私の居場所
葉月の話です。
高校の特待生になる事は、さほど難しくなかった。
問題は、家から離れた学校で、家賃の安い下宿先を備えた所を探すことだった。
受験勉強よりも、学校探しに時間をかけた。
そして、見つけた。
家から遠い、山の近くの学校。私立の中高一貫校で、親の印象もいい。程よい田舎で、アパートの家賃も安い。ここに決めた。
1人暮しを始めて、家事に手間取った。きちんと計量したはずなのに、洗濯機は泡を吹き出し冷蔵庫の中身は凍りついていた。炊飯器からはずっとアラームが鳴り響き、鍋には早々に穴が空いた。少し力が入りすぎたようだった。
そして、夜になって気がついた。
「.......予想外ね」
窓の外を見て、制服のまま札を持って駆け出した。
この地域、変な物が多い。窓の外には黒いドロドロとした物が3匹もいた。あれは放っておけば人を襲うかもしれない。前に見たように。
変な物を追いかけて、随分たった。
真夜中の公園で、最後の一匹に札を投げる。
ふっと息をつく前に、がさりと音がした。振り返れば、クラスメイトの男の子、七条くんがいた。
七条くんとばっちり目があった瞬間、彼は走って逃げた。
つまらない失敗をした。明日には、学校で私はおかしな奴だと騒がれているだろう。
それから、ゆっくり家に帰れば何故か床中に泡と水が広がっていた。裸足になって洗面所へ行けば、おかしな音を立てながら泡を吐き出す洗濯機と、ビタビタと水がでる水道管。
うんざりしながら水の元栓をしめて、床の泡を掃除した。そして朝から水道管の修理のために学校に行けなかった。
着る服がないので、制服を着て家を出た。
ここで逃げるなど有り得ない。もう遅いかもしれないが、正々堂々彼に言わなくては。
それから、思い当たる場所を探そうと公園に行けば、七条くんがいた。
それから、どこか面倒くさそうな七条くんと話をして、役所に連れていかれて。今まで知らなかった事を沢山教えて貰った。主に彼のお父様から。
彼は私の後見人らしいが、特に何も教えてくれない。
それは別によかった。きちんと先生を紹介してくれたから。
だから、彼とはその程度の繋がりしかなかったのだ。たまたま七条くんが能力に詳しくて、何も知らない私を少し助けてくれた。それで終わりのはずだった。
「.......どこよ、ここ」
おばあちゃん家から家に帰る時。家がなかった。
混乱して、焦って。電話をかけた。
いつもより厳しい顔をした七条くんが来て。見たこともないほど恐ろしい妖怪がいて。襲ってきて。
情けないことに、腰が抜けた。涙が出た。
でも。七条くんが、私を見た時。あの同情の色が滲んだ目を見て。すっと心が据わった。
それから、七条くんの弟子になって。あの夜は幻かと思うほど彼は頼りなかった。
すぐに泣くし、正直かっこ悪かった。すぐふざけるし、からかわれたりもした。でも、悪い人ではないらしい。
彼の隣りにいる時は、気を遣わなかった。彼は、私に何も望まなかった。勉強も、運動も、普通の女の子になる事も、男の子特有の望も。息がしやすかった。
それに、彼が術者として優秀な事は、認めていた。
それが勘違いだとわかったのは、京都での事。
せっかく術を習って、悪い妖怪を退治できると思っていたのに、まったく妖怪が出ない中。急に京都を出ろと言われて、逆方向の電車に乗せられた。町田さんと文句を言いつつ駅に戻れば。
次元が違った。優秀なんて薄っぺらいものじゃない。
彼が向かい合う妖怪も、彼自身も。
彼の背中は広かった。強さがあった。
私は怖かった、逃げ出そうと思った。でも。
彼が、和臣が。1歩足を下げたのを見て。
思い出した。和臣は普段、泣き虫だ。体力だってない。頼りないし、話を聞かない。そんな和臣が、闘っている。勝てない、そう思ったのは彼も同じはず。それでも、逃げずに、闘っているのだ。
「和臣!!」
走り寄って、抱きついた。和臣がこれ以上下がらないよう、支えた。町田さんは「ああ! じゃあ私も行かなきゃじゃない!!」と言ってついてきた。私ではなんの役にも立たないかもしれない。でも、和臣が逃げないのなら、私が逃げるわけにはいかない。
無我夢中で札を投げて、和臣に抱きしめられて。
息の仕方を思い出した。
それから、夜が明けてしまえば和臣はもとの頼りない和臣に戻った。でも。これは誰にも内緒だが。.......ちょっと、可愛いとか、思ったり。
私のタイプはかっこいい人だ。頼りがいがあって、常に私の前を歩いて、引っ張って行ってくれる人。和臣はまったくタイプではない。はず。
学校では、和臣が話しかけるなと言うので関わらなかった。何とも思っていなかったが、自分が何もできない時、つい話かけてしまった。
やっぱり、和臣の隣りは息がしやすい。
それから、目が回る程の速さで事が過ぎて。
ドキドキと嫌な胸騒ぎがする。おばあちゃん家で和臣を待っても、来ない。いても立っても居られなくて、学校へ走った。途中で美久に会って、和臣が美久を振ったと知った。
おかしいじゃない。あなた、可愛い子が好きじゃない。美久は小さくて、お淑やかで可愛いじゃない。私みたいに気が強くて可愛げがない奴じゃないじゃない。私と違って器用だし、私と違って。
美久は普通の女の子じゃない!
それから。
和臣が、私を好きだと言った。
私もよ、なんて。言えなかった。だって、だって。
なんで急にそんな顔するのよ。いつもみたいに泣きなさいよ、怒りなさいよ。調子に乗って笑いなさいよ。なんで、急に遠くに行っちゃうのよ。急にかっこよく笑わないでよ。なんで、なんで。
「行かないで!」
なんて情けないんだろう。最悪だ、和臣が一番大事な物を捨てて、戦いに行くのに。
私は何をしているんだろう。
それから、夏にもらった連絡先に電話をかけて、ほとんど殴り込みに近いことをして。
追いかけた。泣き虫で情けないけど、かっこいい、私の好きな人を。
いつから和臣の事が好きなのか、そんな事はわからない。ただ、今彼が好き。これからも好き。
彼の隣りじゃないと、私は息の仕方を忘れてしまう。
だから。
早く、隣りにいさせて。