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序章 小さな冒険 9

 カイリとケンイチそしてリョウの三人は、一番年下で十七歳のケンイチの部屋で、前の晩から、次の日の釣りのための打ち合わせという名目で飲み会をしていた。

 この「ホーム」では、十六歳に達した者は成年とみなされ、男女問わず毎日、日課が課されることになっていた。尤も、日課といっても強制ではなく、スケジュールを各々が自由に管理できるようになっていた。

 「釣り」はかなり過酷なもので、早朝から夜になるまで行われた。ホームにいる五十人以上の腹を満たすことは容易ではないのだ。

 カイリとケンイチは「ホーム」の標準的なスケジュールに合わせ、十日に一回ほど釣りを選んでいたが、リョウは可能な限り釣りに専念することにしていた。二日に一回は釣りの仕事に従事していた。要するに好きだったし、自分にとても合っていたのだ。

 そんなこともあり、リョウは、「ホーム」のみんなから食料調達の名人として期待されていた。

 一番年上で二十八歳のカイリは、自分の背丈ほどはあるモリと釣り竿を三本ずつと人一人は入れそうな大きなバケツ、それから餌となる土ミミズ等を一式、倉庫からケンイチの部屋に持ち込んだ。

「そうだ。」

 先ほどから無言でちびちびと酒を飲んでいた三人の沈黙を破るようにリョウは切り出した。

「明日、一番でかい魚を取った誰かに三日分の酒を奢るってのはどうだい?」

 「ホーム」では、酒はとても貴重で、成人した一人一人に配られる量が決まっていた。勿論、飲まない者もいるので、そういう人とは個別に交渉し何かと交換する仕組みになっていた。

「いいね、さすがリョウだ。大した自信じゃねえか。」

 あぐらをかいていたカイリは言った。カイリは年上であったが、他の二人より随分背が低かった。でも本人はそんなことは全く気にしていないようだった。

「でも、リョウやカイリが相手じゃ厳しすぎるな。俺はまだ始めて二年も経ってないんだぜ。」

 少し酒が回ったケンイチが言った。若干十七歳だが、目付きが鋭く、他の青年達とは違った雰囲気を持っていた。「ホーム」では、不良のレッテルを貼られていた。尤も不良と言っても特に何をするわけでもない。単純に見た目の問題なのだ。

「じゃあ、こうしようぜ。」

 リョウが言った。

「ケンイチにはハンディをやる。二倍だ。」

「随分なハンディだな。」

 プライドを傷つけられたのか、むっとした顔でケンイチは言ったが、当然反論はしなかった。酒に酔った三人はいつしか眠りに落ちていた。

 翌朝目覚まし時計が鳴る少し前に、カイリが目を覚まし二人を起こした。まだ眠い目をこすっていた二人は機嫌が悪そうだった。

「いくぞ。」

 そう言ってカイリは自分の分の釣り道具一式と大きなバケツを持って先導を切った。二人もその後に続いた。

 地下四階からの直通になっている螺旋階段をぐるぐると降りていくとひやっとした空気が流れた。目の前には大きな錆びた鉄製の扉があった。カイリはその扉の鍵穴に持っていた鍵を差し込んだ。

 扉の奥にいつもと同じ幻想的な光景が広がった。地底湖だ。

 天井には紫色の水晶がひしめき輝いていた。入ってすぐの場所は左側と前方が切り立った崖になっていて、その下には虹色の湖が広がっていた。そこまでの高さはゆうに地下三階分くらいはあるだろうか。足を滑らせたら大変だ。

