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序章 小さな冒険 2

 そこは暗かった。

 天井には、細いパイプが迷路のように組み込まれ、幾つもの電球が芋虫のようにぶら下がっていたが、今にも消えそうなオレンジ色の光を灯しているだけだった。その貧相な明かりに照らされて、五、六十人は座れそうなテーブルには隙間もないほど人が座り、黙々と言葉も出さず食事を取っていた。子供から中年の男女、そして老人の姿もあった。

 バンッ。

 突然、静寂を切り裂くような鋭い音が、部屋に響いた。

「いつまでこんな暮らしをするつもりなんだ?」

 先ほどまで延々と酒をあおっていた巨体の男がテーブルを叩き付け叫んだ。テーブルの上で巨体の男と一緒に食事をしていた茶色のもぐらは、その振動で飛び上がって引っくり返った。

 巨体だが髪の毛のないつるつるの頭をしたその男は見るからに屈強そうであった。その場に座って食事をしていた大勢の間に嫌な空気が流れた。特に年老いた人々は目線を下に向けじっとしていた。

「まあ、落ち着け。」

 長身で細身のまだ二十代だろうと思われる青年が立ち上がり口を開いた。クラ兄さんだ。クラ兄さんは、どんなことでもはっきりと言う青年だった。

「誰に向かって口聞いてるんだ、おま・・」

 巨体の男がテーブルを揺らし叫んだその時、

「おやめ!」

 甲高い声が鳴り響いた。広い部屋の入り口に腰の曲がった白髪の老婆の姿が見えた。

「やめるのじゃ。お前もいい年なんじゃろ。」

「しかし、長・・・俺はこんな生活はもう嫌だ。」

 巨体の男は見るからに弱気になり、ぼそりと言った。

「じゃあ、出て行くなり好きにすればええ。」

 長と呼ばれた老婆は、巨体の男を睨み付けそう言った。

「そうだ、出て行けよ、なあ、みんな。こんな自分勝手な野郎は、出て行ってセカイイチカゼに飲み込んじまわれた方がいいよなぁ。」

 長身の男、クラ兄さんは事もなげに言ってのけたが、誰も言葉を発する者はいなかった。みな一瞬その男に顔を向けたが、すぐに自分達の食事の続きに戻った。

「せかいいちかぜ・・・?」

 ユータがその言葉を聴いたのはそれが初めてだった。

 群集は次々と食事を終え、各々の部屋へと戻って行った。食べかけの食事を袋に入れて持って帰る者もいた。

 巨体の男も肩を震わせながら部屋を出て行ったが、食器には少しの残什も残っていなかった。

 その晩飯の後もユータの頭から、さっき聞いた言葉が離れないでいた。まだ席に着いていたユータは、斜め向かいにマリが残っていることに気付いた。マリはまだ冷めた魚と野菜の煮込みスープを啜っていた。

「ねえ、マリ。」

「ん?」

 マリは白いスープひげを生やしながら、ユータを見た。

「いや、何でもない。」

 マリに分かるはずがないじゃないかと自分を笑いながらユータは席を立った。

 食堂から出てさらに薄暗い廊下をユータは独り歩いた。天井にはやはりパイプが通り、ぶらさがった電球がゆらゆらと揺れていた。

しばらく歩くと三叉路に当たった。そこの通路がない方の壁にはライオンの彫刻をしたレリーフが飾ってあった。鋭い目つきをしたそれは、鋭い牙を剥いてユータの方を睨んでいた。

 以前婆ちゃんから聞いた話だ。上の世界には、たくさんの動物と言われる生き物がいて、その中の王様がこのライオンだというのだ。良く分からないけど、こんな怖い顔の生き物なら見たくないやと思ったことをユータは思い出した。

 ユータは三叉路を右に曲がり薄暗い階段を駆け上った。途中右手にはトイレがあり、いつものようにそそくさと用を足してからまた階段を駆け上った。

 ここは、ユータが一番嫌いな場所だ。

 壁面は、意図的ではないのだろうが蛇のようにうねうねとして気味が悪い。それに、右側に大きく曲がりくねった階段なので、すぐそこにお化けでもいるんじゃないかと冷や冷やしてしまう。勿論マリにはそんなことは喋ったことはない。マリには怖いものなんてないらしいのだ。馬鹿にされるに決まっている。

