序章 小さな冒険 3
「それでぇ、昨日はあんまり寝てないの?」
先ほどから、昨夜起こったことをユータから聞いていたマリは、可愛らしい声を出してユータを見た。
「そうなんだ。」
ふぁーっ、と大きなあくびをしてユータは答えた。
向こうに見える長くて上に伸びてるいびつな物体は大分と近づいてきたようだ。心なし、ユータとマリの歩くペースは早くなった。
「こんな所があるなんてびっくりだね。」
マリはそう言ったが、それほどびっくりしていないように見えた。
「マリの部屋の天井にも窓があったよな。」
確かめるようにユータは聞いた。
「うん、あるよぅ。」
そーか。起きる時には必ず、窓が眩しくなってるから、何となく上の方はこうなってるって感覚的に分かるんだよな。ユータはそう思った。
「マリは知ってたのか?上にはこんな所があるって。」
「知らなかった。でも何となく夢で見たような気がするんだぁ。」
夢かぁ、でも僕の見る夢はこんなんじゃないな。もっと寒くて、もっと暗くて、どろどろとしてるんだ。でもどうだろう、ここは、とても居心地が良さそうじゃないか。どうしてみんなここで暮らさないんだろう。
そう思った瞬間、得体の知れないすごく嫌な気持ちがユータの中を突き抜けた。
せかいいちかぜ・・・きっとそれが関係あるに違いない。ユータは少し立ち止まって、神妙な顔をした。
「どうしたの、具合悪いの?」
マリが、本当に心配そうな顔でユータを覗き込んだ。
「いや、大丈夫だよ、ちょっと寝不足かな、へへ。」
息を切らせて丘陵を登りきるとまもなく、二人は長く巨大な物体の下に辿り着いた。
「わあ、やっと着いたねぇ。チョコ食べよー。もぐらチョコー。」
マリがはしゃいだ。
「分かったわかった。ちょっと待ちなさいって。それより水をくれよう。喉が渇いて目が回りそうだ。」
ユータはマリが肩にかけている水筒を奪ってごくごくと音を立てて飲んだ。マリも慌てて残っている水を飲み干した。すごく汗をかいたからか、二人には丘陵に打ち寄せる風が冷たくとても心地の良いものに感じられた。
二人は長い巨大な物体の真下に座って、背もたれた。ポケットをまさぐったユータは、ふと嫌な感覚を覚えた。
「あーっ。」
ポケットの中はぐにゃぐにゃに溶けたチョコレートでいっぱいになっていた。ポケットから手を出すと、マリもそれに気付き、
「あーーっ。」
と声を上げた。周りにはチョコレートの甘ったるい匂いが満ちた。
ユータはチョコでべとべとになった手を舐め終わると、懐中時計を確かめた。一時二十五分とあった。あと、三十五分だなと思った。マリは隣ですねた顔をしてこの巨大な柱を指で弾いていた。柱はゴッ、ゴッと小さくくぐもった音を立てた。
この場所からは、辺り一面が展望できる。ユータは風に吹かれながら大きく深呼吸をすると、今歩いてきた方を眺めた。
なだらかな丘陵の遥か先には二人が出てきた、通称「ホーム」と呼ばれている住み家があるはずだ。地面の入り口は小さい鉄の扉で閉じられており、ここからはっきりと見て取ることはできないが、その周辺には幾つものガラス窓が散在し、海に近い側の数個は太陽の光を眩しいほどに反射させていた。
僕の部屋の窓はどれなんだろうとユータは思った。
「さあ。戻ろっか。」
少し元気を取り戻したマリが言った。二人はその場を後に歩き出した。