 三人は、無言のままゆっくりと右側の下り坂を歩いた。下り坂は左回りにゆるいカーブを描き、湖に面する小さな岸へ三人をいざなった。

 下り坂を降りきると広大な湖が目の前にあった。紫水晶の光と、湖そのものが放つ光が調和し溜め息が出るほど美しい。

 左手には先ほど降りてきた坂がクオーターの円を描いて入り口から伸びていた。相当な高さのため、ここから入り口は見えない。

 ここから見える湖の前方は絶壁になっていて、遥か上の天井と繋がっていた。湖の右手はそれとは対照的に大きな洞窟になっていた。真っ暗で、奥の方までは見えない。

 リョウは、あの先には何があるのだろうといつも考えていた。この湖の魚が絶えないのは、その洞窟のずっと向こうまで湖が繋がっていることを示しているのだろう。

 三人はそれぞれの道具を手に、湖に向かって横一列に並び早速作業に取り掛かった。

 そのうちに全員が妙なことに気付いた。まだ数分しか経っていないのに驚くほどたくさんの魚が釣れたのだ。しかし、それらは期待していた魚ではなく、奇怪魚と呼ばれる青い光沢の魚燐を持つ食べられないものばかりであった。

 この青光りのする丸い形をした魚には、その禍々しい色合いに恥じない毒性があるらしく、「ホーム」で一番初めに食べた者(実はユリ婆さんであった)が痙攣を起こして引っくり返ってしまったらしい。幸い命に別状はなかったが、それ以来、奇怪魚が食卓に上がることはない。

「どうなってんだ。全部キカイギョじゃねえか。」

 ケンイチが声を荒立てて言った。

「確かに変だ。今までこんなことはなかったのに。普段なら一日釣ってもせいぜい二、三匹しかこの魚にはお目にかかれない。」

 食料調達の名人であるリョウも首をかしげた。

 それから一時間ほどの間、三人は毒魚を釣り続けた。バケツにも入れてもらえない大量の魚達は、ピシャリピシャリと地面を打ちながら、三人の周りでもがいていた。

 このままでは、今日の食料はない。そう思ったカイリは、巨大なモリを片手に、服を着たままいきなり湖に飛び込んだ。その瞬間、まだ岸で釣りを続けていたリョウは右手の洞窟の奥の湖面が大きく波打っていることに気付いた。

「まて、カイリ。何かおかしいぞ。」

 リョウの叫びはカイリに届かなかったようで、カイリは洞窟に向かって湖面の下を泳ぎだした。洞窟の奥の波は徐々にこちらに向かってきている。

「まて!」

 リョウは目一杯叫び、素手のまま湖に飛び込み、カイリの後を追った。ケンイチはあっけにとられた顔をして二人を見守った。リョウは必死で泳ぎ、何とかカイリの足首を掴んだ。リョウとカイリは湖面から顔を出した。

 その時だった。

 ザッバーン!

 地底湖に鳴り響くほど巨大な音を出し、その怪物が姿を現した。

 五メートルはゆうにあろうかと思われる、まるで巨大な風船、しかし青く光る鋼のような鱗を持ったその怪物は全身を怒ったように震わせ、猛烈なスピードで二人を襲ったのだ。

 銀色の歯、悲鳴、赤い飛沫・・・

 一瞬の出来事であった。

 それを見ていたケンイチは腰を抜かしてその場にべたん、と尻餅をついてしまった。

 絵の具のように赤黒く染まった惨劇の湖面には、気を失い真っ青な顔をしたカイリと、まるでぼろ人形のようなリョウの下半身だけがぽっかりと浮かんでいた。何事もなかったかのように怪物は湖へ潜り大きな波を立て、ゆっくりと洞窟の向こうへと姿を消した。

 ケンイチは我に返り、湖に飛び込むとまだ息のあるカイリと、リョウの遺骸を岸まで運んだ。カイリはこの惨事で右手を失ってしまった。

 この日を最後に二人は食料調達、「釣り」の仕事から身を引いたのだった。

 その後は奇怪魚の祟りだとかいう噂が立ち、食料調達の係りは毒魚を釣ると殺さずに湖へ戻したそうだ。それ以来一度もこの怪物が現れたことはないという。

「ユータ。おい、聞いてるのか、ユータ。」

 シンの声がする。放心してユリ婆さんの話を思い出していたユータは我に返った。

「どうしたんだよ、ぼーっとして。さあ、冒険に行くよ。」

 シンの、冒険という言葉で、「行くー。」とマリは目を輝かせてはしゃいでいた。マリは地底湖の話を知っているのだろうか。僕は大人になるまで、釣りはしたくない。いや、地底湖には行かない。とユータは思った。


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