序章 小さな冒険 8
ユータは思い出していた。
二年ほど前であろうか、いつものようにユリ婆さんが、ユータの部屋にやって来た。
「今日は何の話をしようかの。」
今とほとんど変わらない面持ちでユリ婆さんはユータに話しかけた。
「ねえ、婆ちゃん。」
「ん、何だい。」
「みんなはどこからご飯を見つけてるの?」
素朴な少年の素朴な疑問だった。
「そうさねぇ。」
ユリ婆さんはユータの部屋を見回し、話を続けた。そして思い切ったようにユータに言った。
「じゃあ、今日は特別にお前に秘密を教えてやろう。」
ユリ婆さんはニヤッと笑った。そのしわしわの唇に囲まれた口の中に見える歯は所々欠けていて、痛々しかった。
「地下七階、つまりこの「ホーム」の最下層じゃな。」
ユリ婆さんは説明するように喋ったが、ユータにはサイカソウの意味が良く分からなかった。
「そこには地底湖が広がっているのじゃよ。」
チテイコ?聞いたことのない言葉だった。何がなんだか分からないまま、ユータはユリ婆さんの言葉に耳を傾けた。
「毎日の我々の生きる糧となる食料、つまり魚じゃな。これを得るためにお前の先輩方は日々地底湖で魚を取っているのじゃ。」
ユータには半分も理解できなかったが、何かすごいことのように思われた。ユリ婆さんは続けた。
「地底湖には色々な魚がおってな。指先ほどしかないものから、大人の数倍はある魚までもが住んでるのじゃ。」
ユータはびっくりした。大人の数倍くらいある魚だって?そんなのは今まで見たことも食べたこともなかった。
「尤も、魚を取ることはそんなに楽なことではない。」
ユリ婆さんは悲しそうな顔をしてユータの頭を撫でた。
「地底湖で死んでしもた人間もいた。」
これを聞いてユータは何のことだか良く分からなかった。
「死んでしまうってどういうことなの、婆ちゃん?」
ユータは純粋な疑問をぶつけた。ユリ婆さんはより一層悲しげな顔をして言った。
「この世界から消えてしまうということじゃ。勿論誰もがそのようになるわけではない。まあ、長く生きるほど死んでしまう可能性は増えていくのじゃがな。中には神のお導きであろうか若くしてそうなってしまう者もおる。」
ユータは、少しだけ分かる気がした。自分も死んでしまうことがあるんだろうか。ユリ婆さんは話を続けた。
「六年ほど前、リョウという若者がおった。そうじゃな、まだ、二十歳になったばかりじゃった。彼は魚を取ることを一つの生き甲斐にした青年じゃった。毎日毎日誰よりもたくさんの魚を取ってきてくれた。しかし、彼は地底湖である日死んでしもたんじゃ。それは悲惨なことじゃった。」
ユリ婆さんの薄く濁った目からうっすらと涙がこぼれ落ちた。
まだユリ婆さんの話は始まったばかりだったが、その涙を見ていると、僕達がいつも食べている魚、それを取るのはそんなにも大変なことなんだな、とユータは大人達のことを感心した。
「あれはその日の朝早く、そう、まだ上の世界も真っ暗の時間だったはずじゃ。」
ユリ婆さんはゆっくりと思い出しながらユータに話し続けた。ユータはこの時のユリ婆さんの表情が大好きだった。昔のことを一つ一つ丁寧に思い出しながら自分のためだけに話してくれるときの表情が。