168話:賑わう街中、すれ違う人々
裏の事情などお構いなく、人々は生活を続ける。
関所が開いたばかりの朝の時間、しかも曇り空だというのにも関わらず、ガッベの街はすでに人が多い。そんな中でも、ネルカたちの目的地である酒場は街の商業地区にあるため、近づくにつれて朝市でさらに賑わいが増していく。
南を見れば港町ケイネスへと続く道、西を見れば王都へ続く道、東を見ればクカン王国へと続く道――しかも三本の道は上下の起伏なく繋がっている――立地条件としてはちょうど良い街なのだ。
「いろんな地方の奴らがいるな。チッ…仮面の男はともかく、神隠しを追っかけてる集団を見つけるのは困難か。早く部下に会って、人相を聞き出さなきゃならねぇな。」
「それまでは、エル、あなたの観察眼が頼りよ。」
「私が得意なのは『才能を見ること』と『思考の先回り』です。表情やしぐさから感情を読み取ったりは我が父の方の領分ですので、私に期待はしないでください。」
三人は街の騎士から案内を受けているため、人々はさすがに避けてくれており、彼らの移動には一切の問題はない。しかし、だからと言って人探しが楽になるというわけでもなく、仮にマーカスの部下に会って情報を手に入れたとして、その後はどうしようかと三人は悩んでいた。
「ん?」
その時だった。
彼女たちの斜め前を歩く青年が、周囲をキョロキョロと見まして挙動方針だったのだ。そして、反対からこちら側へと恰幅の良い男が近づいてくる。そんな二人をネルカはジッと見ていた。
二人が近づき――すれ違う。
その瞬間。
ネルカが恰幅の良い男の腕を掴んだ。
「「ッ!?」」
男の手は青年の肩に掛けてある鞄に突っ込まれており、彼女がゆっくりと手を持ち上げると、そこには財布が掴まれていた。ネルカは男の口を黒魔法で塞ぐと、そのままズルズルと路地裏へと引っ張って行った。
「なぁんだ。ただのスリだったじゃないの。」
「身なりを良くして警戒心を解く、今流行りのスリの手口です。」
残念そうに口を開いたネルカに、案内役のうちの一人の騎士が答えた。そして、興味を失くした彼女は騎士にスリの男を投げ渡し、何度もお礼を言う青年に雑に応えるとその場を収めるのだった。
「悪者探しは…どちらかと言えば、ネルカの方が得意では?」
ジト目でエルスターが見つめる。
だが、ネルカは飄々と肩をすくめて答えた。
「残念ね、エル、私は行動されないと判別できないの。」
「ですが、先ほどのスリは早い段階で気付いていたでしょう。」
「どれだけ息をひそめても、どれだけ演技をしても、行動する直前には確実に『気配』が発生する…私はそこの読み取りが上手いだけよ。まぁ、さっきの男はその『気配』が駄々洩れ、三流のスリだったけどね。」
「ふむ、なるほど。」
「ケッ、まるで獣だな。」
警戒して損したと、路地裏からそれぞれは出る。
スリが現れて捕獲されたなど露も気付けない街民たちへと、ネルカたちは再びに溶け込むのだった。あんなスリの小物に時間を取られている場合などではないのだ。
自然と足は早足になる。
自然と目はせわしなく周囲を見渡す。
自然と警戒心は悪意へと向けられる。
だからだろうか、前からこちら側に歩いて来る鍔の広い帽子をかぶった女性を、存在自体は認知しておきながら、足取りがフラフラとしていることには気づけなかった。そして、他の人にするのと同じように避けようとすると、エルスターが女性にぶつかってしまったのだった。
「おぉっと。申し訳ございません。」
「キャッ!」
彼は自身の胸で女性を支えると、謝罪の言葉を口にする。
今度は、ネルカの身体はまったく反応できていなかった。
「ほら、敵意がない行動には反応できないでしょ?」
「確かに。」
なぜかドヤ顔を向けるネルカに、エルスターは女性を支えていることを忘れて笑った。しかし、ぎゅむっとした感触に女性の存在を思い出した彼は、慌てて肩に手を置いて引き離したのだった。
慌てた理由は一つ――ぎゅむっとした感触の正体だ。
そう、女性の胸が押し当てられていたのだ、
それはもうかなり豊満な胸が押し当てられていた。
しかも、ネルカの視界の中での出来事だ。
「ちょっと? 私の『彼』なんだけど?」
取り繕うこともない、曝け出しの感情。
獲物を横取りされまいとする獣の本能。
当の本人であるエルスターでさえ、一瞬だけ『死』という言葉が脳裏に浮かぶほどである。幸いなことに、あまりにも過ぎた圧ゆえ、一般人の生存本能が『何もなかったことにする』という選択を取ったため、見かけ上としては街は変わらずの時間が流れていた。
そんな中、真っ先に対応したのはマーカスだった。
彼は女性を抱き寄せると、ネルカを睨んだのだった。
「おいバカ! 相手はただの一般人だぞ! 本当に獣になるなよ!」
「ハッ! え、えぇ、そうだったわ。つい、嫉妬心が暴走して…。」
「なるほどこれがヤキモチを焼かせるという感覚…背筋がゾクリとするものなのですねぇ。しかしまぁ、二度は受けたくはありませんが、婚約者冥利に尽きるというものでもありましたよ。」
「お前らは互いに互いの手綱を握っとけ。ったくよぉ…。」
人ごみの中だというのに二人の世界に入ったネルカとエルスターを横に、マーカスは少し屈んで女性の顔を覗き込むのだった。丸みのある顔立ちながら整っており、ぷっくりとした唇も含めて妖艶な女性だった。
彼女はマーカスと目が合うと、頬を赤らめながらホウッと表情を崩した。
「大丈夫か? ケガはねぇか?」
「あ、ありがとうございますゥ。」
言葉に訛りがある。
大陸の西側の特徴だ。
視界の奥では屈強な男たちが女性に対し心配そうに近づいており、彼らが護衛の役であることは明白だった。ならば、良いところの商人あたりの娘なのであろう。
(死神女に絡まれて、可哀想になぁ。)
同情しながらも女性を護衛たちに渡す。
去っていく後ろ姿を見ながら、マーカスは溜息を吐いた。
チラリと横を見ると、未だにイチャイチャする二人。
もう一度、溜息を吐くのだった。
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