこられてんのか、よく分かってんだよな! だったら調子にのんじゃねぇぞ、テメェは奴隷のすっからかんなんだからよぉ!」
「はい……。」
夜中、彼は主に怒鳴られていた。
事の発端は、橋造り事業の手伝いである。
というのも、領主主導で隣領と最短の道を作るという計画が出ており、人数が必要だからと呼びかけがあったとのことだった。彼の主の一家は紡績業しかおこなっていなかったため専門外だが、領主とのコネが作れるかもしれないとベルディゾを派遣したのだった。
しかし、彼はすっからかんの力持ち。
すっからかんだからこそ、現場では重宝された。
確かに技術はないし、物覚えも悪い。
だから、細かい部分は任せられない。
でも、それだけが仕事というわけではないのだ。
どんな雑用でも、どんな苦行でも、すっからかんだからこそやれる。
メインどころかサブですらない、だが必要とされる仕事があるのだ。
嫌な顔一つもせずに、どんな手伝いもできる。
彼は気付けば愛され坊やに――
――ということが彼の主は気に入らなかった。
自分たちの事業では役立たずなのはどうしてだ。
何もかもが劣った人間が評価されるのはおかしい。
あれは奴隷で、俺が主、称賛を受けるのは俺のはずだろ。
(許さねぇ、とっちめてやる!)
真夜中の時間に、主はベルディゾを呼び出した。
そして、今に至る。
「はい、じゃねぇんだよグズが。もっとさぁ、言うべきことがあんだろ。分かんねぇか? そうだよな、分かんねぇよな、無教養でノロマなゴミでカスなすっからかんだもんな! テメェはよぉ、唯一できる仕事が力仕事、だから良いように使われているだけだ、勘違いすんじゃねぇぞ!」
「………はぁ。」
「テメェの死んだ母親だっていっしょだ。何もできねぇボンヤリした女で、ただ腰を動かして男を悦ばせることだけは上手だった! いんや、女性も悦ばせるのが上手だったと、お客様から賞賛を受けたことがあったな……まぁ、それは話の脱線だ、どうでもいい。……それだけ、それだけが存在価値だった! じゃあ、テメェはどうだ、すっからかん! いっしょだ! 頑丈で力持ち、それしかねぇ、だったらそれだけを糧に生きるんだな!」
「はい。」
「~~~ッ! クソッ! その顔が腹が立つ! もっと悔しいとか、憎いだとか、そういう感情はねぇのかよテメェはよぉ! テメェの母親だって、いろんな表情を見せてくれたってのによぉ! あぁ、イライラするぅ、イライラするぅ…ッ! …このすっからかん野郎が!」
ベルディゾの主は近くに置いてあった包丁を掴んだ。
そして、怒りのままにベルディゾへと突き出したのだった。
だが、ベルディゾは避けなかった。
避けれなかったではなく、避けなかった。
だって、彼の未来視に映っていたのは――。
ガキンッ!
ベルディゾの魔力膜に包丁が弾かれる景色だったからだ。
主は勢いにたまらず手から包丁を離してしまう。
その切っ先はクルクルと落下し、彼の右腿に刺さってしまうのだった。
「ぎゃぁぁぁぁぁ! イテェ! イテェよ!」
「え?」
その光景にベルディゾは唖然とした。
彼がそうであったように、あの程度ではナイフが刺さるわけがないはず。それに未来が視えていれば避けれたことだ。彼は幸か不幸かあまり人が傷つくところを見たことがなく、あったとしても幼少の者ばかりだった。そのため、彼の認識での『普通な人』が他とは違っていたのだ。
(俺『が』人とは違うのか…?)
このとき、ベルディゾは自分が特別であると知ってしまった。
他の人は未来が視えないのだと、彼は初めて知った。
他の人はみなぎる力を扱えないのだと、彼は初めて知った。
「ほう?」
何もなかった彼の心に、何かの感情が生まれた瞬間だった。
理由も、名前も分からない感情だったが、良い方面ということだけは確か。
すっからかんな男は、その感情を得続けるために生きようと誓った。
自身が特別であるという自覚だけが、彼の心を満たした。
「そうか、そうなのか、そうだったのか。」
「おい、すっからかん! 突っ立ってねぇで、包帯なりなんなり持ってこい! クソッ! これだらすっからかんなんだよ、テメェはよぉ!」
「………うるさい。俺は特別なんだぞ?」
ベルディゾは男の顎を蹴り飛ばした。
一撃で顎骨が粉砕される。
そして、頭を掴むと、壁に叩きつける。
彼は右手に感じるヌルリとした感触に目を細めると、適当にそこらへんに捨てたあとに部屋から出るのだった。外は満月、肌寒い、だがなにもかもがベルディゾを祝福しているかのようだった。
その感情の名前を彼は知らない。
だが、自身の命よりも、大切な感情だった。
― ― ― ― ― ―
奴隷としての道を捨てたベルディゾは自由だった。
だが、彼は自由になったことよりも、自身が特別であるということに縛られることの方が、より一層の喜びとなってしまっていた。そして、彼の特別性を示すことにおいて、もっとも手っ取り早いことは――戦うことだ。だから、彼は戦い続ける人生を選択した。
戦って――
戦って戦って――
戦って戦って戦って――
勝ち続けた。
彼は自身の国すらも捨て、修練と戦いの日々に明け暮れたのだった。学も無く、師もないが、すっからかんゆえに経験を吸収し続け、すっからかんゆえに心が揺らぐことなどない。彼は止まらない、止まれられない。
奴隷を抜け出して十年が経過。
齢二十五にして――ベルディゾは『武神』と呼ばれるようになっていた。
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