水遊
「俺は、母さんのこと好きだ。今でも悲しい。でも、大丈夫。泣かないよ」
「……濡らしてごめんなさい」
「まあ、それは……川遊びだと思えば……」
葉月が俺に回している腕にぐっと力を込めた。それに答えるように、葉月の背中をゆっくりと叩く。
「わ、私の家はね。普通の家だったのよ」
「うん」
「1人娘の私が、普通に育って欲しいって思ってるのよ」
「うん」
「1人暮しだって反対されたけど、高校で特待生になれたらって約束で」
「うん」
「正直に言って楽になったの。お母さんは私が普通の女の子じゃないことにすごく否定的だったから」
「うん」
「でも! 私にとっては、妖怪が見えることが普通なのよ! 部屋に閉じ込められて、普通の子になってってずっと泣かれても、どうしようもないのよ!」
「そっか」
「でも、でもっ! 私のお母さんはまだ生きてるのに! まだ会えるのに! 会わない私が、嫌でっ!」
「そっか」
「和臣達の前で、お母さんのこと、好きになれないのが、嫌でっ!」
「そっか……」
「どうしようっ、私、すごく嫌な子よ! 和臣の前でこんなこと、最低!」
「いや、葉月より真っ直ぐに優しい人は知らないな。不器用なだけだ」
「……っ」
葉月が、痛いほど俺の肩にしがみついて、また泣き出した時。
頭の上に、ぱらぱらと花が降ってきた。
『和臣! 優香が好きだった花だ! 嬉しいか? 嬉しいだろう!』
「……うん、嬉しい。綺麗だな」
『そうか! じゃあ、もっと楽しくしよう!』
ぴゅっとあちらこちらから水が吹きあがる。
向こうに行っていたゆかりんにも水がかかったらしく、ぎゃぁっと悲鳴が上がっていた。
『和臣、糸を出せ! 楽しくしよう、優香が好きだったやつをやるぞ!』
「おうっ! 任せとけ!」
手袋も指環もしないで、糸を出す。
頭上のあちらこちらに張った糸に水滴がついて、光と風を受けキラキラと輝く。
そして、龍が糸にたくさんの花を置いていった。
『鳥が来ないのう……。あと和臣、歌は?』
「俺歌下手なの。知ってるだろ?」
『優香の子とは思えんかった……』
しばらくすると、小鳥がやって来て糸に止まった。
ぴっと鳴いた声が、糸をふるわせる。
それによって糸についた水滴が川に落ちる。
澄んだ水音と、小鳥のさえずりと。
昔は、歌声が混じっていた。
「葉月、どう? 綺麗だろ」
「……ええ」
「よしっ! せっかくだしゆかりんも川に落とそうぜ! ビタビタにしよう!」
「ちょっと! 聞こえたわよ!? あんた何とんでもないこと言ってんの!? 2人がイチャイチャしてるから気を遣った私を!?」
遠くでゆかりんが大声で叫ぶ。耳いいなゆかりん。
『水で遊ぶか? 楽しいな!』
またびゅっと水が吹きあがる。
「ぎゃぁああっ! なんで濡らすのよ!」
「はははっ! 川に入っちゃえよ!」
「どうするのよ! こんな髪の毛で電車乗れないわよ! ……やるからには本気だからっ!」
ゆかりんは走って川に入ってきて、水を思いっきり蹴りあげた。
「うおっ!」
俺は辛うじて避けたが、まだ赤い目で鼻を啜っていた葉月がモロに被った。
「あ、葉月。ごめん」
「……私だって本気よ!」
葉月が両手でゆかりんにばちゃんっと水をかける。
『楽しいか! 楽しいな!』
龍も水に入って、結局日が暮れるまで川で遊んだ。
ゆかりんが電車の時間に気づいて、急いで山を出る。
『また来い! 楽しくな! ……それから。和臣、今年はあっちの山で桜を見るといい。呼ばれている』
「へ?」
振り向いた瞬間思いっきり水をかけられた。
飛び乗った最終電車で。
「あーーもうっ! びしょびしょじゃない!」
「町田さん、酷い髪の毛よ」
「葉月だってひっどいわよ」
「早く風呂に入りたいなー」
「あっ。七条和臣、お風呂かして」
「うん。葉月も入ってくか?」
「ええ。ありがとう」
ずぶ濡れの3人でバスに乗るのは申し訳なかった。
家に帰ると、すでに姉が風呂を用意してくれていた。
2人はすぐに家に入れてもらっていたが、俺は玄関で服を脱がされ、ズボン1枚で濡れた廊下を拭かされた。しかも姉の監視付きで。
「ひどい……」
「あんた女の子びしょびしょにするなんて何考えてるの!」
「俺? 俺が悪いの? 」
「龍に遊ぼうって誘われたんでしょ? だからってあそこまでびしょびしょになるなんて、子供じゃないんだから」
「……」
黙って廊下を拭いた。
「……で、どうだったの?」
「前と同じ。変わってないよ」
「あんた、よく母さんと行ってたわよね」
「うん」
「……楽しかった?」
「おう! また行くよ」
「そう。……ねえ、来週末、お花見しましょうか」
「お? いいけど、なんで急に?」
「兄さんも父さんも、休みなのよ」
「おお! やっと二人も休みか! いいな!」
「葉月ちゃん達も誘う?」
「いいな! ……なあ、場所は?」
「そこの公園かしらね。近いし」
「……裏山じゃダメかな?」
「山? 公園の方が行きやすいし、綺麗に咲いてると思うわよ」
「……そうなんだけど。龍に言われたんだ」
「そう。じゃあ、行かなきゃね。お姉ちゃん、清香とお弁当作るわ」
「楽しみだな!」
天気予報の通り、週末には桜は満開だった。