128話:本当に望んでいたこと
地面に崩れ落ちるハスディの断面に、魔王が集まった。
どうやら魔力を供給しているようだった。
だが、ハスディは魔物ではなく、人間だ。
いくら魔力が供給されようが、この状態をどうにかできるほどの再生能力など発揮できるはずもなかった。それでも延命はできているのか、彼はコヒューコヒューと辛うじて呼吸をしながら、それをジッと眺めていた。
「もう……い…す。魔王…様…。」
次の瞬間、周囲の魔王が萎れ始めた。
森と化していた魔王は枯れ果て、ネルカの貫かれていた腹部には何も残っていない。彼女の穴は聖女の力によって塞がり、そこには傷跡こそ残ってしまったものの、痛みや違和感は一切残っていなかった。
「師匠…。大丈夫…です……か?」
「えぇ、助かったわ、マリ。」
「師匠…師匠……じじょぉぉぉ! うわ゛ぁぁぁん! 良がっだぁ! 生ぎでぐれ゛でぇ! もう、ダメがど、ダメだど、思っだのに゛ぃぃぃ! なんで、あんな作戦を実行じだんでずがぁぁぁ!」
「よしよし…あなたの頑張りのおかげよ?」
ネルカは彼女に近づくと涙で濡れた顔を抱き寄せた。涙と鼻水を服に擦り付けられるが、今回はそれが許されるだけのことをマリアンネはしてみせたのだ。初めて会ったときも似たようなことがあったなと、ネルカはどこか懐かしそうに視線を落とした。
視線の先にはハスディが倒れていた。
彼女はその姿をボーっと見ながら、ふと考える。
(それにしても…この男は何がしたかったのかしら…。)
本人はより多くの人間を楽園に送ることと言っていた。
楽園に行くには善行を積むか、魔物に殺されることだとも言っていた。
そこまではいい。目的はそれでいい。
問題は、彼の行動のどこに、その要素があったかということだ。
魔物を王都に招き入れる――分かる。
生物を魔物にする粉をまき散らす――分かる。
魔王で暴れる――分かる。
ネルカを相手に時間稼ぎをする――分かる。
だが――
中央広場に移動する――これが分からない。
これだけがどうしても分からないのだ。
時間稼ぎをするだけなら、もっと逃げるという手もあったはず。
だが、彼は頑なに中央広場から移動しようとはしなかったのだ。
「………理由なんて決まってるじゃない。」
「…? 師匠?」
「初めから何かを、ここに仕込んでいたからじゃない!」
ネルカはマリアンネをどけると、倒れているハスディの胸倉をつかんだ。
だが、彼女が何かを言うより先に、ハスディの口から言葉がこぼれる。
「ネルカさん…今更…気付い……もう……遅いので…すよ。」
次の瞬間、地面が大きく揺れた。
地面にヒビが入り、広場の中央にある噴水が盛り上がる。
まるで巨大な何かが地面より出現するかのようだった。
ネルカはハスディを右手に掴んだまま、左手でマリアンネを掴み上げると、飛ぶように広場の外側へと退避した。そして、揺れが収まると、地面から現れた『ソレ』を見て驚愕を顔に浮かべた。
「ま、まさか……これは!?」
広場の大半を占め、周囲の建物を越す高さ。
だが、その造形は、今日、嫌というほど見てきた。
ネルカにとって憎悪の対象であり、絶望の象徴。
それは蕾だ。魔王の蕾。
ただ大きいだけの魔王の蕾だ。
「この魔力量ッ!? どうして気付けなかったの!?」
この大きい蕾こそがハスディの計画。
この広場を目指し、時間稼ぎに徹していた理由である。
そして、本来ならあと一時間は必要であったが、魔王は残った力すべてをこの蕾に込めることで、計画を早めることに成功させた。魔王たちは決して枯れたわけではなく、ただ力を一ヶ所に集めていただけだったのだ。
魔王はハスディを守ることを諦め、復讐を果たすことを見送った。
そして――ハスディの望みを叶えることを優先させた。
「これだ…け…の大きさ…どうなりま…でしょう…なぁ? 私の見立て…では…王都…だけでは…………もっと広く…覆い…くせ…で…が…。」
これが魔王の蕾であるなら、中身は魔物化させる例の粉だ。
王都の数ヶ所で人々の心に絶望を植え付けた粉だが、今回は数ヶ所なんて規模ではない――王都全土――いやそれを越える広さになるだろう。それが何を意味するのかなんて、理解できない者はそこには誰一人としていなかった。
絶望の沈黙の中、ハスディの消えかけの声が耳に入る。
「さぁ、皆さん、受け取ってください。 神からの贈り物ですよ。 これを祝福と捉えるか…天罰と捉えるか…すべては皆さんの日頃の行い次第です。」
魔力の供給を受け生きながらえていた肉体に限界が来る。
ネルカたちに絶望を残しながら、彼の生気は消えていく。
見えない、聞こえない――だが、不思議と喉だけは動く。
「あぁ…シェイナ…共に見守りましょう、世界の平和…第一歩を。」
彼の願いは、人々の幸せではない。
彼の願いは、人々の幸せを見ることなのだ。
他者の幸福は手段であり、目標ではなかった。
ただ、幸せを、シェイナの幸せを、それだけだった。
『私ね、笑顔の人を見るのが大大大だ~~い好きなの!』
あの日の幼馴染の言葉、笑顔、ハスディは忘れない。
霞ゆく視界、嬉しそうなあの子が近くにいるような気がした。
そして、世界一幸福そうな表情をしながら、ハスディは死んだ。
今度こそ、ついに、息絶えたのであった。
かつての愛した者とまったく同じ表情をしながら。
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