138話:主人公たる所以
王城内の騎士棟には地下に続く階段がある。
騎士団第二部隊の護衛だけを引き連れて、マリアンネはそこで一人の男性と待ち合わせを行っていた。完全ハゲまでタイムリミットな白髪、しわくちゃな老い顔、曲がった背、男はどこか覚束ない足取りで杖を使いながら彼女に近寄った。
王宮治癒術師最高責任者ガゼル・エルデイナ。
把握されている中では、王国最年長の老人だ。
「初めまして聖女様。私のことはどうぞガゼルと呼んでくだされ。」
「は、はい! よろしくおねがいします、ガゼル様!」
「おや、噂の死神殿はいないのですな。」
「えぇ、師匠がいると、アタシ、甘えてしまうので…。」
「そうですか。参りましょう。」
いつもマリアンネに(あらぬ噂が生じるほどに)ベッタリだったネルカだったが、以前に茶会中にデインが参加してからというもの、別行動することが増えたのだった。何があってそうなったのかは聞いてはいないが、エルスター絡みであることはマリアンネも察していた。
おかげで、彼女も自分のことを考える時間が増えた。
そして、考えた結果、彼女は今ここにいる。
階段を下りた先にある部屋は――『遺体安置所』。
彼女の目の前には石の大台と、一つの遺体が置かれていた。
「ですが、聖女様、分かっているのですか? これからすることがどういうことなのか。過酷ですよ…いったい何人の治癒魔術師の卵が離脱したことでしょうか。」
「分かっています。」
「そうですか……では、始めますよ。」
ガゼルは囚人だった死体にメスを入れた。
腹部を裂いたことで、中が露わになる。
「うっ…! お、おうぅぷ…。」
「聖女様……やはりお止めになりますか?」
「んぐ…ッ。いいえ! 続けてください! アタシは勉強しなくてはいけないんです! せっかく使えるようになったんですから! 鍛えなくちゃ…アタシの――『魔力』を!」
今まで、彼女は自身には魔力が無いと思っていたが、どうやら『水』の系統の魔力を有しているようだった。ただ、魔石回路を組むことすらできないほど、ほぼゼロというレベルだっただけだったのだ。
だが、彼女の魂は一つではない――『山本 茉莉』。
魂の主導権はマリアンネであり、茉莉の魂は『取り込まれた』と表現するのが正しい。しかし、聖女の力が魂を包んだ状態になっていたため、魔力が外に出せなくなっていたのだ。
しかし、聖女の力を解放した今なら、魔力が使える。
茉莉の持っていた魔力の系統は『治癒』。
しかも、前世の世界の人間がとりわけそうなのか、茉莉の魂の歴は前世も含めるせいなのかは分からないが、ともかく現存する治癒魔法使いの中では最も多い魔力量を持っていた。
(聖女の力はこれから先、弱まっていくだけ。なら、アタシは聖女としてだけじゃない、使える力をフル稼働させないといけない。守るんだ…皆を…アタシの手で!)
魔法に必要なのは想像力である。
ナハスが炎弓を使うのは、単純に得意武器だからだ。
ネルカが大鎌を使うのは、死神鴉への憧れからだ。
作ろうと思えば他の形状も可能ではある。
それでも、一番想像しやすいものが、一番品質が良くなる。
では、治癒魔法における想像力ってなんだ?
もちろん、『人体』――ゆえに、『解剖学』。
「ふむ……いいですか聖女様、治癒魔法にはいくつかの種類が存在します。最も数が多いのが『対象の治癒能力を促進させる魔法』になりますが…聖女様の場合、『人体を調べ、複製する魔法』になります。」
「……はいッ!」
「基本的に我々が覚えるべき解剖学とは、場所と形と機能の把握、この三つになります。しかし、複製系の治癒魔法はその情報だけでは足りないのか、成功した事例がございません。」
「事例がない…?」
「ですが、聖女様は成功する…私はそう確信しております。」
「それは…どうしてでしょうか?」
「聖女様は…細胞というものを…ディーエヌエーとやらを…知識がおありだそうですね? 私はその話を聞いた時、成功事例がなかった理由を察したのです。『調べる』…この部分に不備があったのでは。複製と生成は似て非なるものです。聖女様なら…今まで調べ足りなかった情報を、知識という名の想像力で得ることが出来るのではと…私は思っております。」
「でも、専門家ではないです。」
「そこは心配していません。聖女様を教えるにあたって、生い立ちを予め調べさせてもらいまして………もちろん、ヤマモト連合で作られた魔道具も調べました。いやはや、知ってさえいれば作れるものではなかったですな。」
「は、はぁ…。」
「素晴らしかったですぞ! 原理を知らなければ、考え方が合っていなければ、試行と機転がなければ……完成しないものばかり! 聖女様は研究者向きかもしれない、そう思ってしまうほどでした。 ホッホッホ!」
「ッ!?」
歳と見目に似合わず元気に笑うガゼルの言葉に、彼女は似たようなことを最近に言われたことを思いだした。それは、初秋の街中でダーデキシュに遭ったときのことだ。
『まぁ、そういうものがあると知っていたとしても……原理を知らなければ、考え方が合っていなければ、試行と機転がなければ……完成しないものばかりだ。だから、マリアンネ嬢は誇ってもいいはずだ。』
当時は好きな人からという色眼鏡がかかっていたため、あくまで活力の源としてしか機能していなかった言葉だったが、こうして老齢の者から改めて言われると――それはマリアンネの自信へと繋がった。
目が潤み、涙が頬を伝う。
だが、彼女は袖で拭うと、キッと表情を変えた。
他者からの与えられた自信とは、他者から課せられた期待。
泣いている場合ではない、彼女は覚悟を決めたのだった。
「それに、いざとなったら聖女の力もお借りすればいいのですよ。足りない部分を補い合うだけです。」
「ありがとうございます。ちょっと照れくさいですけど…。」
マリアンネは「よしっ!」と自身に活を入れた。
そして、背筋を伸ばし、開かれた死体を見つめる。
まだ慣れない、吐きたくなる、それでも目は逸らさなかった。
そんな彼女にガゼルは目を細めた。
「私は…死を待つだけだと思っていたのですよ。ですが、さきほどの聖女様のお言葉を聞きまして…いやはや、お恥ずかしい話、この歳になって心躍る思いをしたのですよ。聖女様が進む先の未来を見るために、まだまだ生きなくていけなくなってしまいました。」
「えぇっと…。」
「聖女様。この老人を魅了した罪、償っていただきますぞ?」
ニヤリと笑うガゼル。
ニヤリと返すマリアンネ。
そこにいるのは聖女と王宮術師の二人ではなく、治癒魔法を高め合おうとする二人の研究者だった。歳は6倍ほど離れた二人だが、この瞬間だけはまるで歳の近い同僚のようだった。
「続き! やりましょう!」
彼らは解剖を再開させたのだった。
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