 階段を抜け更に三叉路を左手に曲がり、二部屋目がユータの部屋だ。ドアを開け、すぐ左手にある大きな棚からパジャマを取り出して着替えた。天井には電球がぶら下がっており、薄暗くオレンジ色にユータの頬を染めている。

 ユータは、この電球の光を保つために毎日何人かの男が仕事をしていると聞いたことがある。どんな仕事かは知らなかったが、いずれは自分もしなければならないのかなと薄々思っていた。

 コンコン。

 薄汚れて、四つの脚のうち右足側の一つが折れかけてしまっているベッドに入った時、ドアをノックする音が聞こえた。

「だーれ?」

 布団に潜りながらユータは聞いた。

「わしじゃよ。」

 しわがれた大好きな声がユータの耳に入った。

「婆ちゃんか。」

 ユータはベッドから飛び降りて、ドアを開けた。

「もう、寝とるのか?」

 先ほど食堂で巨体の男を一喝した老婆が、薄暗い電球に照らされていた。始めて見る人はその皺の数にびっくりするだろう。でも、ユータには慣れっこだった。

「ううん、今寝ようとしてたとこ。」

「よしよし、じゃあ、今日もお話をしてあげようかねぇ。」

 老婆はそういう言うと、ずかずかと部屋に入り込み、よっこいしょとベッドに腰を下ろした。

「今日は、何の話にしようかねぇ。」

 ユータの覚えている限り、おそらく十数日おきくらいに老婆はやってきて、色々な話を聞かせてくれるのだった。この老婆の名前はユリといった。まだ幼い子供達が眠る前に話を聞かせるのが生きがいのようだった。ユータも勿論、この老婆の話を聞くのが好きだった。

「あのね、婆ちゃん。」

 いつもは、ユリ婆さんの話を大人しく聞いていたユータが、自分から声を出した。

「なんじゃ、ユータ。」

 ユリ婆さんは優しくユータに微笑んだ。

「さっき食堂で、聞いたんだけどさぁ。」

 ユリ婆さんの頬が険しく引きつった。その表情をユータは不思議に思ったが続けた。

「えーっと。・・・せかいいちかぜって何?」

 ユータの部屋の天井にはガラス小さなガラス窓があった。そこからは、真っ暗な闇だけが見えた。ユリ婆さんはそのガラス窓をまばたきもせずじっと見つめて呟いた。輝きのないその瞳は吸い込まれるような黒に満ちていた。

「知らんでもええ。」

 ユリ婆さんは無表情になっていた。

「ねえ、教えてよ、言えないこと?」

 ユリ婆さんの顔を見ていると、ますます知りたい気持ちが強くなって、ユータはユリ婆さんの服の袖を引っ張った。あんまり強く引っ張ったので、ユリ婆さんはよろけそうになった。

「今はまだ知らんでもええ。」

「今はっ、てどういう意味?そのうち教えてくれるの?」

 何か伝えたげな様子を見せながらも、ユリ婆さんは、ぽつりと言った。

「そのうちな。」

 その後しばらく沈黙が続いた後、

「明日は大人がおらん日じゃ。食堂に食べ物を用意してあるから好きに食べるがええ。じゃあ、もう寝るんじゃで、おやすみな。」

と言って、ユリ婆さんはどっこいしょとベッドから立ち上がり、部屋から出て行ってしまった。何だったけ。大人がいない日?そう言えば、過去にもそんな日があったかな、とユータはぼんやり思い出していた。

 その夜、ユータは眠れなかった。

 ユリ婆さんがせかいいちかぜについて教えてくれなかったのが悔しかったからではない。新しい謎々を見つけたようでワクワクしたからだ。ユリ婆さんが何かを隠していることは明確だ。でもそれは、今のユータにはまだ全然分からなかった。

 ユータは考えてみた。今日のクラ兄さんの言葉を思い出した。そして、名前も知らないけど、大きな男の人はこんな生活はうんざりだって言っていた。

 こんな生活って、どういうことだろう。ユータには良く分からなかった。他にどんな生活があると言うのだろう。そんなことを考えながら、ふと、ベッドから天井のガラス窓を見上げると、キラッと光る何かが、窓の外の暗闇の中を横切った。


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