表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ショパン

作者: zen

 中学三年生の古井(ふるい)は独り、放課後の音楽室でたたずんでいた。目の前にあるグランドピアノの鍵盤に手を触れることはなく、降りしきる雨の音に身を包まれていた。

鞠屋(まりや)……」

 古井は、クラスメイトだった男子の名を口にした。細身で色白ゆえ同級生からは病人呼ばわりされていたが、ときおり演奏するピアノの音色はきまって周囲を魅了した。

 ──もう聴けないのかよ。

 ほんの一カ月前、親の転勤のため鞠屋は家族とともに引っ越した。古井とは今でもSNSでつながっているが、彼のピアノを直接聴けない寂しさを埋めることはできずにいた。

 ──そういえば、あの日……

 古井が思い出したのは、鞠屋と一緒に音楽室にいた放課後のことだった。普段は誰にも話しかけない鞠屋が昼休みに、「ピアノの演奏を手伝ってほしい」と古井に声をかけたのである。


   ◇  ◇  ◇


「なんで俺に」

「古井君、ピアノ習ってたんですよね? ショパンの連弾曲を演奏してみたいのですが、誰に手伝ってもらおうかと迷ってたんです」

「もっと上手い奴がいるだろ、桃園とか3組の仙堂とか」

「いえ……古井君がいいんです」

「?」

 真意を図りかねたものの、俺でいいならと古井は引き受けた。


 鞠屋が演奏したいと言った「4手のための変奏曲」は、古井にとっては難題だった。本格的にピアノを弾くのが久しぶりだったこともあり、思うように手を動かせなかったのである。セコンドとして低音部を担当したもののミスを重ねてしまい、そのたびに古井は謝った。

「いえ、いいんです。元はといえば私が誘ったんですから」

 鞠屋が嫌な表情を見せず淡々と返したので、場の雰囲気が険悪になることはなかった。それに何より、鞠屋の演奏が古井の心を躍らせた。プリモとして高音部を演奏する十本の細い指が時に軽やかに、時に静かに鍵盤の上を動くさまはまるで踊っているようであり、隣に座っている古井を魅了した。


「古井君」

「何?」

「……楽しいですね」

「『楽しい』?」

「いえ、……」

 演奏が止まった拍子につぶやいた鞠屋に、思わず古井は言葉を返した。いつの間にか鞠屋の頬はほんのりと朱に染まっていて、はにかんだ笑みを見せていた。

「……」

 古井もまた言葉を継ぐことができず、沈黙が二人を包んだ──。


   ◇  ◇  ◇


「鞠屋」

 古井は独り変わらず、グランドピアノの前に立っていた。

「お前が『楽しい』っていった理由、今ならわかる気がするよ」

 そう言っておもむろに座り、鍵盤に指を置いた。しかし演奏することなく、古井はそのまま動かずにいた。


「もう、一緒に弾けないのかな……ショパン」


 いつ止むとも知れない雨の音が、古井の耳に間断なく飛び込んだ──。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