164話:静かなる、夜の港町
ベルガンテ王国の南端部に位置する港町ケイネス。
船による貿易を主体とした商人の町で、その中でも一際に大きな建物がある。ちょっとした山を背にしたその建物は、ここ数年のうちに成り上がった商会のもので、ケイネスに住む者たちが最も恐れている商会だ。
――商会長ハラデル・ワモルノ。
側妃の勢力に対し武器の提供を主とし、時には人材の派遣などもおこなうことで大富豪の仲間入りを果たしたハラデル。血の夜会事件によってアランドロ家は潰されてしまったが、仲介役であった伯爵家が粛清から逃れたり、未だに側妃個人とは取引を行っていることもあって、彼はケイネスの覇者として君臨し続けていた。
そんなハラデルは、今――
「ゼェ…ハァ…なぜ、ワシが、こんな目に…。」
地下通路を使って逃亡していた。
そもそもの話として、彼の仲介役である伯爵家というのが王宮勤めの貴族で、しかも王宮騎士団やほとんど王国内騎士団の動きを把握できる立場だった。だからこそ、どれほど危険な橋を渡る商売だったとしても、常に先手を取って行動することができ捕まらなかったのだ。
なのに――逃亡を余儀なくされている。
屋敷が何者かによって襲撃されたのだ。
(なんなのだ! あのスキンヘッドの集団は!? 急にワシの屋敷に襲撃したかと思えば、護衛どもを薙ぎ払っていく! 知らぬぞ! ワシはあんな奴ら、聞いたこともないぞ!)
王国の騎士たちが現在【魔の森】に焦点を当てており、他の業務に手が回っていないことは、伯爵家からの報告によって理解している。仮にそんな大々的な動きに隠れていたとしても、ハラデルの元へと結論が辿り着くにしてはあまりにも早すぎる。
例の伯爵家が知らないとなれば、別組織か?
いくら考えても答えは分からない。
今はただ、逃げることだけを考えるしかない。
(この通路は裏山の洞窟、そして海に繋がっておる。船で逃げてしまえば、ワシの勝ちじゃ。必ず、調べ上げ、ワシを襲った奴らに報復してやる! 伯爵からリーネット様に頼めば、あの黒血鎧が出向き、奴らもそれでおしまいじゃ!)
洞窟の終点が見えてきた。
月明かりの奥には海と舟が見える。
ハラデルは思わず笑みを浮かべた。
だが――
「本当に来やがった、お前の予測は相変わらず恐ろしいな。」
「人の思考をなぞるのは、私の特技ですからねぇ。」
二人の男が立ちはだかった。
銀髪マンバンヘアの男と、黒髪細眼の男だ。
たった二人の若造なれど、ハラデルは自身が捕食される側に陥ったのだと感じてしまった。獅子に睨まれるとは――蛇に睨まれるとは――まさしく今の状態なのだと彼は思い知ったのだった。
「あー、ハラデル・ワモルノだったか? 降伏して、知ってること全部話してくれさえすれば、多少は罰も軽くなるんじゃねぇかな。別にアンタから聞かなくても、こちとら調べのアテはあるけど……まっ、楽に越したことはねぇ。」
「ぐぬぬぬぬ!」
思わず後ずさるハラデルに、足掻きの意思を汲み取った二人はズンズンと歩き近づいていく。
しかし、数歩下がると、ドンッと背がぶつかる。初めこそかべにがあったのかと焦った彼だったが、頭上からの声に彼は違うと気付いた。
「雇い主、勝手に、一人行くな。」
2メートルを越える長身と筋肉ダルマが立っている。
金棒を肩に担ぎながら、ハラデルを押しのけて前へと進んだ。
雇っていた護衛の到着に、彼は安堵から頬を引くつかせた。
「お、おお! 来たか! ゾディスよ!」
「ふんっ。オデが、そいつ、殺す。」
すると、黒髪細目の男が立ち止まり、銀髪だけが前に出る。
ゾディスとの距離が縮まり、ついには金棒の届く距離までに。
(ククク…大枚を叩くことになってしまったが、こちらには用心棒として【肉塊のゾディス】を雇っている! そうだ、何を心配する必要がある……裏社会でも有名な壊し屋が、ワシの味方に付いているんだ!)
ゾディスが金棒を上段に振りかぶり、対する銀髪の男は素手のまま手を突き出した。避けるでも、迎え撃つわけでもなく、ただ立って受ける準備をするだけだ。しかし、ゾディスは魔力を昂らせている、それこそ戦闘とは無縁のハラデルが感知できるほどの魔力量、攻撃を受けれるはずなどありえない。
「行け! 【肉塊のゾディス】よ! 敵をミンチにしてしまえ!」
次の瞬間、金棒が振り下ろされた。
ドンッという大きな音と共に、辺り一帯が土煙で覆われる。ハラデルはほくそ笑みながら、次に視界が晴れたとき、血だまりがそこに生じていることを想像していた。
しかし、彼の期待は裏切られることになる。
土煙が収まった景色は、無傷の銀髪の男だった。
「う、嘘だ……オデの攻撃を…ッ!?」
魔力の量とは戦いにおける正義だ。
そして、ゾディスは魔力が多い部類に入る。
少なくとも通り名が付けられるほどには、彼は強いのだ。
それなのに、相手は無傷だ。
さすがに気張ってこそいるが、それでも無傷だ。
絶望的――ただその言葉だけが思考を埋める。
「ヒ、ヒィ!」
護衛の負けを悟ったハラデルは逃亡を再開。
通路横の細い道へと走って行った。
「チッ…逃がすかよ!」
銀髪の男は金棒を奪って捨てると、ゾディスの腹と顎に拳をお見舞いし、最後に足払いによりダウンを取る。倒れる巨体を無視して、すぐにハラデルを追おうと細道へと駆け出したが、通路の奥が三又になっていることを確認すると、舌打ちをして苛立ち交じりに壁を蹴った。
すると、彼の肩に背後から手を置かれた。
もう一人の、黒髪細目の男だ。
「大丈夫ですよ、部隊長殿。」
「あぁ?」
「この展開も想定内。【鴉】と【猟犬】を送り込んでいますので。」
黒髪の男――エルスターが笑った。
そして、銀髪の男――マーカスも笑うのだった。
― ― ― ― ― ―
「ハァ…ハァ…役立たずの護衛めが、クソッ!」
地上の町へと逃げたハラデルが今度に向かう先は、港町の中でも船が多く留まっている地帯だった。自身の部下などは町の至る所におり、きっとまだ襲撃者にバレていない者の方が多いのかもしれないが、彼は全てを見捨てて海の外へと逃げるつもりだった。
しかし、ようやく商会の貿易船に辿り着いた彼は「おいお前ら、とっととずらかるぞ!」と叫んだが、返事が一切なくただ波の音がするだけだった。地下通路での一件を思い出した彼は、(まさか…また…。)という不安に駆られながらも、船へと乗り込んだ。
「お、おーい、誰か、おらぬのか…?」
その時、彼の爪先に何かが触れた。
そちらを見ると、球状の物体だった。
それは――人間の頭部だった。
「う、うわぁ!」
彼はその場に尻もちをついてしまう。
よく見れば、船上には人間の死体ばかりが落ちている。
どれもこれもハラデルの部下たちばかりだ。
つまり、この船もまた、襲撃者の予定通りということだ。
「やっと来たのね、待ちくたびれちゃったわ。」
声がした。
女性の声だ。
ハラデルの頭上から。
メインマストの上に誰かがいる。
真っ黒な衣装を纏い、手に大鎌を携えている。
「【猟犬】の彼なんて待つのに飽きちゃって、どっかで仮眠するなんて行っちゃったのよ。任務中なのに、ひどいと思わない? まぁ、私もちょっとだけ眠気と戦っていたけどね。」
「き、貴様らぁ! 何者だぁ!」
「あら、知りたい?」
黒装束の女が、フードとマスクを外した。
燃えるような赤い髪が、月夜に照らされる。
「ままま、まさか、貴様は…!?」
いくら貿易の要の町と言えども、ケイネスは王都から遠い部類に入る町ではある。それでも、目の前の存在がどのようなものか、例の伯爵からではなく純粋な噂としてハラデルは知っている。その武勇を、その異質さを、その恐怖を。
死神鴉――英雄――ネルカ・コールマン。
「私たちは、王宮騎士団第零部隊よ。初めまして、そして、さようなら。」
次の瞬間、死神がハラデルの前へと降り立った。
そして、命を絶つ鎌が、彼の首へと差し込まれるのだった。
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